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日蓮大聖人・池田大作

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第29回本部総会 第七の鐘目標に

1966.5.3 「池田大作全集」第3巻

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1  本日は、第二十九回本部総会にさいし、もったいなくも総本山から日達上人猊下のご臨席をたまわり、また、多数の御僧侶ならびに、来賓の方々のご出席をいただきました。ともに、全国から集まった代表の大幹部の皆さん方を、逞しい次への前進の総会ができましたことを、心から感謝申し上げます。(拍手)
 昭和三十五年五月三日、この壇上において、会長就任のその日、日達上人猊下より「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」とのご聖訓を賜わりました。私は、この日蓮大聖人の開目抄のご金言を体して、今日まで皆さん方の絶大なるご協力を得て王仏冥合への指揮をとってまいりました。また、本日を第一歩として、力弱い愚かな私ではありますが、来年の五月三日、すなわち会長就任満七年を目指して、真剣にこのご金言どおりに戦ってまいりますから、なにとぞご支援のほどよろしくお願いいたします。(拍手)
 私はただ、宗門を厳護し、そしてまた大聖人のご遺命である化儀の広宣流布達成のために、民衆の幸福と繁栄のために、一歩でも二歩でも王仏冥合の大業を前進させていかなければならない責任があります。しかし、広宣流布達成という大事はただただ御仏意であります。所詮、私ごとき凡夫の力によって決定されるものではありません。せめて私ち、日蓮大聖人の弟子として、新しい日本の社会を建設し、新しい幸福と繁栄の日本を開拓していこうと決意しておるものであります。したがって、正法を根底に広布の闘士として勇敢に戦っている皆さん方が、一人も事故なく、幸福を満喫しつつ、逞しく前進しきっていただきたい。これが私の願いであります。一人の犠牲者も出してはならない。一人も犠牲者になってもいけない。全部、日蓮大聖人の仰せどおり、各人が幸福になっていくための信心であり、学会活動であっていただきたい。
 すなわち、これからの王仏冥合への戦いは持久戦になります。一人一人が着実に信仰即生活を確立して、伸びのびと生き生きと、朗らかに前進していかねばなりません。一人の犠牲者があっても、一人の不幸な人があってもならない。その人たちを犠牲にして広宣流布したとしても、それは、日蓮大聖人のご本意ではないのであります。日蓮大聖人が喜んではくださらない。全民衆が、三大秘法の大御本尊の功徳に浴した福運に満ちみちて、楽しい一家和楽の生活が確立されたうえで、広宣流布を成就しようではありませんか。(拍手)
 創価学会は今日まで偉大な発展を成し遂げてまいりました。そこで、やれ公明党が第三政党になったなどというが、一応、事実には違いないが、社会は、そんな簡単なものではありません。これからも三障四魔が競い起ることは当然でありましょう。広宣流布の実現といっても、まだ全国で一人の市長も知事も送ることができない。衆議院もこれからで、何人立候補させられるかもわからない。それが現状であります。ゆえに、決してあせってはならない、勝っておごらず、負けてくじけず、着実に信行学に励み、力ある社会人としての基礎をつくりつつ、悠々と前進していかねばならないと思うのであります。調子に乗って、せっかく着実に築き上げた広宣流布への総仕上げの基盤と、その前進の歩みを崩してはならない。油断せず、さらに鉄の団結を固め、一歩、二歩と前進していこうではありませんか。(拍手)
 創価学会の精神、そしてまた信心は、牧口初代会長、恩師戸田会長以来、崇高なる精神を貫き、大御本尊にお仕えし、代々の猊下にお仕えしてまいりました。猊下を厳然と外護申し上げるのは創価学会以外に断じてない。一切の罵詈罵倒は、創価学会に、私にすべて集中しているのが、そのなによりの証拠ではないでしょうか。(拍手)
 もし、私がその三障四魔を防がなかったならば、三百や、五百の日蓮正宗の御僧侶で、一千万を越えるこれだけの信者を守ることがどうしてできましょうか。これを防いでいるのが創価学会です。この学会精神をどこまでも貫き通して、きょうから、さらに御法主猊下を、また宗門の御僧侶方を、ますます強く外護申し上げていこうではありませんか。(拍手)仏法上で真の聖僧は、日蓮正宗の御僧侶以外ありません。大聖人の真のご精神は、猊下が全部受け継がれており、私どもを、また法華講を、大慈悲をもって見守っていてくださいます。われわれはこの猊下のお心に応えて、さらに外護の任を全うし、日達上人猊下の時代に、広宣流布を成し遂げるという目標で、前進しようではありませんか。(拍手)
