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日蓮大聖人・池田大作

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豊島区第二回信心懇親会 深き信心に無量の善根

1985.1.12 「広布と人生を語る」第7巻

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1  本日は、豊島の新年の出発の集いであり、心から祝福申し上げたい。昨今では、土曜日は日曜日と連動して休日のような趣となっている。本来ならばご家庭でゆっくりと楽しいひとときを送っていただきたいが、このようにご出席くださり、感謝申し上げたい。
 本日は、この席を借りて、少々、所感を述べさせていただきたい。
 「豊島」と聞くと、まず思い出すのは、戸田先生がさまざまな講義をしてくださった豊島公会堂のことである。ここで、戸田先生は、法華経の方便品や寿量品を、そしてまた、さまざまな御書の講義をしてくださった。
 戸田先生は、この講義を通して私どもに正しい信心のあり方を教えられた。さらに、この妙法の広宣流布という使命を教えてくださったのである。
 こうした意味で「豊島」は、学会草創の淵源の地として、偉大なる歴史をきざんだ輝く国土世間である、と申し上げたい。ゆえに皆さま方には、この意義ある国土世間である豊島の地で、立正安国のために、さらに一歩一歩、着実な向上、前進をお願いしたいのである。
2  戸田先生の豊島公会堂での講義は、昭和二十八年の春ごろから始まっている。長い講義は疲れるものだ。戸田先生も無理をされ、ずいぶんとお疲れになったことを知っている。しかし、先生は、私どものために、正しい大聖人の仏法を知らせんがために、真剣に講義をしてくださった。そして、それはまた、私どもが広宣流布に励むことを願ってのものであった。
 人生の目的は、崩れざる幸福境涯の建設にある。それこそ、仏法で説く「成仏」であるといえよう。
 この個人の幸福を機軸として、さらに社会へ、国家へ、世界へと「幸福」と「平和」を広げていくことが、広宣流布の意義となるのである。日蓮大聖人の仏法の志向するところは、広宣流布にあることは論をまたない。それを教えるために、講義されたのである。
3  大聖人は、この正法を自分が受持していくだけでなく、自身も信心を深めながら、人々にも信受せしめるよう仰せになっておられる。私どもは、その仰せどおりに行動し、励んでいるわけである。これこそ、真の大聖人の門下であり、妙法の使徒としての道であり、最高の幸福な人生がここにあることを自覚していただきたいのである。
 戸田先生は、御書の講義をされるとともに、質問会もよくもってくださった。
 そこでは、さまざまな質問が出された。「信心してもなぜすぐに幸福になれないのか」とか、「すぐに功徳が出ない理由は何か」とか、「宿命に流される罰の生活は、なぜなのか」等々、こうした人生、生活の現実の問題について明快に教えてくださったのである。
 そして、信心しているがゆえに、かならず絶望が転じて蘇生の人生となりゆくとの強い確信を与えてくださった。希望と栄光を勝ち取ることのできる本源力が、この正しき信心であり、不幸と悲惨な人生が、強盛な信心によって宿命転換されることを訴えつづけてこられたのである。
4  私が青年部時代のこと、ある大先輩が言っておられた言葉を鮮明に記憶している。
 「われわれ凡夫は、大聖人のごとくほんとうの如説修行をしているかどうか、はなはだ疑問である。自分は自分なりに懸命に戦っている。しかし凡夫であるがゆえに過去遠々劫の罪業は見通せない。また今世の謗法にしても、なかなか自覚できない。そう考えたとき、たとえ自分の一生が功徳がないような苦しみの連続であったとしても、御本尊を疑う資格はない。大聖人の仏法を絶対に疑わず、いかなる事態に直面しても、最後の最後まで御本尊を信じぬいて広布に戦っていくことしかない」と言われた。
 現実の人生は、幸せに見えるときもあるし、不幸に見えるときもある。すなわち、仏法で説く「功徳」と「罰」の姿である。「功徳」の人生を生きていきたいのがとうぜんであるが、その裏には、不幸という「罰」の現実もまた避けることができないのが人生である。
