Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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北海道三総合合同大B長会 全民衆救済の戦い

1966.11.23 「池田大作全集」第3巻

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1  悔いなく戦ったこの一年間、大変にご苦労さまでございました。どうか年末を事故なく、安泰と平和のうちに送って、よいお正月を迎えていただきたいことを、心よりお願い申し上げます。(拍手)
 私は会長として、皆さん方同志を守りきっていく責任があります。もちろん、根本的には三大秘法の御本尊が皆さん方を守ることは間違いありません。しかし創価学会という組織体においては、私が最高責任者として一切責任を負っている立ち場であります。一人でも事故を起こす人がいると、それだけ私もつらい思いをいたします。その反対に、かつて不幸であった人が、御本尊を受持し幸せになっていく姿を見ると心から喜びをおぼえます。皆さん方の折伏によって、短期間のうちに多数の人々が入信し、組織も大きくなりました。しかし同志の一部には、まだ学会精神をよく理解できず信心も弱く、誤った世間の学会批判を真に受けて組織から離れていく人がいることは、まことに残念なことであります。
 今年の初め、ある週刊誌にストーリーふうの記事が掲載されたことがありました。私も読んでみて、折伏とか、青年部とか、どうみても主人公が学会員と思われる言葉が使われていましたので、調べてみましたら、実は、その主人公は立正佼成会の信心をしていることがわかったのです。ずいぶん乱暴な言論界のやりかたです。この件について、さっそく厳重に抗議したところ、その編集部は記事の扱いが軽率であったと謝罪し、今後は慎重な態度で取材にあたることを約束しました。こういう種類の問題は、これまでにもたびたびありました。
 したがって、皆さん方はこのような悪縁には紛動されないようにしていただきたい。経文にも「猶多怨嫉」と書かれております。たとえていえば、美人はねたまれ、金持ちは強盗にねらわれ、成績の優秀な学生は、ヤキモチをやかれるのと同様に、三大秘法の御本尊を持って幸せになっている私どもを見た場合、それを破壊し、幸せになるのを妨げようという魔の働きがあるのは当然でありましょう。経文に照らしても、世間法から考えても道理は同じであります。仏の軍と魔軍との戦いが仏道修行です。「仏法は勝負なり」との御金言のとおり、私どもは生活のうえに実証を示し勝利を積み重ねていく以外にありません。
 創価学会は、これまでは柔和忍辱の衣を着て、当然、名誉棄損に該当するような事件であっても、いちいち告訴などせずにまいりました。しかし、日本のこれからの動向が創価学会によって決定されていく時代にはいった現在、その責任上からも黙って見すごすことのできない問題もあります。いまの政界を見て、はたしてどの政党が真実に日本の国民を救いきる信念と、理念と正義感と責任感をもっているか、心ある国民大衆であれば、誰人の目にも明らかでありましょう。
 創価学会こそ、あらゆる民衆を救いきる信念と責任感をもった唯一の団体であります。それに対して、たとえば犯罪者のなかに信心している人がいるのを見て「あのような人が信心しているのか」といって創価学会を侮する人があったとしたら、それは誤りもはなはだしいといわねばなりません。罪を犯した人にしても、自分が悪かったと自覚したからこそ、信心して更生しようとしているのではありませんか。もしそうした人に暖かい救いの手をさしのべなかったならば、どうなるでしょう。むしろ批判している為政者や指導者こそ、心からめんどうをみ救っていくべき責任があるのです。
 私どもは、日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、御本尊を受持し、広宣流布を目的としております。それは大衆の福祉を目指し、あらゆる人を根底的に救いきっていく活動です。この戦いは、絶対に負けてはならないし、また、勝てる諸条件がそろっているのです。悪鬼のごとく創価学会を誹謗し、創価学会を弾圧しようとする者に対しては、今後も異体同心の強い団結をもって必ず打ち破っていこうではありませんか。(大拍手)
2  自由主義者は、かつて軍国主義の時代には国賊とののしられ、あらゆる迫害をうけました。しかし、ひとたび戦争が終わると、最も強かったはずの軍国主義者は敗れ、自由主義者の天下となりました。また、社会主義者にしても、時代の先覚者として戦ってきた人は、みんな苦難の道を歩んでおります。時代の趨勢は、誰人も止めることはできない。同じように、創価学会もいまは世間から怨嫉されておりますが、十年、二十年先には、王仏冥合の理念でなくてはならない、正しい信仰がなくてはならないと、人々が心から納得し、創価学会を尊敬し感謝していく時代にはいることは間違いないのであります。
