Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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静岡・伊豆圏壮年部勤行会 遊楽の人生のために唱題を

1978.8.20 「広布第二章の指針」第14巻

前後
1  三大秘法の御本尊に南無妙法蓮華経の題目を唱えぬいていくところに、真実の遊楽も満足の人生も築いていけるのである。現実の人生は、さまざまな苦悩との対決の連続といえるかもしれない。しかし、いかに苦しいこと、悲しいことがあったとしても、強盛な信心さえあるならば、すべてを変毒為棄していけるのである。これが日蓮大聖人の仏法である。
2  仏法で説く幸福観は、人から与えられて築くといった相対的なものだけではけっしてない。「自受法楽」と経文にあるとおり、御本尊に題目を唱えることによって、みずからの肉団の妙法が涌現され、そのかぎりなくわき出る英知と勇気あふれる生命力で、色心、依正ともに満足しきっていける絶対の幸福観なのである。
 したがって、幸福の鍵は自分のなかにあり、真実に遊楽していける根源力も自分のなかにあることを忘れないで、いちだんと強盛な信心で、みずからの仏性を開いていっていただきたい。
3  相対的な幸福感というものは、時とともにいつしか消えていく。そして一時の充実感が去ったあとには、むなしさが残ってしまうものだ。また、宿命転換の法則を知らぬゆえに、世間には、不幸のままで人生を終わってしまう例が数多くある。
 われわれは、楽しいときも苦しいときも、水の流れるようなたゆみない信心を繰り返していくなかで、だれびとも壊すことのできない福運の根を広げ、人間として生きることそれじたいが楽しいといえる、一生成仏への大道に入っていけるのである。しかも、一切衆生が平等にこうなれると大聖人は仰せである。ともどもに感謝しながら、さらに仏道修行に邁進していきたいものである。
4  私をはじめ、みな凡夫の集まりが学会であるが、三世を通暁なされた御本仏の仰せどおりの正しい信心で、どこまでも総本山を外護いたしながら、広宣流布に向かっていく弘法の団体なのである。したがって「当に起って遠く迎えて当に仏を敬うが如く」の精神で、互いに仲よく、後輩を大切にしながら前進していかねばならない。
 正しい信心において大事なのは、自行化他にわたる実践である。また、同じ仏道修行でも、楽しみながら喜び勇んで行うのと、愚痴や文句をいいながらやるのとでは、結果が全然、違ってしまうものだ。すべては、どのような信心で受け止めるかによって決まる。いつも歓喜につつまれた信心即生活であってほしい。
 ともあれ、大御本尊は絶対であられる。あとは私どもの信心が正信でなければならないのである。いよいよ強盛の信心を貫き、善悪をするどく見極めながら、賢明にそれぞれの地域の繁栄を担っていかれるよう心より念願し、本日の指導とさせていただく。

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