 ゆえに、両者の現実を超克しながら、潔く、どこまでも前進していくところに、信仰者のあり方があることを忘れてはならない。
5  指導者が潔い信心に立っているところは、後輩の一人ひとりが、信心の次元はもとより、人格、生活のうえでもしっかりした骨格ができ、人材として育っている。
 反対に、確信あふれる信心指導をしないところは、なんとなく重苦しく、歓喜の息吹がないものである。要するに、後輩への信心の励ましと包容と訓練とを忘れたところは、人材は育たないのである。
 深い信心に立った先輩のもとでは、後輩もしぜんと信心の深さを知っていくものだ。もし先輩が信心もなく、謗法をおかしたり、信心利用などしていけば、あまりにも後輩がかわいそうである。
6  人材の林立こそ広布の実証
 法華経授記品に「法王之子 亦不可計」との経文がある。これは、「法王の子なる 亦計るべからず」と読む。
 授記品は、中根の四大声聞に成仏の記別を与えた儀式が述べられている品である。
 授記とは、成仏の記別を与えるということで、それぞれに仏としての劫(時代)・国・名号等の記別が授けられたのである。授記品では、迦葉をはじめとする四大声聞に対して成仏の記別が与えられたのであるが、ここでいう「法王」とは、法の王、すなわち仏の尊称であり、未来に成仏した時の迦葉のことである。
 また、この文のすぐ前に「諸の声聞衆の無漏の後身」とあるごとく、迦葉の眷属としての仏子たちが、数え知ることができないほど多くいるという、壮大なる経文なのである。
7  この経文は、一往は釈尊の仏法の範疇における広宣流布の姿を明かしているようにも思えるが、また私どもは、再往、末法万年にわたって、日蓮大聖人の仏法が無量無辺に広がっていくという意義あることを深く感じとっていきたい。
 まだ今日のように数えきれるほどの仏子の数では、この経文に通じない。つまり、社会のありとあらゆる分野に、たくさんの仏子が出てこなければならないわけである。
 声聞衆とは、ご存じのとおり、簡単に現代的にいえば、知性、感性にすぐれた社会の一流の人物のことである。その数のうえからも、釈尊の弟子に、大聖人の信徒であるわれわれが負けてはならない。
 また、このことから、現実的に広宣流布を広げていく組織においても、信心の意義からみるならば、大御本尊より授記をこうむったという、自覚をもつべきであろう。
 これは、あくまでも会通を加えたとり方になるが、それぞれの地域で、それぞれの方面で、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」との仰せを胸に秘めながらの、深い使命感と自覚を持つべきではないだろうか。
8  また安楽行品の「忍辱大力 智慧宝蔵(忍辱の大力 智慧の宝蔵あり)」との一節も、私の心に深くとどまっている経文の一つである。
 これはひとことにしていえば、仏の偉大な境界、無限の力用を説かれたものである。一往はインドの釈尊のことであり、再往は末法の御本仏日蓮大聖人の御事であられる。
 仏は、つねに一切衆生を救わんがために法を説き、仏種を植えていかれる。ところがその仏に対して、邪見の人、偏見の人、慢心の人がかならず迫害を及ぼそうとするものである。
 だが、仏は、忍辱の心を持ち、けっして遺恨なく、「忍難弘法」を貫き通される。仏の異名を「能忍」という意義はここにある。
 「魔」との戦いが仏法であるがゆえに、けっして「魔」に負けぬ「忍辱」の「大力」をもって進まなければ「成仏」もできえないし、社会での勝利も人生の深さも会得できないのである。
9  また「智慧の宝蔵」とは、法の立場でいえば、文上では法華経、文底では南無妙法蓮華経と拝せる。ゆえに、妙法を持ち、忍辱の修行に励む人の胸中には、無限なる「智慧の宝」がそなわっているのである。
 別していえば、大難の連続のなか、「忍難弘法」であられた日蓮大聖人の御姿のなかに、無量無辺の宝、無量無辺の智慧が蘊在しているとの経文である。その大聖人の御命である大御本尊のなかに、そのすべてが収まっているとの拝せるのである。
