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日蓮大聖人・池田大作

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村山圏記念幹部会 ”励まし”がその人を躍動

1983.1.21 「広布と人生を語る」第4巻

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1  きょうはとくに”励まし”について考えたい。
 私は、これまで三十数年間の広宣流布への信心をとおして、数多くの同志と接してきた。そこで思うことは、どんな人も、かならずだれかから”励まし”をうけて今日があるという事実である。
 大御本尊の御下に広宣流布に進みゆくなかにあって、先輩の励ましがいかに重要であったかがうかがえるのである。
 現在の最高幹部も、ある人は高等部時代に、またある人は学生部時代、青年部時代に、かならずといっていいくらい”励まし”をうけ、それによってめざめた経験をもっている。あるときは無名の年配の婦人から、あるときは頑固そうな老人から、また先輩から、友人から、父親から、そして母親から、厳しくも温かい信心と使命感の励ましをうけ、それが大きな支えになってきたというのである。
 私も、戸田先生をはじめ多くの先輩の方々から、かずかずの励ましをうけてきた一人である。
2  往々にして、後輩をみるとすぐに文句をいったり、いやみのある注意をしたり、刺すように欠点をついたりする人があるようだ。
 大事なのは、その人を思う”励まし”であると思う。その人を思う真心からでた”励まし”のひとことが、躍動と成長をうながすのである。
 この一事をみても”励まし”のいかに重要であるかを、再確認しておきたいのである。
 人間は強そうで弱いものだ。いくら幹部でも、また社会的地位がある人でも、悩みもある。弱さももっている。ゆえに上下の差別なく、同志間の”励まし”が、信心と幸福への重要なカギとなっていくことを忘れてはならない。
3  精神医学の治療においても、まず粘り強く患者の話を”聞いてあげる”ことが大切であるという。同志の世界においても同じである。よく聞いてあげ、その人の悩み、行き詰まっているポイントをつかみ、アドバイスするとともに、成長の方向へ励ましてあげることである。
 たった一言が、その人の一生を決めていく場合がある。万巻の書よりも”励まし”の一言が大きい力となり、退転を防ぎ、勇気と希望の人生へと向かわせてくれることが少なくない。
 末法の宗生は、愚痴の宗生である。平凡のようにみえるひとつの励ましが、信心、人生のおおいなる原動力となっていくことを、よくよく知っていただきたい。
4  私は昭和三十五年五月三日に第三代会長に就任した。そのとき私は、宗門を外護申し上げながら、広宣流布にむかいゆく創価学会の将来への礎を築くことは、第三代の私の責任となったと強く痛感した。
 私の祈りは二つあった。いまから考えれば奇想天外だと思う人がいるかもしれないが、その一つは、大地震が絶対に起きないようにということ、二つは、毎年豊作が続くようにとのことであった。それは十年間、昭和四十五年五月三日まで真剣に祈りつづけた。
 大地震が起きれば家々が破壊される。御本尊様を失い、粗末にしてしまう人も出るかもしれない。人々の苦しみとともに、広宣流布の構想まで崩れ去ってしまうことを憂慮したからだ。せっかく発展しはじめた学会の基盤まで、同志の嘆きとともに失ってしまえば、広宣流布の道は遠くなってしまうことを恐れたのである。
 豊作についても、また同じである。豊作であれば、妙法流布に励む人々も、活動の源泉となる力を得る点で心配がない。戦後の食料不足はたいへんな苦しみだった。ともかく起伏を行ずるにも、唱題するにも、指導に行くにも、食料が十分でなければ力はでない。不作と飢饉は広宣流布を遅れさせてしまうことを痛感したがゆえに、豊作を祈りつづけてきたのである。
5  また、毎年正月を迎えるたびに心を痛めることがある。それは、その宗教の教義も何も知らず、ただ神社仏閣に多くの人々が初詣でをしているという姿である。
 日蓮大聖人の仏法を信受し、弘めゆく責任ある立場として、その数の多いことに、早く大聖人の大仏法を知らしめ、広宣流布の道をひろげていかねばならないという心の痛みを感ずるのである。不況になればなるほど、初詣でに行く人が多くなっているということを知るにつけ、その思いを深くせざるをえない。
6  人々はほとんどが、その詣でる宗派の「教」も知らず、「行」もしていない。それに対して、日蓮正宗の総本山はじめ各寺院、ならびに各会館での初勤行に集う人々は、一人ひとりが明確に教義を知り、勤行・唱題を整然と、また生き生きと行っている。そこには、真の信仰が脈動している。
 一日も早く、宗教心の漂流の旅を終え、正しき日蓮正宗の大道へと歩みゆかせたいものである。
 ともあれ私どもの信心で、本門戒壇の大御本尊まします正本堂を建立申し上げた。大客殿も、また多くの寺院も寄進申し上げている。さらに大折伏も展開してきた。これほどの功多き地涌の勇者を、諸天善神、三世の仏菩が守護しないわけはないと確信されたい。
7  広布の流れはしだいに深く、広くなっている。末法万年への序盤ともいうべき時代であるゆえに、これからもさまざまな苦労はあるだろう。
 しかし、この「根本の功」をつみきったわが創価学会員は、子孫末代まで続きゆく、深く強き功徳の根を張りめぐらしていることを確信され、勇気満々たる日々の仏道修行であっていただきたい。
 完成して間もない東大和文化会館を訪問できてうれしい。皆さまの真心の飾りつけに、思わず”大和王朝”を連想した。王朝風の雅びやかさと、豊かな詩情に憩うような思いだった。多忙な活動のなかにあっても、たまにはこのような優雅な風情にひたる余裕も、うれしいことである。
 新文化会館の落成、新出発の記念幹部会と、また皆さまにとってよき一年でありますように心から願いつつ、祝福を申し上げたい。

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