Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第5回全国県長会議 現実生活のための信心を

1977.4.4 「広布第二章の指針」第10巻

前後
1  われわれの信心は、あくまでも現実生活のためのものである。「現実生活のための信心を」――これを合言葉ともして進んでいこう。
 抽象的な指導は、現実に悩んでいる人のためにはなんの役にも立たない。厳しい現実生活の諸問題を、信心の力でどのように打開し解決していくかの、的確な判断と指導が重要となってくる。現実に鋭い視点をあて、どんなささいな問題をもおろそかにせず、つねに先手の布石をなしていくことが大切である。
 いわゆる広宣流布とは、夢を追うものではない。現実と密着し、その現実を見ぬいていく生々しい宿命転換の戦いが広宣流布である。夢はどこまでも夢でしかない。
 このためにも、一切の魔を能破しゆく信心の眼を輝かせ、また、どんな小さな問題でも、その解決を御本尊に祈りきっていく基本の実践を怠ってはならない。これがもっとも大切な指導者としての責任ある姿勢であることを申し上げておきたい。
2  自分自身に対しても、会員に対しても、健康には十分に気をつけるよう最大の配慮をしてほしい。
 会員のだれもが”信心してほんとうによかった””学会の指導はたしかに正しい””幹部はほんとうに自分のことを考えてくれている”等々、心からの信頼をもち、信心の喜びと福運につつまれながら活躍していけるよう、幹部は真心の指導を徹底してそそいでいこう。
 とくに、色心ともに健康であることの諸法実相こそ、もっとも尊貴なものであることを重々に銘記されたい。
 仏法は道理の法門である。その道理の哲学を実践する幹部は、どこまでも豊かな常識を旨として振る舞っていただきたい。この意味からも、社会に対して奇異な感じを与える言動や、飛躍した指導は慎まなければならない。
 仏法は奇跡的、あるいは神がかり的な思想、実践ではけっしてない。万人が心から納得していける普遍性をもった合理の哲学である。ゆえに、常識の行動が大事となる。
3  日常の活動は、どこまでも無事故を第一義とされたい。若さゆえに、また経験の未熟ゆえに、事故の”引き金”になることは世間ではよくみられることである。たとえどのような状況下にあろうとも、幹部はけっしてあせったり、調子にのってわがままな指示を出してはならない。それが後で、取り返しのつかない事故の原因となることがままある。指導者の軽率な言動が、大勢の人々を狂わせてしまうのである。
 ともかく絶対無事故をつねに心がけ、良識の社会人らしく、賢明にして沈着なる指揮をとってほしい。
 学会本部との連係を繊密に保っていくことが肝要である。この連絡、報告の確実な励行がなされている地域は、限りなく前進しているし、また功徳をうけ、活力に満ちている。逆に、連絡、報告の遅滞は、広宣流布の歩みから重大な遅れを招いてしまう。
 皆さん方は、この大切な生命線をあずかる総責任者であり、まさしく”信心の要”であることを強く自覚してもらいたい。連係あるいは相談等の方法論に関しては、聡明かつ賢明にお願いしたい。
4  かつて清教徒たちは、圧迫と鉄鎖の束縛から逃れ、荒れ狂う怒濤を乗り越えて、自由の新天地アメリカを築いた。
 次元は異なるが、同じように、世界に妙法を基調とした平和と文化の”精神の新天地”をつくるために涌出したのが、われわれである。この崇高な地涌の菩薩としての使命を遂行するためにも、現実の大地のうえで”仏法は勝負なり”の実証を残していく以外にない。
 ある革命家は「大闘争のなかにのみ真実の平和がある」といっているが、これも真理であろう。仏法にも「煩悩即菩提」の原理があるように、さまざまな”苦悩”と戦いながら”菩提”という幸せを勝ちとっていくのである。
 われわれの前途には、さまざまな苦難が待ちうけているかもしれない。しかし、断じて屈することなく、創価の”精神世界”を盤石にし、どこまでも地涌の友を守りぬいていくのが、われわれの活動であることを知っていただきたい。(要旨)

1
1