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第216回10月度本部幹部会 広宣流布一筋に悠々と邁進

1977.10.25 「広布第二章の指針」第11巻

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1  戸田記念墓苑について
 最初に、私どもの恩師戸田城聖先生の故郷一北海道の厚田に完成した戸田記念墓苑の自由見学会について提案申し上げておきたいのであります。
 この戸田記念墓苑は、正式には「日蓮正宗創価学会戸田記念墓苑」と、日達上人猊下が命名してくださったものであります。
 この記念墓苑は、昭和五十年七月に構想を発表して以来、わずか二年にして落成竣工の運びとなり、さる十月一日から盛大に開苑記念の慶祝行事を行ってまいりました。
 これもすべて皆さん方のおかげであり、厚くお礼申し上げます。ありがとうございます。(拍手)
 そこで私は、この戸田記念墓苑での有意義な信心と人生の思い出を、全国の同志にも共有していただきたいという意味から、明年の四月から十月にかけて、自由見学会を実施してはどうかと提案したいのですが、皆さん、この点いかがでしょうか。(大拍手)それでは決定させていただきます。
 期間については、冬の期間は寒くてたいへんのようですから、いちおう避けたいと思います。そこで北海道の大自然で伸びのびと浩然の気を養い、思い出の旅としていただきたいのであります。副会長室会議でも協議した結果、春四月から秋の十月までとしましたのでご了承ください。
 ともかく北海道には、また一つ戸田記念墓苑という新しい名所が誕生いたしました。
 この緑なす厚田村の丘陵は、その地名も望来――希望が来る――という所で、恩師の遺徳をしのび、全国の会員同志の幸せを祈り、かっ先祖代々の追善回向を行うにふさわしい、わが創価学会の生命の故郷といっても過言ではありません。開苑式のとき、私はこの戸田記念墓苑を”生死不二の永遠の都”と意義づけました。
 美しい夕映えに輝く、雄大な日本海を眼前にしながら、その地形はまさに”空飛ぶ者の王たる鷲”の舞い征くさまに似た戸田記念墓苑であります。
 どうか皆さん方は、おおいなる福運を積んで、ご夫婦で、または親子で、または同志といっしょに、この地を訪れ、衆生所遊楽のひとときを送っていただければ、幸いであります。
2  恩師の大確信
 次に、戸田先生が、若き日(三十八歳のとき)に、ある親戚の方に送られた手紙があります。昭和十三年の手紙で、まだ戸田先生が戸田城外と名乗られていたときのものであります。
 その手紙の内容は――「人生は不幸なものではない。居る所、住む所、食う物、きる物に関係なく人生を楽しむ事が出来る。人生の法則を知るならば、人生は幸福なのだ。何事も感情的であるな。何物も畏れるな。何事も理性的、理智的であれ。そして、大きな純愛を土台とした感情に生きなくてはならぬ。敵味方を峻別せよ」というものであります。
 また、同じく昭和十三年のもう一つの手紙のなかには、このようにあります。
 「私は仏教を信じている。仏教の極意は仏の道を行ずる事だ。仏には怨みや怒りやそねみはない。人を助ける事が仏の道だ。だからお前も上京したら仏道を行じて、仏を信じてもらひたい。真の仏教を信ずる事、それ丈が私の家の家憲だ。それさえ守ってくれれば私は満足だ。……仏道を行じ心を磨く為には私の家はよい所だ」と。
 このように、恩師の若き日の手紙は、そのまま心あたたまる、たんたんとした指導であり、折伏となっております。
 最初の手紙のなかで、戸田先生は「人生は不幸なものではない」と指導されています。しかし、現実には、経文にも説かれているとおり、この世は娑婆世界である。娑婆とは堪忍の義――すなわち、耐え忍んでいかなくてはならない世界なのであります。この意味からすれば、この末法の現実社会に生きる人間は、ぜんぶ不幸といえるかもしれません。
 しかし、私どもは、宇宙究極の法、すなわち万法の体である御本尊を受持したことによって、正しい信心ができ、正しい生活のリズムに乗っていくことができる。どのような不幸な境遇であっても、変毒為薬という仏法原理によって、ぜんぶよりよい方向へ、楽しみの方向へと転じていけるのであります。