 日蓮大聖人の仏法の予言は正しく、必ずそうなります。十年前、二十年前の創価学会に対する見方と、今日のそれとはずいぶん違ってきているのが、なによりの証拠です。いわんや十年、二十年先の見方は、さらに変わってくると考えられるのであります。そのために、皆さん方は信心、教学をより深め、生活を豊かにし、社会の指導者として、模範的な信心即生活の実証を示していっていただきたい。また指導者として、信心を根幹に、近代的で道理正しく、誰人をも納得させていく力をもたなければなりません。包容力豊かに、明るく親切に活動してこそ、創価学会に対する大衆の認識は深まっていくのです。このことは一人一人が自覚していくべきであります。だが半面、世間は決して簡単な甘いものではないことも自覚すべきです。今後も新聞や雑誌に、批判、中傷の記事が掲載されることでしょう。しかし皆さん方はそのようなものに決して紛動されてはいけません。
 本来ならば、来年度の問題は、十一月か十二月の本部幹部会で発表すべきでありますが、きょうはその概略について申し上げます。来年は「躍進の年」として進みたいと思っております。(拍手)「躍進の年」には、まず当面問題の衆院選を勝ち取ることが大躍進であります。すなわち公明党が衆院選に勝利を収めれば事実上、社会の動向を決定し日本を動かしていくキャスチングボートを握ることになるし、また、イニシアチブをとれる力ある体制にもなっていきます。これほどの躍進はありません。(拍手)一方、創価学会の組織も、衆院選の終了後、相当数の拡充を行なう決意でありますし用意もできております。支部数も倍近くなるでしょう。青年部の組織も同じようにふえるかもしれません。
 したがって、個人においても、来年一年間、それぞれの立ち場で大きく成長していただきたい。個人の人間革命のためにも、福運を積むうえにおいても、自分は躍進した、大きく境涯を開いたと、御本尊に報告できるような信心、実践であっていただきたい。小説「人間革命」(第三巻)のなかで「何十日も費やした講習会や、会合といっても、なんの意味も成長もなく終わる場合が多い。短い講習会でも、人生に最大の転機と、源泉をあたえることができる」ということを書いておきました。一年間の信心の飛躍は、すばらしいものなのです。すでに相当の土台の上に立った皆さん方ですから、自覚と決意さえあれば、飛躍できないわけがないのです。
 なお、私も来年で信心二十年になります。当然のことではありますが、御本尊のお力を、十年前、十五年前とは、相当の違いで感受できるようになりました。曾谷入道殿御返事に「此の経の文字は盲眼の者は之を見ず、肉眼の者は文字と見る二乗は虚空と見る菩薩は無量の法門と見る、仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧あるべきなり」と説かれております。皆さん方も、御本尊の力、御書の深さというものを、五年や十年の信心で早計な結論を出してはいけません。御本尊は偉大であり、本当の御本尊の力は十年、二十年と信仰を全うして初めて会得するものです。その証拠は自分自身の生活に出てくるものです。したがって、真実の人間革命、人生の偉大なる力を会得するために、私と共に信心だけは力強く、勇敢に、そして忍耐強く貫き通していっていただきたい。(拍手)
 来年の三大方針の一つは「衆院選の大勝利」です。この戦いはどうしても勝ちたい。勝てば日本の国は希望に満ちて大きく変貌していきます。最高の国家諫暁にあるわけであります。いままで創価学会を笑していた人々も、心の底から驚き、その動執生疑によってそれらの人々を救っていけるわけであります。もしその戦いに敗れたならば魔は喜び、日本の前途は依然として不安を解消することはできないのであります。あらゆる観点から総合して、衆院選は正義の戦いであり、勝つこと自体が最高の善に通ずるのであります。
3  第二番目の方針は「各人が折伏していこう」ということです。いくら政治の分野で花々しい活動をしても、それだけでは広宣流布を目指す戦いは行き詰まります。折伏は末法における仏道修行の根本なのです。「摂受・折伏時によるべし」との御金言がありますが、末法という時には折伏を行ずるしかありません。その折伏の推進も、座談会をとおして明るく楽しく行なっていきたい。“幹部になると忙しくて折伏をしている暇がない。そのため折伏をする人はいつも決まっていまう”という考えではなく“みんなで楽しく折伏をしていこうではないか”という伸びのびとした気持ちになっていかなくてはなりません。
 “参議院議員になったから折伏はできない。大幹部になったから折伏はする必要がない”という考えは誤りであります。折伏は必要なのです。ただ目標達成のために折伏をするのではありません。折伏は楽しいものです。聞法下種、発心下種ともに折伏でありますから、相手の人が入信すると否とにかかわらず折伏をしてあげることが大切です。和気あいあいたる折伏の実践が続くかぎり創価学会は発展します。それにより、広宣流布は一歩近づき、公明党がそれだけ進展することも明らかです。(拍手)もしこの折伏が止まったならば、どんなに花々しい文化活動をしようが政治活動をしようが、もはや行き詰まりです。そのことは私がいちばんよく知っております。
