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日蓮大聖人・池田大作

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第3回中等部総会・第2回少年部合同総会… 人格の骨組みつくる少年期の信仰

1972.8.8 「池田大作講演集」第4巻

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1  晴れやかな第三回の中等部総会、そして第二回の少年部総会、ほんとうにおめでとうございます。(大拍手)
 皆さん方の若々しい息吹、はつらつとした姿をまのあたりにして、私はうれしい。これだけの人が立派に人材に育ってくだされば、宗門も、学会も、また日本も世界も安心である――そういう気持ちでいっぱいであります。
 わたしは皆さん方のためなら、たとえ身を粉にしても、なんでもしてさしあげたいし、できるかぎりの応援をしたい。それは、皆さん方こそ伝持の人、仏法の後継者であるからであります。また、日蓮大聖人のご期待に必ずや応えてくれるであろうと、堅く信じているからであります。
 皆さん方はまだひじょうに若いため、信仰なんかいまはあまり必要ないのではないか、と思っている人がいるかもしれない。また、そういう意見をもっている大人たちも、皆さん方の周囲にはいるでありましょう。しかし、皆さん方の年齢のときに、人生のおよその骨組みというものができあがってしまい、あとになってはなかなか変えることができないというのも事実であります。そこで私は、まず信仰の意義についてお話ししておきたい。
 一つの例として申し上げれば、昔の名匠が鍛えた名力は、いまもなお深い味をたたえながらさえわたっている。それに反して、大量生産でつくった刀はもろいし、味気がない。一本の刀であっても、その底になにがあるか、作者の心がみなぎっているかどうか――これが重要な問題であります。一枚の絵であっても同じであります。
 そこになにが込められているかで、時代が違い、国が異なっていても、人々に感動と潤いを与えていくものであります。名刀や名画にかぎらず、人間のつくりあげた作品には、こうした共通のものがあることは、皆さん方にもおわかりのことと思う。
 人生もまた、ある意味において、その人それぞれが独自の作品をつくりあげていくようなものであるといえましょう。もっとも人生の場合は、刀や絵画と違って自分自身が作者であり、作品もまた自分自身の人生そのものであります。その人生という作品をどうつくりあげていくか、その根本の力が信仰なのであります。
 名刀をつくり、すばらしい絵画を描いていく力は、その人のひたむきな情熱と、みがきぬかれた技術であると思う。それでは、人生を光り輝かしていくものは何か。それは情熱も英知も勇気も含んだ信仰による生命力と、地道で真面目な努力以外にない。皆さん方は心が純粋で汚れのない、ちょうど純白な布地のようなものであります。別の面からいえば、未知数の人たちでもあります。この布地にどのような絵を描きあげていくかが、これからの課題なのであります。
2  実質的な学会の跡継ぎに
 私は、皆さん方が未知数であるだけに、信仰というものを強調しておきたいのであります。もちろん、皆さん方の前途にはいろいろなことが起こってくるでありましょう。しかし、御本尊だけは絶対にはなしてはいけません。私のいわんとしていることは、必ず後になって深刻にわかっていただけると思う。現在ではまだわからないことも多いかもしれないが、きょうここに集まった人たちは、絶対に退転だけはしないという、私との“親子同盟”を結んでいただきたいと思うが、どうだろう。(大拍手)
 その決意のうえで、皆さん方に未来をめざして一つの目標について申し上げたい。一九九〇年という年は、総本山大石寺が建立されてから満七百年にあたる意義深い年であります。いま創価学会は、近くは昭和五十四年、つまり一九七九年をめざし、次の目標として一九九〇年、昭和六十五年をめざして進んでおります。
 壮年部や婦人部、男女青年部の人たち、つまり皆さん方のお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんたちが、その目標に向かって一生懸命がんばってくださっていることは、よくおわかりであると思う。