2  昨秋完遂した、正本堂建立のための三百五十数億の御供養は、全部、総本山へ御供養申し上げましたが、正本堂建立を中心とする総本山の整備には、そのほかにもまだまだ相当額かかることも承知しております。そのためには私が一生懸命働くなくてはなりません。また創価大学の設立についても、皆さんからの寄付は一銭も受けないで建設するつもりであります。全部、出版活動、新聞の発行などで得た収益を、一生懸命蓄積して、それらの費用に充てております。皆さん方の財務費もありますが、それも支部総会や経常費などで、すでに足りません。だが、今後も出版収入等を計画的に蓄積して不足分は充当してまいる決意でありますから、安心していただきたいと思います。(拍手)
 次に、これから述べることは、あくまでも将来の指針として話しておきます。
 創価学会は、牧口初代会長、そしてまた戸田前会長以来、「七つの鐘」を合い言葉に進んでまいりました。すなわち「第一の鐘」は、昭和五年より七年目の昭和十二年。昭和五年は事実上、牧口初代会長と戸田前会長によって、広宣流布の力強い第一歩を踏み踏み出した年であります。そして昭和十二年は、創価教育学会の結成式が行われた年であります。「第二の鐘」は、昭和十二年より昭和十九年にいたる七年間でありました。昭和十二年、創価教育会の結成式の年には、日華事変が勃発いたしました。それから七年目の昭和十九年は、牧口初代会長が牢死された年であります。「第三の鐘」は、昭和十九年より昭和二十六年の七年間。すなわち昭和二十六年は、戸田前会長の会長就任の年でありました。「第四の鐘」は、昭和二十六年より七年目の昭和三十三年まで、すなわち、戸田前会長のご去の年までであります。そして「第五の鐘」が、昭和三十三年より七年目の昭和四十年です。昭和四十年が、戸田前会長の七回忌ならびに大客殿の建立、および入仏落慶記念の三百万総登山の完了であります。
 いま私たちは「第六の鐘」を合い言葉にして戦っております。すなわち、昭和四十年より昭和四十七年までが「第六の鐘」であります。そして最後の「第七の鐘」は昭和四十七年より昭和五十四年になります。ここで「第六の鐘」はまだあと六年ありますが、この期間の目標の一つであった六百万世帯の完遂は、現実には、すでに五百六十数万世帯になっております。したがって、事実上、もう六百万世帯の達成は間違いありません。そこで更に実質六百万世帯を目標にして、昨年の本部幹部会でご了解をいただいたように、三十万世帯か五十万世帯を整理していきたいと考えております。
3  次に、第二の目標であった正本堂の建立も、皆さん方の誠心と力とによって、三百数十億円の御供養を行い、すでに完成したも同様といえましょう。いままで一部の評論家等は、創価学会は国家の権力を利用して国立戒壇を建立することが目的である、と物知り顔に批判してまいりました。これは創価学会の真実の姿を知らない、無認識の評価もはなはだしい暴論であります。だが、昭和四十七年度において、事実上の法門の戒壇が、清浄なる信者の手によって、すなわち民衆の力によって完成するのであります。したがって、評論家等が学会の崇高な精神も知らずに偏狭な境涯で勝手な憶測した国立戒壇論は、正本堂建立という厳然たる事実によって、もはや虚妄であったことが証明されるわけであります。国立戒壇という言葉は、大聖人の御書には一つもありません。あくまでも、民衆の力によってなされる本門戒壇の建立こそ、大聖人のご遺命どおりの実践なのであります。いずれにしても、七百年来の大聖人のご遺命である本門戒壇建立を、昭和四十七年度に、私どもの手によって実現できるということは、これほどの栄光はありません。(拍手)
 三番目の目標である文化会館の建設は、来年八月までには全部完了いたします。
 そして四番目の目標、公明党の衆議院の進出も間近にひかえて、すでに事実上のスタートをしております。
 次に、第七の鐘でありますが、これも将来のための指針として、概略お話ししておきたいと思います。
 昭和四十七年からちょうど七年目の昭和五十四年、これが一閻浮提総与の大御本尊、すなわち弘安二年十月十二日の御本尊建立より、ちょうど七百年目にあたるのであります。弘安二年は西暦一千二百七十九年でありますから、それから七百年目が昭和五十四年です。その一年前、すなわち五十三年は、戸田前会長の二十一回忌になります。その昭和五十四年までには創価大学等も一切完備いたします。また、その時までに、無理せず、口笛を吹きながら、悠々と達成する条件で、一千万世帯ぐらいの折伏を目標にしてはどうかと思いますが、いかがでしょうか。(拍手)
