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少年部新春勤行会 親に心配かけぬ少年王者に

1983.1.16 「広布と人生を語る」第4巻

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1  今朝、大切な少年王者、王女の皆さん方に、次の言葉を書かせていただいた。
 「真実の正義の人とは この最極の信仰に 生きぬく人である」
 「最高に偉大な人とは 自らの信念を 生涯貫き通す人である」
 この揮毫を皆さんに贈りたい。幸せな時も、大変な苦しい時代となっても、一生涯、自分の決めたこの信念の道を進みぬいた人が、偉大な人間なのである。
2  次に、皆さんの将来のために、感じたままを数点、お話させていただきたい。一つは、最高の満足の人生のために、しっかりと勤行をし、唱題に励んでいただきたいことだ。
 御本尊は最高の法である。御本尊に南無妙法蓮華経と唱えていくこと以上の、大切な人生の道はない。このところは、大きくなっていくにつれて、だんだんわかってくると思う。
 たとえば、桜の木がある。春になれば満開の花を咲かせる。しかし、満開にいたらず、半分か、三分の一しか開かないままで嵐に吹きとばされたとすれば、桜の木の生命としても完全ではないし、不幸せである。人間もまた、同じく幸せを満開にせず一生を終える人が多い。
 しかし、御本尊に南無妙法蓮華経を唱えていけば、自分の才能、福運、幸せを、桜の花が満開となるように、咲き薫らせていくことができるのである。
 また、親孝行の人であってほしいことだ。日蓮大聖人も、釈尊も、孝養の大切さを教えられている。
 皆さんの年代で、親孝行とは、なによりも親に心配をかけないということだと思う。
 その心配をかけない一つは体を丈夫にして病気にならないことである。また学校にかならず行くことだ。非行の仲間にけっして入らないことだ。交通事故に注意することだ。いわんや、家出をするなどということは絶対にいけない。ともかく常識的なことが大切なのである。親に心配をかけないような良い子供をもった親というものは、これ以上の幸せはないと感ずるものである。
3  人間は、良い面と悪い面と両方をもっている。人生は成長するにしたがって、このどちらかへ分かれていくだろう。良いほうへ行けば、しだいに幸せな道が広がる。悪い道のほうへ行けば、かならず地獄のような苦しみの人生となってしまう。
 だからいまは勉強が好きでもいでも、小学校、中学校、高校と粘り強く勉強して、卒業していかなければならない。あとは大学生になったり、社会人となったときに、自分で自分の道がわかってくるにちがいない。
 皆さんは幸せの大道を人々に教える二十一世紀の指導者となる方々であるから、自身がまず親に心配をかけない人でなければならない。
4  最近は、小学生のなかにも、中学生の、高校生のなかにも自殺をする恐るべき傾向がある。尊い自分の命を自分で奪うとは、どんな理由があっても絶対にあってはならないことである。それは、人間としてもっとも卑怯な敗北の人生だからである。
 仏法上でも、法器である生命をこわすことは戒められている。
 ゆえに、どんなにつらくいやなことがあっても、生きて生きて生きぬいてほしい。それが正しい人間の道であることを、心の奥に刻んでおいていただきたい。皆さんにはだれしも使命がある。一人ひとりが新世紀への檜舞台で、社会のために、世界のために大活躍していける、妙法を持った偉大な人間に育っていただきたいのだ。
 キリスト教は、世界的な宗教となっている。これだけ世界に広がった理由はさまざまあるが、このキリスト教の信奉者のなかから、世界的な学者や政治家や財界人が数多く出たこと、そして、これらの人々がキリスト教を繰り返し宣揚したことも、大きな要因の一つとみられている。
 妙法の信奉者のなかからも、社会に貢献しゆく数多くの偉大な人が出なければならない。いまは、末法万年からみれば始まりなのだ。そのためにさまざまな迫害もあるが、日蓮正宗創価学会の広宣流布という大運動のうえで、二十年、三十年後に活躍しゆく皆さん方は、この一点を忘れず成長していってもらいたいものである。
 そこに、社会への大きな理解が広がり、恒久平和がしだいに実現していくことを忘れないでほしい。
 二十一世紀は、皆さんの舞台であり、時代である。ゆえに、その新世紀の時代をめざしながら、一つひとつ石段を上がっていくように、一年ごとに勉強しながら成長していくよう心から念願し、本日のあいさつとしたい。

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