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高知支部結成22周年記念幹部会 身近な生活基盤を盤石に

1978.12.5 「広布第二章の指針」第14巻

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1  高知支部結成二十二周年を祝う佳き日にお招きをうけ、皆さん方の元気なお姿を拝見でき、心よりうれしく思っている。
 高知はこれからも、大聖人が仰せになっておられる”水の流れるがごとき信心”を、一人ひとりが信念強く貫き、楽しい人生を満喫しながら、生きいきとした長寿の生涯を送っていただきたい。
 高知は、六年半ぶりの訪問であるが、その間、尊い折伏行に挺身してこられた皆さん方の健康と無事安穏を、ひたすら御本尊に祈念してきたことをご理解願いたい。
 明年は「人材育成の年」であるが、この主題を基調に、四国は「四国躍進の年」と銘打っていくことが四国最高会議で決定された。まことに喜ばしいことである。仕事の上でも、一家の和楽建設の上でも、さらに折伏弘教の上でも、おおいに躍進をお願いしたい。
 どのように過ごそうとも一年は一年であり、あっという間に過ぎ去っていくのが人生である。皆さん方は、自身の宿命転換の躍進、幸福への躍進、福運を積む躍進を決意して、最高に充実した一年を送っていただきたい。
2  広布は長期の遠征である。また、現実の社会は、ますます不景気の様相を呈してきている。したがって、生活面においても、明確な長期の展望のもと、とくに足元の経済的な基盤を盤石にしていくことが大切である。
 展望なき人生は長続きしない。また土台である生活のリズムが乱れていては、この厳しい現実を乗り越えていくことはできない。すべては「信心即生活」である。身近な一歩を大切にしながら、生活のより以上の安定と向上のための強盛な信心を願いたい。
 いつも申し上げていることであるが、ここ高知においても、僧俗和合への基本の徹底をよろしく願いたい。僧俗和合の路線はわれわれの永遠の指針である。理想的な僧俗和合をめざしながら、ともどもに努力し、ともどもに仲よく楽土高知を築いていくよう、心より祈っている。
3  私どもの信心は、御本尊におしたためのごとく、現当二世にわたる信心である。あくまでも、現在から未来へと福運を積みたがら前進していくための信心なのである。そこに過去世からの一切の罪障消滅もなされるのである。
 したがって、過去のことにとらわれて、怨嫉したり、批判的であったりすることは、大聖人の教えに反するがゆえに、ともどもに戒めあっていきたいものである。
4  御本尊の功徳は万人に平等
 法華経の「普賢菩薩勧発品」に次のような文がある。
 「普賢、若し後の世に於いて、是の経典を受持し、読誦而せん者は、是の人復、衣服、臥具、飲食、資生の物に貧著せじ所願虚しからじ。亦現世に於いて、其の福報を得ん」(大石寺版「妙法蓮華経並開結」670㌻)
 この経文からわかるとおり、末法の法華経である三大秘法の御本尊の偉大なる功徳は万人にあまねく平等である。御本尊を受持し、如説修行しゆく人は皆、所願満足の境涯に入っていくのである。
 現代の如説修行とは、大聖人の仏法の自行化他にわたる実践であり、広宣流布に生きぬくことである。そのために、なによりも重要なことは、勇気ある信心を貫くことに尽きる。そして、信心とは結局は、大御本尊に対し奉る確信である。
 高知の友は、いかなる苦難にも一歩も退かず、信心の誉れの凱歌をあげゆく大果報の一人ひとりになってもらいたい。
 さらに「若し人有って、之を軽殿して言わん(中略)若しは実にもあれ、若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑すること有ん者は、当に世世に、牙歯疎欠、醜脣平鼻、手脚繚戻し、眼目角睞……諸の悪重病あるべし」(同671㌻)ともある。
 これは、御本尊を誹謗し、あるいは、如説修行に生きる人を軽段する者の、絶対にまぬかれることのできない結末であり、妙法の厳しき因果の法理である。
 また、怨嫉は功徳を消す大敵であるゆえに、せっかくの大功徳を積みゆく人生軌道にありながら、つまらない怨嫉などをして功徳を消すことのないよう、所願満足の心晴ればれとした一生をかざっていただきたい。

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