Nichiren・Ikeda
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第3回各部代表懇親会
団地に心温まる世界を拡大
1978.3.13 「広布第二章の指針」第13巻
前後
1 わが国の住宅事情のなかで、団地の占める位置はますます大きくなっている。しかし、そこには、寄合所帯であるため、人間関係が希薄となり、どうしても利己主義的な傾向に陥りやすい等の欠点があるといわれている。
学会の組織にあっても、団地に住む人には、いわゆる転入、転出の機会が多く、そこに担当幹部の苦労があることもよく理解しているつもりである。壮年部のなかには、遠距離通勤で、会合に余裕をもって参加できず、悩んでおられる人もいることと思う。
とはいえ、その環境から逃避しようとするのは賢明ではない。
御書にも「日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり」と仰せられているように、妙法をたもつ者の住処は、いかなる所であっても寂光土である。いな、寂光土に変えていくことができるとの、ありがたい仰せと拝せよう。
さらに「此を去って彼に行くには非ざるなり」ともある。
「此」とは、現実の社会と考えられる。いまいる所、生活の場が、すなわち本有常住の地なのである。この現実を逃避して「彼」に何かを求めていこうとするのは、夢を追う観念的な生き方といってよい。それぞれの地域で、盤石の人生を飾るのが、われわれ信仰者の基本的な生き方でなくてはならない。
しょせん、いかなる環境も、人間から出発するものである。したがって、そこに住む人の一念によって、いかようにでも環境を変革していけるというのが、仏法の卓越した原理なのである。
皆さん方は、その一人となって、わが団地世界を心から愛し、その地域になくてはならない”妙法の光源”となっていただきたい。団地は、いわば”小さな合衆国”ともいえる。それぞれ異なった生活を営む多様な人人が、一つの世界のなかで、団地特有の環境をつくりあげているわけだ。この他の地域にはみられない特徴は、かならずやかけがえのない長所に転化できるものと信ずる。
生活の場の共通の事項が、心と心、精神と精神との固い結びあいという次元にまで高められていくとき、未来は明るく洋々と開かれていくものと、私は期待したい。
その具体的な実践の場こそ、座談会である。人間は一人では生きられないものだ。人間対人間の不断のふれあいがあってこそ、人間はみがかれ、精神の境涯も高めていけるのだ。孤独と遮断の世界から、融合と協調の世界へと転じていけるのである。
学会の座談会は、このもっとも大切な人間革命のための交流と推進の広場である。ゆえに座談会を、団地における精神のオァシスとして、いちだんと力をそそぎ、充実、興隆させていくようお願いしたい。
2 団地は立地条件からして、どうしても郊外へ郊外へと伸びていくのはやむをえない。そのため、都心部に通勤する人は、夜の会合に遅れることもあるにちがいない。また、仕事が忙しいときには出席できない場合もあるだろう。
しかし、そのことを、ことさら重荷に感じる必要はない。ただ、求道心と努力だけは失ってはならない。できる範囲で努力していこうとする姿勢が、尊い信心の発露となって輝いていくのである。先輩幹部も、その点、よく理解し、応援もしてあげていただきたい。
ともかく団地にあって、学会の心あたたまる世界を広げていくことは”小さな合衆国”の精神の絆をつくりあげていくことであり、それはそのまま二十一世紀の一つの縮図と考えられる。
新しき世紀の建設に立ち向かう皆さん方の、いよいよの健康とますますの奮闘を心よりお祈り申し上げ、本日の指導とさせていただく。