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日蓮大聖人・池田大作

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第二東京・東北・信越合同本部長会 時にかなった信心を

1978.1.8 「広布第二章の指針」第12巻

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1  先日、ある著名人と懇談の機会をもった。その人は、創価学会のこの三十年の堅実な発展を、高く評価するとともに、これからの時代相は、もはや大股で歩く時代ではなく、足元に注意しながら、自分で自分を守る時代になろうと語っていた。
 まさしく、乱世の様相が一歩深まった感のする社会ではあるが、われらは、尊い仏意の使命を体し、大正法を流布しゆくことこそが、時にかなった信心であることを心得ていこう。
2  支部制の設置
 大聖人の仏法の実践は、随縁真如の智にある。したがって、時代の進展とともに、より広宣流布が開かれていくことを願って、現実的な組織の変革を行うことも当然である。その一つとして、すでにご承知のとおり「支部体制」が敷かれることになったことを、ご了承願いたい。
 これにより、多くの支部長、支部婦人部長等が誕生するわけであるが、幹部諸兄は、第一級の人材たらしめるために、あたたかく擁護し・激励を願いたい。
 いくつかの会館という法城ができあがったが、つぎに、人材の城をつくらなければ、広宣流布のさらなる構築はできない。そのために、支部長、婦人部長という人材の養成が急務になってきたのである。
 かつて、戸田前会長が学会を再建した当時は、全国で十二支部の布陣であった。それが一つの淵源となって今日の大河の流れとなり、偉大なる人材の長城を築くための支部体制の確立となったわけである。
 その途中において、プロック単位の組織へと移行したが、これはいうなれば、折伏系統の組織が、いったん地域というヨコの組織に統合されたものであり、必然的に県単位、区単位の運動となったということである。
 信心とともに、人間革命とともに、組織も、より深く広く発展させていかなければならない。また随縁真如の智で、時代の動向をも鋭くとらえ、先取りして、近代的な組織としていくことは当然のことといえよう。そうでなければ、組織のみあって、その実態は死の組織となりかねない。
 死の組織は、もはや人間のためのものではない。組織にしばられ、目的も前進もないカラ回りとなってしまうであろう。ゆえに学会は、時に応じて変革していくのである。
 しかし、それはあくまでも、人間が少年期から青年期、そして壮年期へと成長の節を刻んでいくのと同じように、より深く広く時代即応のリズムにのっとって、いわばタテ糸とヨコ糸の織りなした中道の組織へと発展していることを知っていただきたい。
3  一滴の水も大海に等しい。一微塵といっても地球の土に等しい。
 御本仏日蓮大聖人は「たいをなめて大海のしををしり」と仰せである。日寛上人も「三重秘伝抄」のなかで「法界の全体は一念に其上念の全体は法界にあまねし、譬えば一微塵に十方の分を具え一滴の水の大海に遍きが如し云云」と述べられている。
 この仏法原理を私どもの立場にあてはめていえることは、大組織の長といっても、一ブロックの小さな組織の長といっても、広宣流布に向かう使命と責任、そしてその功徳はなんら変わるものではないということである。また、大きな組織を動かすといっても、小さな組織を動かすといっても、その人の一生成仏、仏道修行にはなんら変わりはないのである。
 戸田前会長は講演集のなかで、このように述べている。「学会の会長だから、あなたは仏さまだろう、あなたは如来さまだろう、と新聞記者なんかにいわれたものである。そのときに、自分はこれほど腹立たしいことはない、自分はあくまでも凡夫であり、人間である、と答えた。これが学会の最大の強みであるからだ」と――。
 この恩師の話と同じように、私ども信徒が南無し帰命するものは、御本尊だけである。あくまでも私どもは平凡な人間であり、凡夫として、この偉大なる大正法を弘めていくところに、真実の仏法者としての誇りがあることを忘れてはならない。
4  柿の実も、秋にならなければ熟さない。真冬では熟さない。ありとあらゆるものが、時に従っている。と同じように、仏法を学び実践するうえにおいてもまた、もっとも大事なことは時にかなうことである。末法という時にかなった唯一の正法が、三大秘法の南無妙法蓮華経であり、その社会における実践でもっとも大事なことは、開目抄等に仰せの、ことく、折伏を行ずるということである。
 この末法においては、御本尊に対する唱題、また折伏即広宣流布という実践をしなければ、時にかなった信心とはいえないのである。いま、宗門、学会が、大御本尊に照らされながら、折伏弘教即広宣流布というおおいなる一本の道に邁進しているということは、時にかなった信心即活動であると、強く確信されたい。
 ともあれ、人間はいつか死ぬものである。そのときに、広宣流布のために、多くの会員の面倒をみた人は、かならず唱題回向もされるであろう。仏法を教えてくれたという恩を忘れないで、このようにその人の生命に、唱題と感謝の念を刻みつけていけることは、まことに尊いことである。
 法のため、人のため、そして自分自身の一生成仏のために仏道修行に励むということは、この乱世の社会にあって、まことに尊く、まことに誇りたかき人生であることを銘記されたい。
 創価学会も、再来年で創立五十周年の佳節を迎えることになった。五十年といえば、人生にあてはめても、いちばん働き盛りの年代といえる。いわば、私たちは、七百年来の広宣流布の、もっとも充実した建設期を担っているのである。
 大御本尊へのひたぶるな信心を根本に、われらで築きあげたこの歴史を、さらに盤石ならしめることを最大の名誉として、再びこの末法広宣の険難の尾根を登攀しぬいていただきたい。

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