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墨田区代表者の集い 日々御書の拝読を忘れるを

1983.1.14 「広布と人生を語る」第4巻

前後
1  広宣流布の原点の地の一つである墨田の地涌の友とともに、立宗七百三十一年の新春を迎えることが出来てうれしい。また「建設の年」の年頭にあたって、ただいま御本尊に、病弱の人は健康に、すべての家族が一歩幸せの前進をと御本尊祈念させていただいた。
 墨田の地は、かつて学会草創の次代に、蒲田、鶴見、小岩、杉並、足立等と並ぶ向島支部の城として「広宣流布」の基盤がつくられた大事な歴史の地である。現在の区の最高リーダーの方々は、その伝統を継いでまことに人柄も良く、そのスタッフの呼吸は見事であるといってよい。
 この一年、すべての面で他の区の模範となり、リードしゆく墨田であっていただきたい。第一にも第二にも、一人ひとりの会員に光をあて、組織のすみずみまで一歩強い絆の構築をお願いしたい。
2  新年の出発にあたって申し上げたいことは、今年は一人ひとりが一ページでもよい、一行か二行でもよい、御書の日々拝読をしていきたいということである。「信行」を深めゆく推進力は、御書を拝することである。御書を拝し、御書を根本としていかない指導は、しだいに我見や世法に流され、空転してしまうからである。いろいろな理由で拝読できない日もあるかもしれないが、御書拝読の姿勢だけは、けっして忘れてはならない。
 いかに多忙でも、またいかに難解であっても、御書を拝し研鑽する姿勢は、それじたいが求道心の表れである。また、御書を拝して信行に励んでいる人は、つまらぬ学会批判の記事などにけっして紛動されない。私も御書を拝読することを実行したい。皆さまもわかってもわからなくても、一文一句でも拝読していく努力を持続していただきたい。
3  とくに壮年、婦人の方々は、身体を大切にし、長寿であっていただきたい。それには、第一に睡眠を十分にとることである。睡眠はあらゆる栄養物よりも勝るといわれている。
 仏法は道理である。信仰もまた道理の生活でなければならない。不摂生をしたり、疲労を重ねたりして病気になったり、事故をおこしたりするようなことは愚かである。堅実な信仰と生活の一日一日で、人生の坂を上がっていくことが大切である。無理な活動をしていくことが信心であるかのように錯覚してはならない。
 その地域で長年のあいだ、信仰者としての実証を示してきた方々の存在がいかに重要であるかを忘れないでいただきたたい。それは、後輩もそうした先輩の方々の存在があるがゆえに安心して信心してきたし、また、信心していない人々も、それら信仰歴の長い方々の姿を見ながら、どれほどかこの妙法の信仰のすばらしさを感じとっているかしれないからである。
4  私も今朝、御書を拝した。その一節に「我慢偏執の心なく」云々と説かれている。
 御本尊には広大無辺の功力があるといっても、恐るべきはこの「我慢偏執の心」である。我慢偏執とは、簡潔にいえば、我見、慢心にとらわれることである。法を求め、みずからを成長させようとの心ではなく、自己の名聞名利を根本とし、執着している姿である。
 けっして我見、増上慢におちいってはならない−− との厳しき仰せと拝する。
 御本尊法主上人に師敵対した悪僧もこの「我慢偏執」になってしまったのである。
 学会を批判し悪口をしている連中もまた同じく「我慢偏執」のとりこになった哀れな人々なのである。
 信心の功をつみ、人生の頂上への坂を上がりゆく皆さま方は、この一点をよくよくかみしめて誤りなき信仰の道の達成をお願いしたい。
 われわれの信心は、どこまでも御本尊へと向かいゆく求道の心が根本でなければならない。それが「我慢偏執」を打ち破っていく根本である。こうして信心根本に、ともどもに正しく歩みゆく和合僧の団体が学会なのである。 本年も新しい決意で、御本尊への祈りと広宣流布への建設に、たがいに励ましあいながら、一生成仏の大道を、人生総仕上げの輝く道を進んでほしい。

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