 この鋭い洞察のうえから、恩師は「人生は不幸なものではない」との確信を述べられたわけであります。
3  「居る所、住む所、食う物、きる物に関係なく人生を楽しむ事が出来る。人生の法則を知るならば、人生は幸福なのだ」というのは、まさしく、仏法の極理の表現であります。御本仏日蓮大聖人は、あの極寒と飢餓と生命の危険のなかにあった佐渡の地で「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」とも「喜悦はかりなし」とも仰せられています。
 一方、大きな家に住み、生活になに不自由ない人は、一見、幸福そうにみえます。しかし、そういう表面だけではわからない深刻な苦悩に満ちているものであります。真実の幸福とは、そうしたものに関係なく、その人の生命そのものの充実感、充実度で測られるべきであるとの恩師の達観であります。ここに、私は、ほんとうの人生観というものがあふれていると思えてならないのであります。
 また、恩師は「仏には怨みや怒りやそねみはない」といわれながら、他方では「敵味方を峻別せよ」と、おっしゃっている。ここにも重大な意義があります。
 敵と味方が峻別できなければ、現実において敗北してしまいます。敵を敵と見定め、味方を味方と明確に判断しつつ、なおかつ一切衆生を救っていく戦いが、真実の仏法の慈悲なのであります。
 戦前、恩師が、ある親戚の方に送られた手紙の一節でありますが、創立四十七周年記念の意義を込めて紹介させていただきました。
4  不況には賢明に対処
 次に、信心即生活の基盤を盤石にということを申し上げておきたい。とくに、不況には賢明に対処していってください。信心の英知を輝かせながら、一日一日を粘り強く、着実に価値創造しゆく生活であっていただきたい。
 残念ながら経済不況は、日本的にも世界的にも、いちだんと深刻の度合いを増して進行しているようであります。先日もある経済界の著名な人と懇談する機会がありましたが、日本の将来の経済状態をめぐって、その人は「もはや衆気が回復する時代はないであろう」と鋭い分析をしておりました。その人はまた「なかんずく十年後が心配である」とも語っておりました。
 このような未来を憂うる発言は、この著名人にかぎらず、心ある人たちの一致した考えとなっているのも事実なのであります。
 したがって、こうした時代状況というものを深く理解せず、自覚もせず、時流にまかせた主体性なき生き方では重大な破綻をきたしてしまうことも、私たちはけっして忘れてはなりません。このようなときは、ムダを省くなどして足元をしっかりと固め、いざという大事な時のための余力を十分に蓄積することが、もっとも賢明な生き方といえるわけであります。
 御本尊には「八幡大菩薩」とおしたためであります。この「八幡」とは、富士宗学要集第一巻にありますように、「八」とは法華八軸、すなわち妙法のことであります。「幡」とは巾に米、田と書きます。すなわち、われわれの衣食住の基本的生活条件をいうのであります。ゆえに、八幡とは、妙法根本の生活、信心即生活のリズムを意味していることを知っていかなければならないわけであります。
 ともかく仏法は、最高の常識の哲学であります。互いに、この仏法者たる襟度を失わず、どこまでも御本尊を根本として、いちだんと福運の威光勢力を増しながら、一人も苦しまないよう、だれびとも不幸にならないよう、御本尊のもとに、さらに団結を固め、指導しあい、激励しあって、悠々と楽しく二十一世紀の高山を登攀していっていただきたいのが、私の唯一のお願いであります。
5  一九九〇年めざし万代の基礎を
 ここで、来年およびそれ以後のことを、若干申し上げておきたいと思います。
 来年の三月十六日は「広布の記念式典」から二十周年であります。これは、恩師が広宣流布の後事を一切、私どもに託された思い出深い日であります。いまや、恩師の遺言の偉業は、皆さん方のお力によって、ことごとく遂行いたしましたが、それをさらに推進し、拡大し、万代までの基礎をこれからも深くつくっておく決心でございます。
 四月二日は、恩師戸田前会長の二十一回忌法要を行います。私は、これは最大の報恩の赤誠を尽くして盛大に実施したいと考えております。
