Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

女子部夏季講習会 悠久の幸福を構築

1972.8.10 「池田大作講演集」第4巻

前後
5  唱題に励み生命を浄化
 最後に御義口伝の「又浄明鏡の如しの事」の一節を拝したい。
 「六根清浄の人は瑠璃明鏡るりみょうきょうの如く三千世界を見ると云う経文なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり」云云。
 六根清浄とは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六根が清浄であるということで、一言でいうならば、生命の浄化ということであります。今日、生命の浄化は題目を唱えていく以外にありません。その清らかな生命の人は、瑠璃明鏡のごとくこの現実世界を正しく知見していけるという御文であります。
 この御文のなかの「別しては宝塔品なり」――宝塔品とは大御本尊のことであります。「我が一心の明鏡なり」とは生命じたいのなかに鏡があるという意味であります。したがって御本尊が明鏡であるとともに、わが生命のなかにも明鏡がある。そして御本尊と境智冥合することによって、生命の鏡がみがかれ、光り輝いていくことができる、との御金言であります。
 また「所詮しょせん浄明鏡とは色心の二法、妙法蓮華経の体なり浄明鏡とは信心なり」とある。結局、浄明鏡とは色心の二法、妙法華経の体、すなわち生命そのものの本体である。更に色心ともに輝かしていく、その根源は信心しかない、との意味であります。
 信心を根幹とした色心の二法の活動が反復、持続し、高められ、そこに胸中の鏡があらわれ、人生、家庭、社会のことまでも正視眼で見ぬいていくことができる、そしてもっとも確かな人生道を進んでいくことができる、という原理を教えられているのであります。
 どうか皆さん方は、生涯、麗しい人間の絆で結ばれて、激励しあい、価値ある充実の日々を歩んでいただきたい、ということを申し上げて、私の話とさせていただきます。(大拍手)

1
5