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第一東京男子部勤行会 生きぬくことが信心の真髄

1977.2.14 「広布第二章の指針」第9巻

前後
1  本日参集した諸君は、やがてあらゆる地域の指導者、各階層のリーダーとなって雄飛していくにちがいない。二十年、三十年先の、そうした諸君の成長した姿を思うにつけ、私は慶賀にたえない心境である。
 そこで、きょうお集まりの諸君は、毎年の成長を確認しあう意味からも、2・14グループとして、毎年この佳き日に、なんらかの記念の集いを開催してはどうか、ということを提案しておきたい。
 私の人生の師は、いうまでもなく第二代会長戸田城聖先生である。師匠をもたない人生は、羅針盤のない人生であり、その結末もきわめてわびしいものであろう。私は、戸田先生という仏法の指導者をもった。この一点だけでも大満足であり、私の人生に悔いはないといってよい。
 昭和二十六年二月、戸旧前会長の事業が最悪の状態に陥り、神田から事務所を東京・新宿区内におくことになった。私は、この事務所で広布の指揮をとることが決まったばかりの戸旧前会長の姿を、鮮明に思い出す。
 それは、事務所の小さな庭の一角を凝視していた前会長が、大地を割って出る”若芽”を見ながら、こう語っておられた姿である。「春がついにやってきた。春がくれば、このように若々しい生命力が出てくるのだ。冬は必ず春となる。法華経の信心は冬のごとし……」と――。
 一つの”若芽”を讐楡としての、かならずわれわれは成長できる、大樹となることができるという、大確信あふれる前会長の指導だったわけである。
 戸田前会長の事業の挫折は、世法的には大敗北であったかもしれない。しかし、仏法真実ならばかならず人生の春はくる一との前会長の確信どおり・学会は奇跡ともいえる大転換を可能としたのである。
 戸田先生自身、数十年の信仰歴というものは、いかなる厳しい秋霜の渦中にあっても、御本尊だけは疑わず、ともに学会の建設一筋に生きぬいてきたと、つねづねいわれていた。
 戸田前会長の人間革命への波乱万丈に満ちた生涯をとおし、私がしみじみ思うことの一つは、人生において、いわゆる”やせがまん”を張る必要はない、ということである。人に紛動され、夢を追うような生き方は愚かである、といわざるをえない。どこまでも御本尊に題目をあげ、自己に挑戦しながら、自分らしく希望をつくり、また忍耐強く、しぶとく生きぬいていく以外に、真実の人間革命の成就もありえない、ということを申し上げておきたいのである。
2  次に「罰即利益」「煩悩即菩提」の仏法原理を確信せよ、と訴えておきたい。
 諸君の世代は、人生の土台を築く、いわば未完成の時代といえよう。ゆえに、さまざまな困難に直面することも多々あろうが、現在の労苦というものが、やがてすべて生かされ、かけがえのない人生の財宝となっていくのである。したがって「煩悩即菩提」の繰り返しが人生であり、この延長線上に所願満足の人生の総仕上げがあることを忘れず、けっしてあせることなく、十年、二十年、三十年先をめざして自分らしく前進していってほしい。
 戸田前会長はよくいわれていた。人生の勝利を決定づけるのは五十代である――と。
 それまでは”修行の人生”ともいえよう。ともかく”生きて生きて生きぬくこと”が信仰の本義であり、仏法の真髄である。
 この意味からも、交通事故で大切な体を痛めたり、つまらない道に入って自分を破壊させてしまうことのないようお願いしたい。信仰人としての本領をぞんぶんに発揮しつつ、広宣流布に雲集した人材群の誇りを忘れることなく、信行学の大道を着実に、また朗らかに伸びのびと生きぬいていただきたい。
3  社会は、ますます暗い様相を呈している。きょうも会議で話題となったことであるが、世の中には、外国から博士号まで自分の見栄のために金で買っている人もいるというような話もあった。真偽のほどはわからないが……。お金で地位や名誉を買うということなど、われわれには考えられないことである。また、これほどの愚はない。これらは全部、虚像である。実像ではない。
 諸君は、男らしく実力をみがき、自らの力で福運を築く実像の人生を生きぬいてもらいたい。(要旨)

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