 十月十二日には、大御本尊建立第七百年の佳節を迎えます。それにつけても思うことは、日蓮大聖人が戒壇の大御本尊をご建立あそばされて以来七百年の今日、これほど多くの日蓮大聖人の門下が広宣流布、そして令法久住に喜々として活躍している姿を、御本仏はどんなにか嘉せられていることかと深く信ずるのであります。
 また、昭和五十五年(1980年)の二月十一日は、戸田前会長の生誕八十年、十月二日は、私が海外に第一歩を踏み出してから満二十年の日であります。十一月十八日は、創価学会創立五十周年の日であります。
 ゆえに、明五十三年から五十五年にいたるこの三年問は、あらゆる意味で創価学会半世紀の仕上げともいうべき時期であり、学会総体の基盤をつくる重要な年であります。
 さらに、昭和五十六年(一九八一年)の十月十日から十五日までの六日間、日蓮大聖人の第七百遠忌が行われます。本年四月、日達上人猊下から、私に対し、その委員長のご要請が、ございまして、九月三日に正式に慶讃委員会が発足いたしました。宗門、そして学会にあっても世紀に残る儀式を展開したいと決心しておりますが、よろしくお願い申し上げます。(大拍手)
 日本に仏法が伝来して七百年、末法御本仏の日蓮大聖人のご聖誕があられた。また、聖滅七百年を、私たちは眼前にしております。
 いまにして思えば、日蓮大聖人の尊きご生涯、そしてお振る舞いのすべてが、滅後の日蓮門下への遺言であると考えられます。なかんずく日興上人のご遺誠である「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」との仰せは、師弟不二のうえから、そのまま日蓮大聖人の御遺言であると拝されるのであります。ゆえに、私たちは、聖滅七百年の日を、赫々たる太陽の仏法が、人類にいちだんと脈動していく新しい門出の日としたいと考えますが、皆さん、いかがでしょうか。(大拍手)
 次に、将来のことを申し上げれば、これまでつねづね申し上げてきましたように、一九九〇年を合言葉に進んでいきたいのであります。この年、四月は戸田前会長の三十三回忌法要が行われ、十一月に学会創立六十周年を迎えます。このあたりが、創価学会の広宣流布の一つの大きい山であると考えていただきたい。
 第三代会長の任務として、私は、宗門ならびに創価学会の万代までの基礎を打ち立て、永遠たらしめゆく使命と責任があるのでございます。皆さん方も、どうかこれからも、その点のご賢察とご支援をお願いします。
 したがって、現在にみられるさざ波など眼中にありません。ともかく学会は学会らしく、日蓮大聖人の仏法を正しく実践する団体として、わが道を正々堂々と進んでいきたいと思いますが、いかがでしようか。(大拍手)
6  大難に”師子王の心”もて
 最後に、有名な「聖人御難事」の一節を拝したい。
 「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり、故最明寺殿の日蓮をゆるししと此の殿の許ししは禍なかりけるを人のざんげん讒言と知りて許ししなり、今はいかに人申すとも聞きほどかずしては人のざんげんは用い給うべからず
 この御文に「今はいかに人申すとも、聞きほどかずしては人のざんげんは用い給うべからず」とありますように、讒言というものに惑わされてはならないのであります。大聖人の佐渡流罪も、議言に端を発していることは御文のとおりであります。
 同じように、仏法流布に邁進しゆく私どもの前途にも、それを阻もうとする動きは、すべて内外の讒言から起きているといってよい。讒言は内部破壊の根本原因であり、もっとも卑劣な、もっとも醜悪な人間の心のあらわれなのであります。
 しかし、この一節の、ことく、私たちは師子王の心を取りいだして「彼等は野干のほうるなり。日蓮が一門は師子の吼るなり」との大確信をもって、一切の非難、中傷を大きい心でつつみながら、悠々たる境涯で進んでいかなければならないと思うのであります。
 ともあれ私たちは、永遠に興隆しゆく前進のために、改善すべきことは潔く改善し、反省すべき点は反省し、また整備すべきことは整備しながら、二十一世紀に向かって広宣流布一筋に湛進しゆくことを誓いあっていきたいと思うのであります。
 皆さん方のご多幸を心よりお祈りして、私の話といたします。(大拍手)

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