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第2回信越支部長会 安心、思いやり、納得の指導を

1978.11.5 「広布第二章の指針」第14巻

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1  仏の偉大さを讃えて十種の呼び名があり、これを「十号」ということは、皆さんもご存知のとおりである。その一つに「能忍」というのがある。もちろん、われわれ凡夫は次元は異なるが、いかたる苦難にも能く耐えて仏道修行に励み、成仏をめざしていくことが大切である。広布の指導者として、われわれはこのことも深く銘記していかなければならない。
 たとえば愚痴の衆生がいる。その愚痴を忍耐強く聞いてあげることも、一つの大事な振る舞いである。そのためにも、慈愛という相手を思いやる心が必要である。
 疲れて指導することが非常につらいときがある。多忙で面倒くさくなるときもあるだろう。しかし、広布の指導者は、指導を求める人々に対応することが最大の仏道修行と決めて取り組んでいかなければならない。すたわち、弱い自己を乗り越えて、後輩のために尽くしていく、その思いやりに満ちた姿それじたいが、自身の変革でもあり、後輩への激励でもあるのだ。
 また仏の号に「世間解」とある。われわれは、凡愚であり、同次元では論じられないが、あくまでも御本尊を根本として、勇気ある信心の確信の上に立ち、どこまでも自分らしく、豊かな常識と経験をもって相手が心から納得できるよう指導していくことが、この一分に通じよう。
 そこには虚勢を張ったり、むずかしく考えたりする必要はない。自分でわからないことは、先輩に聞いて教えるなり、こういう御書の一節や体験があるから参考に、というようにたんたんと指導していくことだ。ともかく根底の確信を失うことなく、常識豊かな指導を願いたい。
 指導することは、指導をうける人に安心感を与える作業ともいえる。
 人間の心というものは、縁に紛動されやすいものである。その不安定な心に「善知」を教え、確固たる「信心」の確信を深めさせていけるかどうかが、もっとも大事な指導者の要件なのである。
2  支部員は”全員が人材”であるとの信念をもって、指導にあたっていくべきである。その具体的な姿として、全支部員を自分の弟のごとく、また妹のごとく大切にし、どこまでもおおらかに包容していっていただきたい。そして、つねに広々とした余裕をもち、自分の兄弟の家や、また子供や孫たちの所にいって話しあうような心で、あたたかな激励の手をさしのべていくよう願いたい。
3  また「世雄」という仏の号も説かれている。これは”この世でもつとも強く勝れた第一人者”ということである。われわれもまた、信心によってその一分を会得していかなければならない。
 具体的には、社会のだれからも「やっぱり信心している人は違う」「優しくて礼儀正しい、あの凛々しい姿にはいつも教えられる」といった信頼と理解を得ていくことである。
 また対話するにしても「あの人はいつも公平であり、われわれも平等の立場から話ができる。しかもそうしたなかにあっても、彼の確たる信念の主張には感服させられる」といわれるような存在をめざし、どこにあっても御本尊根本に自在の活躍をしていっていただきたい。
4  われわれは凡夫である。大勢の凡夫が集まれば、当然そこには、心が痛むような無理解に苦しむこともあるだろう。しかし、自分の兄弟であり姉妹であるならば憎めないように、慈愛深く後輩の育成に力をそそいでほしい。
 この楽しい支部長会を信越の伝統行事として、今後も有意義に開催していくよう提案申し上げて、本日の指導としたい。

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