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第1回全国青年部最高会議 自己に厳しく、後輩には誠実

1977.2.9 「広布第二章の指針」第9巻

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1  一切の活動の原動力たれ
 最初に、この全国青年部最高会議を原則として毎月一回、佳き日を選んで開催していくよう提案したい。全国の県青年部長ならびに男子部長、女子部長が一堂に会しての最高会議であるゆえに、万障繰り合わせての参加を願い、毎月の伝統行事ともしていってほしい。
 いうまでもなく諸君は、創価学会にとってもっとも重要な後継の存在である。その諸君たちが自発的に集い、学会の本流に呼吸を合わせながら前進するということは、時代の要請でもあるということを知っていただきたい。
 恩師戸田前会長の時代においても、青年部が一切の活動の原動力であったことはまぎれもない事実である。
 私をはじめ北条理事長、辻、森田副会長らの当時の青年部幹部が、草創期のもっとも苦境のなかにあって、内外ともに全魂を打ち込んで、献身的に道なき道を開拓してきたわけである。そして見事、戸田前会長の構想どおり、後継者の実践によって今日の学会発展の基盤が築かれ、世界的な存在として期待されるにいたったのである。
 こうした広宣流布に脈打つ伝統、さらにすべての精神遺産を継承しゆくのは諸君をおいてほかにはない。ゆえに、いまから大いなる自覚と責任をもって、先達の期待に立派に応えてほしいと強く訴えておきたい。
 これまでの創価学会における慈折広布の運動というものは、規模的にも、機能的にも全国単位であったといえる。しかし、これからの新時代に即応した段階においては、各県、各区が、そのまま創価学会の縮図となっていかなければならない。
 したがって諸君ら青年部最高幹部も、いままでに倍する実力を身につけ、社会に応える指導者になっていただきたい。
2  民衆の側に立つ
 政治、経済、科学、文化等々、その志向するものを煮詰めていくならば”人間の幸せ”であり”人間の喜び”に尽きている。大聖人の仏法はとうぜんのことながら、先師牧口初代会長の「美・利・善」という価値論にしても、その目的とするものは、いかに人間の生命に喜びを与えるかにあった。
 経済は経済家の次元で、また芸術は芸術家の領域で、いわゆる現象世界において人間の幸せをそれぞれ追求し、発露しているが、私がいま、ここで申し上げたいことは、われわれはそうした現象世界にあこがれたり、羨望視するようなことはまったく必要ない、という次元の活動なのである。なぜならば、時間的には永遠、空問的には宇宙大におよぶ、もっとも本源的な生命の充実感と喜びを、民衆に与えていけるのは、大聖人の仏法に尽きるからである。
 したがって諸君たちは、右顧左眄しながら幻覚を追うような人生でなく、あくまで御本仏日蓮大聖人のご遺命達成の仏法指導者として、民衆の側に立ち、擁護していくという徹底した信念の姿勢を貫いてもらいたい。
 流行に左右されたり、利益のみを欲する生き方は、結届、最後は敗北に等しい結果となる。諸君は、これからの二十年、三十年、さらには二十一世紀にわたる問、民衆に真実の生きがいと喜びを与えゆく、その道に徹した指導者として勇敢に進んでもらいたい。だれ人も凡夫であるゆえ、瞬間的、刹那的な喜びに満足しようとする傾向性もあろうが、それのみに流されることなく、つねに広宣流布をめざす崇高な旗手たる使命に生きぬき、自らの人生も立派に総仕上げしていただきたい。
3  若きリーダーとしての留意点
 諸君が広布推進の若きリーダーとして留意すべき、もっとも大切なことは何か。
 私は、その第一点として”自己に挑戦せよ”ということを強調しておきたい。
 ”自己に挑戦せよ”ということの根本は、具体的にいうならば勤行の励行である。リーダーが勤行をしなくなった場合には、もはや自己との挑戦を避けたことにたる。いかなる理由があるにせよ、人々の無事故、安穏を御本尊に祈念することが、自己に挑戦する第一歩である。後輩に信行学の功徳を与えるための責任者として、この一点だけは励行すべき原点であることを忘れないでほしい。