 おそらく、一九九〇年までには、学会の基盤も更に盤石になるであろうし、新しい広宣流布の道も開けてくるでありましょう。いな、必ずそうするのだという決意で、私どもも戦っているし、また今後も戦っていく決心であります。
 したがって、皆さん方はいまは安心して、伸びのびと、幅の広い人に育っていただきたい。こせこせした、卑屈な人になってもらいたくない。思いきり遊び、思いきり勉強もし、思いきり運動もするという、朗らかで、はつらつとした少年時代を過ごしてほしいというのが、いまの私の最大の願いであります。
 そしていまはじっくり力をたくわえて、一九九〇年からは、皆さん方に、実質的に創価学会の跡を継いでもらいたいのであります。
 一九九〇年まで、あと十八年。皆さん方はそのとき、三十二歳前後になります。もったいなくも日蓮大聖人の立宗宣言された年齢であり、また不肖私も、三十二歳のときに恩師戸田先生の跡をうけ、第三代会長に就任いたしました。一九九〇年には、皆さん方はちょうどその年ごろになるわけであります。
 なお、二十一世紀の初め、すなわち西暦二〇〇一年のときには、皆さん方は私のいまの年齢、もしくは、それより少し若い年齢になっていることになります。そこでまず、一九九〇年のときを目標にたくましく成長して、やがて二十一世紀には再び新しい七つの鐘を、皆さん方の手で打ち鳴らしていっていただきたい。
 それまで、どんなことがあってもくじけてはならない。どんな苦難にも負けてはならない。真実の正義の人として、おおらかに、悠々と、実り豊かな少年時代、そして青年時代を送っていってほしいのであります。(大拍手)
3  本に親しみ読書の習慣を
 次に、中等部、少年部のいまの時代にもっとも大事なこととして、勉強は当然でありますが、私は、できるだけ読書をしておくことをすすめたい。
 なかでも、古今の名作といわれるものを多く読んでいただきたい。最初のうちは、自分の興味のある本でよいと思う。文学の好きな人は小説でも詩集でもよいし、科学に興味のある人は科学に関する本でもよい。ともかく、皆さん方の時代は、本を読むという習慣をつけることが大切であると痛感する。
 というのは、読書によって、自分の経験できない未知の世界をも自分のものとすることができるし、歴史的には何千、何万年もの昔のことを知ることもできる。未来のこともある程度までわかる。地理的には、自分が住んでいる市や町や村だけではなく、日本、いな、全世界を知識のうえで旅行することができる。また原子や素粒子のような無限に小さな世界のことから、大宇宙のことにいたるまで知ることができるのであります。
 人間は、およそ七十年しか生きられないとされているし、大宇宙からみれば、けし粒のほどの地球の、そまたけし粒ほどほんの小さな存在でしかない。しかし、その人間は読書によって、いくらでも大きくも、強くも、深くもなることができるのであります。
 といっても、時というものがある。大人になると、だんだん頭が堅くなる。そして、本を読んでもあまり頭に入らない。また、自分のカラー(特徴)が固定してしまい、それを変えるのは容易でない。
 やはり、未来への限りない可能性を秘めている皆さん方の時代にこそ、自分自身の成長のために本はたくさん読むべきであります。本と友だちになる、本に親しんで読書の習慣をつける――このことが、ひじょうに大切であると申し上げておきたい。
 次に、皆さん方の時代において大切なことは、よい友だちをもつということであります。人間は一人では生きられない。両親が愛情こめて育ててくれたからこそ成長できたのであるし、学校で先生が勉強を教えてくれるからこそ社会人として育っていけるし、また知識を身についることができるわけであります。
 しかし、人間がほんとうに人間らしく成長していくには、単なる肉体的成長や知識の蓄積のみでは十分ではない。人格、人間性といったものをみがくことがどうしても必要である。そして、その人格の形成、人間性の錬磨には、麗しい友情が不可欠の要素であると思うのであります。
 なかには、自分には友だちなどはいらない、自分は一人で自分の道を行くのだ、といって友だちから遠ざかり、自分だけのカラに閉じこもる人も、たまにはいるようであります。それは、自己の人間的成長を放棄するに等しい生き方であると思う。そういう人は、社会生活を営む人間として、失格というべきであり、必ず後悔するときがくる。皆さん方は決してそういう人になってほしくない。
