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創価大学第6回入学式 悲哀をも創造の源泉に

1976.4.10 「広布第二章の指針」第8巻

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1  晴れやかな入学式、まことにおめでとうございます。どうかこれからの四年間、創価大学を青春時代のヒノキ舞台に、若き情熱をたぎらせての、見事な青春劇の絵巻を繰り広げていただきたい。諸君の描き出す生命乱舞の名画を想い浮かべるにつけても、私の心は、おおいなる感動におそわれるのであります。
 まことに青春とは人生の宝であります。なにものにもかえがたい貴重な一時期であります。青春の日々を、どのように充実させたかによって、人生の歩みが大きく左右されることはいうまでもありません。
 すべての人が体験するように、青年期を迎えると、感受性と感動性が、急激に高まってくるものであります。
 大自然の絶妙な変転に、心の耳をとぎすます若者。人の泄の情愛に、豊かな心情を育てゆく女子学生。権力にまつわる邪悪を見ぬき、挑戦せんとする勇気ある青年。人類の遺産を継承し、創造への意欲をわきたたせる若き知性。青年の特権は希望の未来に向かって飛翔し、それぞれの自己実現の道をまっしぐらに進みゆくことにあります。私も若き日の春秋、宇宙と生命の神秘に魅せられ、深い思索の”心の旅”を続けたものであります。
 そこで、きょうは、私の若き日の記憶のページをひもとくつもりで、一人の人物に焦点を合わせてお話ししたいと思います。
2  使命に生きた詩人タゴール
 この数年、タゴール再評価の動きが世界的にみられると聞きおよんでおります。この東洋の詩人は、私の青春に彩を与えてくれた一人でもあり、この機会をお借りして、所感を少々申し述べておきたいと思うのであります。
 彼を再評価する理由は、人によってさまざまであります。ガンジーと並ぶインドの英雄である。ノーベル賞を受けた世界的詩人である。さらに、反植民地主義をインド人の心のなかに築いた等々、彼をたたえる声は、八十一歳の創造と苦渋に満ちた生涯に即して数多く発せられているようであります。
 だが、彼の生涯で、私がもっとも感銘を受けたのは、私財をはたいて念願の平和学校の、サンティ・ニケータンの設立を成し遂げてまもなく、この一家に呪われた季節が始まったときであります。愛する妻と次女と末っ子を相次いで亡くすという痛ましい出来事に遭遇したのです。この打ち続く不幸のまっただなかで、彼はインド史上、最大の政治的動乱の一つであるベンガル行政区分割に対する反対運動に挺身していったのであります。
 彼は、家族を心から愛しておりました。とくに、末っ子のサミン・ドラトが、十三歳の若さでコレラにその幼い生命を断たれたときには、自己の宿命を呪うほどであった、と述懐しているのであります。
 多感な詩人タゴールの心には、人間生命に巣食う暗い宿命のかげが去来していたのかもしれません。と同時に、宿命を乗り越える広々とした生命内奥の大海を直視していたように、私には思えるのであります。そうでなければ、タゴールが突如として襲いきたった不幸の荒波に敢然と立ち向かっていったあのすさまじい勇気、行動の源泉を解明することができないからであります。
 彼は、この不幸を自らに課せられた試練としてうけとめ、人類の幸福と平和をめざすという使命の大道を雄々しく闊歩していったのであります。私はこのタゴールの生き方にこそ心からの称賛をおくりたい。偉大なる使命にめざめた人は、自らの悲哀を越え、次なる創造へのバネとしていくものであります。一級の人物は、愚痴などはいわない。ベンガルの分割は、イギリスがベンガルにおける反英運動の鉾先を避けるために考えた策略でありましたが、かえってインドの民衆の愛国心をあおりたてることになり、反英運動の機運は、ますます熾烈をきわめていきました。このことは諸君も受験勉強のあいだに頭にしみこませたことでありましょう。
3  タゴールは、ベンガル分割反対に立ち上がることが、まるで規定の行為であるかのように先頭きって運動を指揮したのであります。彼のこのような政治的行動はけっして衝動的なものではなく、心の大海に脈打つ明確なる信念から創出したものでありました。それは次の事実をみても明瞭でありましょう。
 反英ムードが高まり、国内にテロリズムの危険が出たとき、彼は「暴力によりインドを救うことはできない。望ましい成果は寛容の精神の中に成し遂げられる建設的な働きによってのみ手にすることができる」とテロリストを諌めたのであります。この一点をみても、彼の抗議運動の根拠が深い”寛容の精神”に立脚したものであり、狭小なナショナリズムに立ったものでないことは明らかであります。
 ところでタゴールの”寛容の精神の源泉”を理解するためには、どうしても若き日の生命の体験に眼を注がなければならない。