 皆さん方のご協力により創価学会も大発展しましたが、大聖人のご遺命は化儀の広宣流布達成であり、折伏行は一生涯、仏道修行の第一義として励みなさいと指導されています。いつもニコニコと笑顔をたたえて活動しようではありませんか。創価学会で最も折伏してきたのは私です。昭和三十一年、大阪の参院選では、一支部で一か月、一万一千百十一世帯を折伏したのです。創価学会は折伏の団体であります。議員になって折伏しなくなったら最後は必ず寂しい思いをします。そのことも御書を拝すれば明瞭であります。
 方針の三番目は、いつも申し上げているとおり「人材の育成」です。なにしろ王仏冥合実現のためには十万人ぐらいの大幹部が必要なのです。公明党も衆議院へ進出すれば議員一人に秘書二人が必要となります。また、創価高等学校や中学校や大学の設立も予定されております。聖教新聞の新年号には、大学のあらあらの設計図も発表される予定になっておりますが、この教員、職員も大変な数になるでしょう。民音も、さらに発展するでしょう。潮出版社も建て物を必要としています。さらに創価学会の組織も、支部数だけで、ここ一、二年のうちに四千支部にもなるでしょう。こう考えただけでも、どれほど多くの人材が必要がおわかりになると思います。
 創価学会は人材の城を築いています。したがって、皆さん方は後輩のなかからどしどし人材を見つけていただきたいし、育ててもいただきたい。自分に力がないために、後輩が伸びようとすると、ヤキモチをやいてそれを押しつぶそうとする。(笑い)それではいけません。人材を輩出していくこと自体が折伏であり、尊いことなのです。世間では「もう創価学会は頭打ちである。曲がり角にきた」などといっておりますが、このことはもう十年ぐらい前から聞いております。(笑い)そういうときに、また組織を拡大すれば、選挙で勝つ以上に世間は驚くでしょう。その用意と決意を私はしております。
 どうか、一生成仏のために御本尊にお仕えし、共に戦って霊鷲山へ帰る決意で進んでいただきたい。(大拍手)私は皆さん方の体のことや生活のことを心配しております。自分自身に負けることなく、強い信心、強盛な祈りでリズムある日常生活をして、毎日、福運を積みきっていってください。そして「本当に幸せな一家になった」「後顧の憂いはなにもない」といえる一人一人になっていただきたい。そのような家庭を築いていかれることを、私は心から念願いたします。(拍手)
4  これが、一切の出発であり、また結論であります。御本尊を持って信心を貫けば、誰人たりともそうなれるのです。学会活動を避けて、つかの間の喜びを味わったとしても、その人の前途は知れています。それは退転していった人の実態を見れば明らかです。三日間でも退転してみると(笑い)本当に寂しくなります。学会活動をなまけると空虚なことはよくおわかりでしょう。御本尊につながった私たちの生活であることを、一人一人がわかっていただきたいのです。
 なお、同志、後輩はお互いに暖かく親切に接してください。決して相手に冷たい感じを与えるようなことがあってはいけません。創価学会の人は皆やさしく親切である、どの幹部と接しても自分は満足である、といわれるような指導者になっていただきたいと思うのです。おのおの凡夫の身ですから、いろいろ大変な場合もあるでしょうが、その点は互いによく理解しあって進んでいただきたい。組織の乱れから、後輩がいやな気持ちをいだいたり、寂しい気持ちになって、戦う意欲をなくしてしまうようなことは絶対厳禁です。
 また活動終了後は、できるだけ早く休み朝は早く起きて、家庭生活はいつもきちんとしながら、社会の人々に対しては、包容力豊かに、納得のできる話をしてあげなければならない。雄弁をもって接していきなさい。雄弁とは、決して口数多く話すことではなくして、目的を達成することです。くやしいときは柔和忍辱の衣を着て、その瞬間が自分の宿命転換の時と心得てがんばってもらいたいのです。
 人間対人間の社会のなかで、仏法の勝負は決まるのです。信心のことで悪口をいわれれば、自分の過去世からの罪は消えます。悪口をいった人が罪を消してくれるのです。これは、どうすることもできない仏法の原理なのです。したがって、自分自身の宿命打開がなるかならないかという問題も、人間対人間の社会のなかで決まることであり、その意味において、選挙も社会の中での戦いでありますから、これによって大きい自分自身の福運を積むことになるのです。
 どうか人柄のいい人になっていただきたい。人柄がよいということは、学会の内部においても、外部においても「一切の法は皆是れ仏法」ですから同じなのです。皆さん方も幹部となられたのですから、常識豊かに、自分らしく戦いをしていきなさい。常識豊かということは、なにも信心が弱いということではないのです。皆さん方は地涌の菩薩です。どのような働きであっても、信心が強盛であれば地涌の菩薩の働きになるのです。社会活動からいえば、信心を根本とした自分らしい生き方がいちばん正しいのです。
 皆さん方のご健闘とご健康をお祈りしまして私の話といたします。(拍手)

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