 なお、自分は中等部員だ、学会っ子である。だから、信心していない友だちとはあまり付き合わないのだということも、間違っているといっておきたい。皆さん方は、信心していない友だちとも思うぞんぶん交流して、友情を深め、自分自身をみがいていかなくてはなりません。
 同じ学会っ子として、中等部員同士、少年部員同士として、生涯変わらぬ友情のきずなを結んでいくことは、大前提であります。そのための中等部、少年部でもあります。それはいうまでもないこととして、更に一歩視野を広げて、多くのよい人と友だちになり、自分にない長所を学んで自らを鍛えるとともに、そのなかで大勢の友だちから信頼され、尊敬されるような中学生、小学生であってほしいと思うが、どうだろう。(拍手)
4  八月は第二次世界大戦のさまざまな痕跡が刻まれている月であります。八月六日は広島の原爆、九日は長崎の原爆、そして十五日は終戦の日であります。皆さん方にとっては、生まれるはるか以前の話でありましょうが、戦争の恐ろしさを知る人々にとっては、この八月は忘れることのできない季節であります。
 皆さん方は、戦争そのものは知らないかもしれない。しかし、戦争を二度と起こさせないための力になることはできる。つまり、日本そして世界に、戦争のない平和社会を実現する潮流を、皆さん方が今度は中心になって形成していかねばならない。また形成していっていただきたいのであります。
 そのことに関連し、皆さん方、特に中等部の諸君に、今後の課題として語学の習慣について申し上げたい。私は世界平和の実現を妨げている一つの大きな障害は、言語の違いであると思う。
 言葉が通じなければ、お互いに相手がなにを考えているのか、どういう気持ちでいるのか、かなか理解は困難であります。そこから誤解も生じ、ちょっとしたことで紛争が起きかねない。ふだんからよく理解しあっている人同士であるならば、誤解やケンカにならないですむこともあるかもしれない。
 そして、相手のことがわからないと、誤解するはずのないことまで誤解し、話し合えば解決できるところを、すぐ実力で解決しようとする。したがって、戦争を絶滅し平和な世界を建設するには、まず皆さん方が全世界のさまざまな国の人々と友だちとなり、どんどん交流していくことがひじょうに大事な時代となっているのであります。
 そのためにも、ぜひとも語学に通じてほしいのであります。できれば、二か国か三か国の外国語は、自由に話せるようになってほしい。そこでまず、いまは学校で英語をだれよりも真剣に勉強し、その習得につとめていただきたいと、私はお願いするものであります。
 更に、日蓮大聖人の仏法は世界の宗教であります。大聖人の御金言に照らしても、世界に広まっていく宗教であり、広まっていかねばならない。そのためには、皆さん方が力をもたねばならない。信心が強盛であることは当然のこととして、語学は、その一つの手段として不可欠なのであります。
 ともかく私たちは、いま世界の平和と幸福のために、真剣に道を開いているつもりであります。皆さん方が自由に思うぞんぶん活躍できる舞台、土台だけは、汗と泥にまみれてでも完璧につくっておきたい。しかし、私一人の力には限界がある。あとは、どうか皆さん方によろしくお願いしたい。(大拍手)
5  力ある伝持の人に成長
 次に、若い皆さん方が人生の方向を決定する大事な時期において、どうあるべきか――その一つの例として、有名な物理学者アインシュタインについて述べておきたい。
 ごぞんじの人もいるでありましょうが、アインシュタインは相対性理論という画期的な原理を発見した偉大な科学者でもあります。彼はユダヤ人で、第二次世界大戦のさいには、ドイツ軍に迫害されてアメリカに逃げなければならなかった悲劇の学者であります。しかし、彼の残した業績は、そのような迫害に負けることなく、不滅の光を現代に放っております。
 逆境、迫害をも乗り越え、自己の使命に生きる人は、だれよりも偉大であります。しかも、皆さん方は妙法をたもつ最高の使命の人であり、学会の一世界の宝であります。どのような苦しいことがあっても、自己の目標をしっかり見定めて進む強い人であってほしい。
 アインシュタインは、現在の科学者でさえ、容易に理解できない、難解な理論を打ち立てたわけでありますが、少年時代は、特別な優秀な少年であったわけではない。学校環境も決して恵まれてはおらず、そこで、お互いの腕が重なり合うほど詰め合い、押し合いながら勉強したといわれております。