 彼の父は、早くからタゴールの詩才を見ぬき、北インドや各地の旅行に連れて行って、自然のなかで自由に遊ばせました。大地をとびはね、自然を呼吸するなかで寛容の芽は大きく身体にふくらんでいったと考えられる。また、十七歳のころ、イギリスヘ留学し西洋音楽に親しみ、帰ってからは、魅惑的なオペラ「バルミキ・プラティバ」をものにしています。このオペラは東洋の魂と西洋の理性を見事に融合させ、この上演に接した人の心をとらえてはなさなかったのであります。
 また、彼の青春体験でもっとも深く鮮烈なものは、二十三歳の時、ベンガルの田園地帯に住んだ時期に求めることができるようであります。
 この若者は、インドの貧しい農夫とともに耕地を改良し、収穫を飛躍的に伸ばしました。西洋の科学文明の所産を導入したからであります。
 とともに彼は大自然にまもられて、汗まみれになって働く労働のなかで、人間にとって究極的な真理を体得することができたのであります。自然と人間と宇宙を貫いて脈動する本源なる生命にふれるという貴重なる体験をしたのです。
 貧しくとも善良なる農民の心に宿る慈悲と知恵の源泉――その当体は四季をおりなす大地の変転の底にも、みなぎっていました。万物を支え、あらゆる人間の内奥にみなぎる”永遠なる生命”を覚知し、顕現することが人類の心をつなぎ、精神的連帯を可能にする唯一の道である。タゴールの”寛容の精神”は、この”永遠なる生命”に根づいていたのであります。
 思えば、この偉大な魂をして、不幸の荒波を克服させた力、ベンガル分割反対に立ち上がった、内なる情熱と正義の意志、さらには芸術から社会運動へ、政治活動へとかりたてたエネルギーの、わきいずる源泉も、青年期の生命体験にもとづいていたのであります。つまり青春の光に満ちた数々の体験が、その内なる生命の発現を求めて、まことの人間としての歓喜にあふれた自己実現の道を歩ませたのであります。
4  ”大我”に立脚して境涯革命
 自己実現の人生には、おのずから人生の歓喜がともなうものです。
 タゴールが感受した”永遠なる生命”――それは、まさしく東洋民族の心の底を流れきたった仏法の英知が鋭く洞察したものであり、ある意味では”仏性”に通じ、仏の生命に近いものであります。自我の観点からいえば、多種多様な”小我”の内奥に息づく”大我”であります。
 ”大我”に立脚し、その力強い律動に心の波長をあわせ、内なる声に耳をかたむける人生にしてはじめて、不断の生命革新を成し遂げつつ育ちゆく金剛不壊の色心を築くことができると思うのであります。
 私のいう”自己実現”の”自己”とは、けっして”小我”ではない。小さな自我であれば、その周辺にある末梢的な欲望に支配されてしまう。
 もし”自己”を”小我”に求めれば、それはたんなる”わがまま”となり、利己主義に陥ってしまうのであります。
 ”自己実現”すべき自己とは、宇宙生命に基盤をもった、本源的な自我であり、慈悲と英知の源泉としての”大我”であります。
 しかし大我を発見し、その内なるエネルギーを発動させるためには、不断の精進と豊かな感受性が要請されることはいうまでもありません。
 私が諸君に青春の特質を説き”大我”に立脚した”自己実現”の道を示すのは、若き春秋の多情多感な魂が、もっとも俊敏に、万物を貫く”永遠なるもの”を覚知するからであります。これは私自身の体験をとおしてもいえることであります。
 青年の特権は、豊潤な感受性と感動性を駆使して、宇宙と生命の真髄にふれ、生涯を貫く信念、哲学、使命を体得することにあることを、私は、あらためて強調したいのであります。究極的な使命を自覚した人生に、もはや逡巡はありません。苦難におびえる恐れのかげを見いだすことも不可能です。はるかなる未来に向けての理想を胸に”自己実現”の場を、動乱の社会に開いていくはずであります。
 ある人は大自然のなかに永遠の胎動を自覚するでしょうし、また、ある若者は、学問追究の過程で物質と心の真髄にふれるでありましょう。友との真実の愛の交歓のなかに、慈悲のエネルギーをくみとる女性もいるはずです。いずれの道をとろうと、無限なる人生の歓喜をよびさました体験は、大学で学ぶ学問とともに、諸君の一生にかかわる心の糧となることは間違いありません。
 さらにいえば、宇宙と生命の実相にふれる体験を基底にして、あらゆる学問が生かされ、実り豊かな自己実現の”金の道”を開いていくことができるのであります。
 これからの四年間、武蔵野の豊かな自然の学舎で、どうか思う存分、理性を磨き、人類の知的遺産を吸収し、これをも乗り越える学びの道を、高松学長を中心に先生方とともに歩んでいってください。ともあれ、創価大学は”人間教育”と”世界平和の牙城”であります。人格完成のための色心錬磨の道場といえましょう。
 この大学を、青春をかけた人間変革の場とし、自己実現の天地として、自体を顕照しつつ、境涯革命の足跡を刻んでいただきたい。不動の信念に根ざした”常楽我浄”の人生を乱舞していただきたいのであります。
 輝く知性と、平和をめざす情熱が交錯する、創価大学の青春の学徒に栄光あれと願いつつ、私のあいさつにかえさせていただきます。

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