 次に”後輩の良き相談相手に”ということである。この場合、自分は万能であるというように振る舞う必要はない。ただし確信ある指導は行わなくてはならない。確信ある指導は、自らの信心の確信をも深めていく。
 ともかく、後輩の生活に関する悩み、活動していくうえでの質問等に、親身になって理解してあげ、かつ、あたたかな包容力をもって的確なアドバイスをしていく良き兄、姉としての先輩幹部であってほしい。後輩には弟のごとく、妹のごとく相談相手となって激励していく――この繰り返しが重要なのである。
 大勢の前で大演説することも必要であろうが、それ以上にもっとも重要なことは、一人ひとりの盤石な人材を育成することである。
 第三に”指導者は沈着でなくてはならない”ということである。幹部自身があせったり紛動されたり、感情的に判断するようなことは、厳に慎まなくてはならない。時に応じ、事に処して、「沈着な指揮」「沈着な行動」「沈着な判断」こそ、新時代の指導者の条件となることを深く留意されたい。
 ともあれ、現状がいかに悪条件のなかにあろうとも、あせる必要はない。その克服を真剣に御本尊に願うことを第一義とする姿勢、そして”一人”の後輩を徹底して大切に面倒をみるという真心の行動――これが大切なのである。
 誠意と真心と同志愛に連なる”一人”が、やがては万人をつくる源となるとうした観点に立って、一人をみがき、一人を立派な人材に育てる作業に尽力していってほしい。この地道な労作業の蓄積が、因果の理法として次の盤石なる人材山脈を形成していくのである。
 さらに、人間だれしも欠点があるものだが、その欠点を補うものは”誠実”であるということを忘れないでほしい。誠実に勝るものはない。足らざるを補い、知らざるものは謙虚に求めぬくという、謙虚にして誠実な言動が、信頼を受けていく第一歩であることを銘記しなければならない。
 次に、自分も後輩も体を大切に、健康に留意せよ、と強調しておきたい。そのためにも、無価値なつまらぬ労力を使わないように、価値的な時間、行動のリズムをつくっていくことが肝要である。
 広布の遠征は二年や三年のものではない。永遠に続くのである。諸君は将来、次代の最高峰の責任ある立場として活躍していかなくてはならない存在である。ゆえに価値的な時間の使い方というものを、いまのうちに十分にわきまえ、また後輩の体力や経済の状況というものにも深い配慮をめぐらせ、けっして惰性に流されることのないようお願いしたい。
 ともかく価値的な創造性ということに関しては、繊密といわれるぐらいの判断と真心の配慮のうえで、その指導の任にあたっていただきたい。
4  人間的魅力を
 最後に、指導者たるものは、誠実さとともに人間的な魅力がなければ人々をリードしていけない、ということも強く訴えておきたい。ここでいう魅力とは、いいかっこうをするというような低次元のものではない。”たしかにあの人は信頼できる””いつ会ってもすがすがしい””自信に満ちみちている””ほんとうに心から安心できる”などといわれるような、人間性の開花ともいえる魅力である。
 創価学会の今日があるのも、その淵源をさかのぼってみるならば、牧口初代会長、戸田前会長、ならびに草創の幹部に、人間的魅力があったからこそ、全会員の人間革命を誤りなく可能とし、一家和楽への大道を誇らかに進んでこられたのである。
 命令的な機構や組織形態で、人々を本源的にリードできるものではない。創価学会は、人間対人間の魅力あふれる打ち合いのなかで”人間のための宗教”という未聞の法戦を展開し、その発展の姿を現実の大地に樹立したのである。
 自分の魅力、誠実な振る舞いの原点は、あくまでも勤行にあることを忘れないでほしい。勤行の持続に自分らしい個性も湧現され、魅力もついてくる。そして、この誠実さとか人間的魅力というものは、観念のなかにおいては触発されない。地涌の菩薩としての使命感に燃えて実践するなかに、にじみ出てくるものである。
 このためにも、御本尊に対する絶対の確信に立ち、魅力をつけ、実力を養い、あらゆる人々から信頼を受ける模範の指導者に育ってほしいのである。力もなく、軽蔑されるような存在が、もしもあったとするならば、それは法を下げる存在となってしまうということを忘れてはならない。(要旨)

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