 一千万世帯の折伏は、今日までの前進からみると、それほど大変なことではありません。ここ数年間は、毎年百万世帯ぐらい増加しておりますので、このままゆけば一千万世帯をはるかに越してしまいます。したがって、毎年、実質は四、五十万世帯ぐらい、折伏していけば、悠々と達成できる目標です。それ以下でも結構です。(笑い)できなくてもいい。広宣流布は御仏意により、いつかは必ず成就できるのですから……。だが王仏冥合の旗印を掲げた以上、それぐらいの目標はもって威風堂々と勝利の駒を進めようではありませんか。(拍手)
4  昭和五十四年までには、参議院の選挙も四回あります。公明党の議員も少しは増加するでしょう。また、それまでに、日蓮正宗の寺院も、現在二百か寺ですが、五百か寺までの御供養を、絶対に成し遂げたいと考えております。学会の会館は、これは寺院より小規模な建て物ですから、第六の鐘の終る昭和四十七年までに、五百会館だけは完備する予定で進んでおります。以上のように、七つの鐘を目標に、お互いに福運を積み、各人がそれぞれ人生をエンジョイしながら前進していきたいと思うのであります。
 これで広宣流布の一つの目標を到達することになりますが、決して無理をして急ぐ必要はありません。それで、その昭和五十四年からもう十一年目までのばしてみると、その十一年目が、正応三年十月十二日、すなわち、いまの日蓮正宗総本山富士大石寺が創立されてから、ちょうど七百年目にあたります。世間では知らずに新興宗教などと悪口をいっているが、実際にはこのように長い歴史を持っております。それで、その年は、不思議に、戸田前会長の三十三回忌になります。師匠の追善供養を三十三回忌までに行なえば最高の報恩であります。またその年は、私が会長に就任して満三十年目になります。したがって、昭和五十四年から十一年目の昭和六十五年、西暦一千九百九十年、この年を目標にして、広宣流布の大総仕上げにかかりたいと決意しているしだいであります。(拍手)
 なお、この年までには、参議院の選挙は八回あります。また、衆議院の選挙もおそらく最低十回ぐらいは行われるでしょう。したがって、公明党も、その時までには議席もふえ党として非常に力がつくのではないかと考えます。また折伏も、一千万世帯の基盤は、すでに第七の鐘で昭和五十四年に達成すれば、六十五年までにはさらに四、五百万世帯ぐらいはふえるのではないかと考えられます。
 これはあくまで話として聞いていただきたいのですが、一千五百万世帯になれば、いまの日本の世帯数は、二千四百万世帯ぐらいですから、ゆうに全世帯の半分以上を占めることになります。そうなれば、釈尊の“舎衛の三億”の方程式は、事実上間違いなく、実現することは明らかです。その時まで、お互いに楽しみながら、個人の幸福と社会の繁栄を一致させる新社会建設を目指して、一歩一歩着実に前進したいと思いますけれどもいかがでしょうか。(拍手)また、そのころには、全世界に一国残らず、会館ならびに寺院を建立しようではありませんか。(拍手)この話も、ベトナム戦争で攪乱されたり、日本にクーデターが起きたり、アメリカと中共が戦争したり、という緊急事態が起これば、全部計画を変更しなければなりません。でありますから絶対に戦争を起こさせてはならない。広宣流布の達成が理想どおりに進むように、一念三千の偉大なる生命哲理を確信し、大御本尊に平和実現を祈りつつ、大衆を包容し、われわれが一切の道を切り開いて戦っていこうではありせんか。(拍手)
 なお、もしも戸田前会長の三十三回忌、すなわち昭和六十五年(西暦一千九百九十年)になって、広宣流布が達成できない場合は、あと十年で二十世紀が終わり、二十一世紀にはいります。その時には、男子部、高等部、ならびに中等部、少年部の人たちに、西暦二千年を期して、または十年前の西暦一千九百九十年の戸田前会長の三十三回忌を期して、二十一世紀にわたる、新しい創価学会の七つの鐘を打ち鳴らしてゆく戦いを託したいと思うものであります。(拍手)
 創価学会は、広宣流布達成を目指して、この方程式を何回となく繰り返しつつ、勇猛精進してゆく偉大なる使命をもった団体であることを確信していただきたいと、心からお願い申し上げるものであります。皆さん方の、ますますご健康であられんことを、心からお祈り申し上げまして、私の話を終わります。

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