 ゆえにこの「智慧の宝蔵」であられる大御本尊に唱題し奉るとき、偉大なる仏力・法力に感応して、私どもの胸中の仏界が湧現し、過去遠々劫からの罪障は消滅され、さらに無量の智慧を得ていくことができるのである。ただし、信心の強弱によることはとうぜんのことである。
10  「難来るを以て安楽」を銘記 
 「安楽」といえば、ただ目前の楽しみにふけったり、波風のない平穏な人生を思うかもしれない。しかし、今が幸福といっても、世界も自分も、刻刻と変化していってしまうものである。動かざる安楽の境涯というものはありえないのが、人生の実相ではないだろうか。
 本来、仏法は、浅い現象面の「安楽」ではなく、より深く、より永遠的な「安楽」を志向したものである。
11  日蓮大聖人は、法華経「安楽行品」についての御義口伝に「今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」と御教示されている。
 「安楽行品」は、文殊菩薩が悪世に法華経を安楽に行ずる方法を問い、仏がこれに答えて身・口・意・誓願の四安楽行を説いたものである。つまり身・口・意・誓願の四安楽行の修行をし、一切衆生を救わんとするとき、仏果を得ることができるとの経文である。
 ここで大事なことは、末法においては、勧持品の予言のごとく、かならず「難」があるということである。だが、いかなる難があろうと、不退転の強き一念を貫いてこそ、厳として成仏の軌道へと入っていくことができる。つまり、難の風雪のその奥深くに、永遠的な「安楽」の花園は築かれていくのである。
 私どもは、この「難来るを以て安楽と意得可きなり」との御文を、よくよく銘記していきたいものである。
12  平々凡々と暮らすのもひとつの人生である。仏道修行に励み、人々のために苦労していくのも人生である。いかなる人生が悔いのない人生であるかを見つめ、どのような人生の送り方をしていくべきかを考えることが、大切ではなかろうか。
 戸田先生はよく「末法の悟りとは何か。それは南無妙法蓮華経を信じぬくところにある」といわれていた。
 退転して、気楽に生きる方が賢いという人もいるが、私どもは、大御本尊を信じ、大御本尊とともに、大御本尊のために生きぬいていけることは、最高にすばらしいことであると確信していきたい。
 あくまでも大聖人の仏子として生きることが正しいし、強いし、すばらしいと思っている。
 ともあれ、強盛なる信心こそ、行き詰まりのなき人生の悟りへの直道であることを知らねばならない。
13  「末曾暫廃」の御精神を胸に 
 如来寿量品に「末曾暫廃(未だ曾て暫くも廃せず)」とある。仏は衆生教化をいまだかつて少しもやめたことはない、との意味である。
 文上でいえば、釈尊は五百塵点劫以来、化導をされてきた。
 文底から拝すれば、日蓮大聖人は、遠くは久遠元初以来、化導されているということである。けっして、もうこれで終わろう、疲れた、つらいからやめようということは仏にはない。
 何回となく戸田先生は、講義や指導に出かけるとき、この「末曾暫廃」の言葉をいわれた。かなり体も弱り、疲れ果てておられるときでも、「仏が『末曾暫廃』であられたのだから、使命に生きぬく私も頑張らなければならない」と言って出かけられた。その言葉とお姿は、いまだに私の耳朶に焼きつき、離れない。
14  今、私どもも法王であられる日蓮大聖人の仏子として、広宣流布という“誓い”を果たしゆく使命を忘れてはならない。ならば、前途にいかなる苦難の尾根、波浪の大海があろうとも、「末曾暫廃」の精神で進んでいきたいものである。
 そして、永遠の生命からみるならば、まことに短いこの一生をば、人々に御本尊を教え、正法を弘め、社会のため、悩める人々のために貢献しぬいていく人生を送っていかねばならない。ここにのみ、永遠に残る“思い出”と“誇り”があり、三世にわたる功徳善根があることをけっして忘れてはならない。
 このように豊島は、広布のかずかずの歴史をとどめてきた戸田先生ゆかりの地である。どうか、石原豊島長を中心として、支えあいながら、大いなる豊島の建設のために、広布の深き思い出をきざみつつ、日々、精進されんことを念願し、本日の話としたい。

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