 成績も必ずしも優れておらず、数学の試験では落第したこともあるそうであります。要するに、ごくふつうの平凡な少年であった。ただ一つ、小さいときからいろいろなことについて「なぜなのか」という疑問をよく発したそうであります。そうしたときの両親の答えは「自然にそうなっているのだ」ということであったという。
 アインシュタインが中学生ぐらいの年代になったときに、ガリレイの本を読んだ。ガリレイがピサの斜塔から錘を落とし、その落ちる速度を公開実験したことが書かれている。アインシュタインは、物理学こそ自然を支配する法則の一つだと、身震いするような感激をおぼえ、自分は物理学を一生涯の研究対象にしようと考えたというのであります。
 そして、方々の古本屋を捜して七百ページぐらいの本を三冊買いこみ、苦心惨憺して読んだこともあるという。物理学の研究を始めて、数学を勉強しなければならないことを痛感し、猛烈に数学の勉強にも精を出し始めた。
 それからの勉強が、アインシュタインにとって楽しいものとなってきたのは想像にかたくありません。「読破する一ページ、一ページが、私の周囲に難攻不落の城壁を築いてくれるような気がした」と彼自身に述べております。両親からもらったお金、アルバイトなどで貯めたお金はすべて本代につぎこんだそうであります。それ以降の彼の活躍は、皆さん方の知っているとおりであります。そこで、私が皆さん方にいっておきたいのは、平凡な、どこにでもいるような少年であっても、またユダヤ人という迫害された民族の環境にあっても、一つの志を立て、その目標に進むことに誇りをもったならば、想像もできないような力が湧き出てくるという原理であります。
 アインシュタイン自身は、優れた頭脳の持ち主であったかもしれない。しかし、それよりも大切なことは、自分は一生涯、物理学を勉強するのだと決めて、その目標に向かって一歩一歩どのような障壁も乗り越え、真一文字に進み、貫き通したということであります。その気迫、粘り、忍耐があってこそ、後年の大物理学者としての栄誉があったと、私はいいたい。
 そのアインシュタインも、自ら偉業を成し遂げたあとは、物理学、科学だけでは宇宙、人生の究極のものを得ることはできないと悟った。その根本の解決法として、東洋の宗教に絶大なる期待をかけたということは、彼が晩年に述べております。これは有名な話であり、彼の結論であったかもしれない。皆さん方はすでに、アインシュタインが渇望していた、まさにその大仏法をたもっている。少年時代、青年自体を一途に明るく勉学に励んで、このなかから、やがては妙法の大科学者、大文学者、大教育者等々がでて世界の平和に貢献してもらいたいということが、私の心よりのお願いなのであります。(大拍手)
6  青少年の成長は希望の太陽
 最後に、日蓮大聖人の御書に出てくる白馬と白鳥の物語について、お話をしてみたい。
 昔、インド輪陀王という大王がいた。この大王は白馬のいななきを聞くと生命力がしぜんと豊かになり、身も心も力がみなぎってくるので、大王は白馬をたくわえ集めていた。ところで、この白馬は白鳥をみるといななくという不思議な馬であった。そこで大王は多くの白鳥を飼っていた。このようにして輪陀王の国には白鳥が遊びたわむれ、それを見て白馬が高くいななき、大王はますます力に満ち知恵があふれていった。そのため国も栄え、他の国々の人たちも輪陀王を尊敬し従っていった――という物語であります。
 日蓮大聖人は、この白鳥を大御本尊、白馬のいななきを南無妙法蓮華経の力にたとえられております。題目の力は自分個人を人間革命していくのみならず、社会をも大きく転換できるほど偉大であるというのが、この物語の意味であります。
 それはそれとして、私はここで、たとえば白馬を私たちお父さん、白鳥を皆さん方になぞらえて考えてみたい。ちょうど、白馬が白鳥の姿を見て高くいななくように、私たち大人は皆さん方が元気であるならば勇気凛々、ますます力が湧いてくるのをおぼえるのであります。皆さん方こそ、私たちの最大の生きがいであり、希望の太陽であります。皆さん方があってこその私たちである。皆さん方が大空高く舞い上がっていくならば、それだけ私たちにも力が満ちてまいります。どうか、この私たち大人の気持ちを知っていただいて、すこやかに成長し、天空高く鳳凰となって舞いゆかれんことを切望し、私の話とさせていただたきます。(大拍手)

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