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日蓮大聖人・池田大作

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宗祖第七百御遠忌慶讃二百万登山終了奉告… 総本山外護に更をる赤誠を

1981.12.20 「広布と人生を語る」第2巻

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1  霊山にまさる多宝富士大日蓮華山大石寺御影堂におきまして、ただいま宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌の終了奉告法要が、御法主日威上人猊下の大導師のもとに厳粛に奉修され、とどこおりなく終了いたしました。
 諸天も寿ぐなか、本年初頭より本日までの記念登山参詣者数は、法華講四万四千六百九十九人、学会二百四十六万二千百九十人、合計二百五十万六千八百八十九人となり、二百五十万を超えましたことを、ここに謹んで宗祖日蓮大聖人に御報告申し上げるものでございます。これひとえに御開山日興上人、第三祖日目上人等、御歴代の御上人方の御加護でありますことはとうぜんでありますが、なかんずく第六十七世日顕上人猊下の深き御慈悲と御威徳によるものと、ここに全信徒を代表しまして、謹み伏してお喜び申し上げるものでございます。
 昭和五十二年九月、もったいなくも慶讃委員長の大任を拝命し、微力ではありますが、御宗門の歴史的大偉業に不滅の足跡が残せますよう、全魂こめてその準備にあたらせていただきました。そして本日ここに御遠忌慶讃のいっさいの行事が円満成就できましたことを、私ども信徒一同、かさねてお喜び申し上げるものでございます。
 第七百御遠忌慶讃の本年、とくに御法主上人猊下におかせられましては、六月のアメリカ、カナダへの海外御親修をはじめ、北は北海道から南は九州・種子島にいたるまで、席のあたたまるいとまもなく、全国各地に尊い慈歩をお運びくださいました。一月から今日まですでに御親修あそばされた寺院数だけでも、五十一か寺におよんでいるのでございます。まさしく御遠忌にあたり、広宣流布成就に邁進あそばされた東奔西走の日々であられました。
 とりわけ各地の御親修におかれましては、われら信徒に甚深のお言葉ならびに御説法をたまわり、いまなおかぎりない喜びにつつまれているのでございます。そのなかでも広宣流布に進む私どもに対する誹謗、中傷がなにゆえに競い起こるのかという問いかけをなされ、それは結局、創価学会が本来、広宣流布のためと、総本山を護るという信念をもってこれまで前進してきたがためである、との御指南は、妙法広布に生きぬく私どもの、生涯にわたって心にとどめおくべき重要なお言葉と拝するのでございます。今後とも、御法主上人猊下の御指南を胸に、総本山厳護の誠を固くお誓い申し上げるものであります。
2  時あたかも本門戒壇の大御本尊、ならびに法灯連綿たる日蓮正宗の根本義たる唯授一人の血脈を否定せんとする愚人の徒輩が、狂い叫ぶように悪口雑言のかぎりをあびせておりますが、われらは、猊下の御指南を体して、ゆうゆうとそれらを乗り越えながら、広宣の誓いをはたし、もって歴史に厳と輝く青史をつくりあげたいと念願するものであります。
 日蓮大聖人の御一生は波乱万丈の崇高なる御一生であられました。いま、私どもは、涅槃経にある満身創痍になりながら覚徳比丘を守りし有徳王を鑑として、日顕上人猊下をお護り申し上げ、広布に立ちて波乱万丈の一生を飾りたいと願うものであります。
 思えば、私どもは立宗七百年の佳き年を迎えて、大折伏の法戦を開始し、いまここに、宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌を迎えて、盛大に慶讃奉修させていただきましたことは、まことに不思議のなかの不思議であり、私どもの広布の使命はひとえに御仏意と拝したてまつり、この名誉とこの福徳のいかに崇高なるかを感ぜずにはいられません。仏縁あつき地涌の菩薩の眷属であると、感涙にむせぶものは私一人ではないと思うのであります。
 明年は奇しくも第二祖御開山日興上人、第三祖日目上人の第六百五十回遠忌慶讃の年にあたっております。日興上人の峻烈にして厳格な死身弘法の御精神は「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」との遺誠置文のなかに、脈々ととどめられております。
 さらに数十回におよぶ諌暁を敢行なされ、天奏の途上、美濃垂井の地で御入滅なされた日目上人の壮烈な折伏・弘教のお姿こそ、広布大願に進む私どもの魂と拝すべきであります。
 この両御上人の大法会も、盛大に奉修せられますよう、私どもは最大の赤誠をつくす決意でございます。
 最後に、御法主日顕上人祝下のいよいよの御健勝と、御宗門のますます御隆昌、そしてすべてのご参列の皆さま方のご多幸をお祈り申し上げ、お祝いのあいさつとさせていただきます。
3  広布への指針−海外編

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