Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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ハワイ友好平和の集い 生命の宮殿に金の思い出を

1985.7.1 「広布と人生を語る」第7巻

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1  このハワイの地は、太平洋底に連なる火山帯として、総本山大石寺のまします富士の火山帯とも通じている。また、アメリカへの入口でもある。その意味からも私は、世界広布の第一歩としてこのハワイの地を選んだのである。
 当時のハワイは、まだビルもあまりなく、今日の大発展からは思いも及ばない状況であった。またメンバーも約三十人ぐらいだったと記憶している。日本からの連絡も十分にとれず、空港に到着したとき、迎えてくれたのは一人の青年だった。宿泊をしたホテルも風呂もない部屋であった。このように世界広布の第一歩は、現在からは想像もできない苦闘のなかから始まった。
 その第一歩から、二十五年の歳月を経て、今日の世界的な広布の潮流が築き上げられたのである。
2  皆さん方は繁多ななか、生活に勝ち仕事も工夫し、今回のこのハワイの地の平和大文化祭に出演のため参加された。世界の広宣流布の一歩前進のうえからも、たいへん意義深い皆さん方の参加を、御本仏日蓮大聖人もかならずや称讃されているものと確信する。
 ともかく、自分自身の人生において、妙法を唱え、妙法を弘め、そして永遠に最高の人生、無上道の人生を歩んでいくということは、じつはこれは大変なことなのである。
 その大変なことを、皆さん方はいま現実のなかに実践されている。これはまことに尊いことであり、これ以上の人生はない。
3  仏法に「本有今有」との法理があるが、「本有今有」の人生について考えてみると、「本」とは久遠元初本地難思の妙法、すなわち御本尊である。その御本尊を受持し、妙法に直結していくのが「法有」であり、そこに根ざした現在の活躍が「今有」といえよう。
 末法今時において三大秘法の南無妙法蓮華経を根本としながら、人々のため、社会のために活躍していくのが、誉れあるわれわれ地涌の眷属の使命である。すなわち、自己の一生成仏と広宣流布とをめざしつつ、妙法の軌道に則り、他の世界ではけっして味わうことのできない最高にして充実した、輝く無上道の人生を生ききっいけるのである。
 その意義からみれば、根本が妙法に則った行動は、それがどんなにたいへんな労苦であっても、かならずや福運と功徳は事実のうえで証明されゆくのであり、また日蓮大聖人の御称讃も絶対にまちがいない。
4  また、信心していない人の人生でも名声や人気、金銭等にめぐまれ、一見、幸福そうに見える人も多くいる。しかし、妙法という根本に根ざしていない「本無」の人生は、まさに根無し草のようなものといってよい。それは三世の生命から達観するならば、はかなく瞬間的に消えていく沫のごとき幸福だからである。そこには、妙法を知る人のような真実の深き幸福感はない。
 ゆえに、若き地涌の友である皆さん方は、どれほど現在の自分の立場、自分の人生がすばらしいものであるかを知っていただきたいのである。
 その自覚ある人は、それなりの深き信心と人生の醍醐味を味わっていけるものである。またかりに、自分自身にはそうした自覚はなくとも、信心強盛であれば、その「本有」の立場は消えることはない。
 御本尊は、尊い仏子たちの活躍を絶対に忘れられることはない。諸天善神もかならず守ってくれる。因果の理法のうえからも、福徳が永遠に、生命の宮殿に築かれていくことを確信されたい。ここに、御本尊を根本とした、妙法広宣のための活動の意義があるのである。
 大切な皆さん方、地涌の若人が、わが胸中の宮殿に、楽しく有意義な金の思い出を、そしてすばらしき福徳輝く人生の思い出をきざみ、飾っていただきたい。それが私の希望であり、念願である。

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