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日蓮大聖人・池田大作

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10月度子部幹部会 救世の革命に悔いなき青春を

1969.10.8 「池田大作講演集」第2巻

前後
1  きようは、男子部の年次総会に代わっての幹部会でもあり、ここに、五項目に要約して所感を申し述べたい。
2  第一に『諸君の青春は、悔いのない青春を満喫しながら、永遠の幸福の直道を邁進していると確信すべきである』
 考えるに、時代はいつも、それぞれ異なった青春像を刻んでまいりました。古い時代はさておき、昭和に入ってからの青春像の系列を思い起こしてみると、まず昭和初期には、非合法活動に挺身する左翼青年の苦闘があった。いわば、毎日が官憲との戦いであった。この時代が終わると、第二次世界大戦末期の、あの特攻隊の青春像が浮かんでくる。”死”以外になにものもないという暗たんたる青春像である。
 戦後二十数年を経過した今日の青春像は、世間ではゲバルト学生に象徴されるようにいわれております。私は、これら青春像を思い比べるとき、痛ましい思いをどうすることもできません。なぜならば、これら青春像の末路には、犠牲と悔恨の影が色濃くつきまとって離れないからであります。こうした、さまざまな青春像の実態を見るにつけ、いつの時代にあっても、いずれも傷つき、犠牲と悔恨に終わるのが青春であるという観が、世間の定説となってしまったとさえ思えてならない。
 しかし私は、諸君の青春こそは、このような轍を踏むものではない、ということをここに断言するものです。(大拍手)
 悔恨に終わる青春は、全て他の思想による過てる人生行路の、過去の青春の思い出にすぎないということを、声を大にして宣言しておきたいのであります。(大拍手)
 彼らの青春が、はかなく終わったのは、彼らの命として信奉した思想そのものに原因があったからであります。それらの思想が、彼らの青春を誤らせてしまった。時代の流れは、それらの思想の脆弱さをあばいて今日にいたったとみてよい。
 それにひきかえ、私どもの信奉する思想と実践は、日蓮大聖人の生命哲理に由来している。幾百の既成の思想概念も遠く及ぶところでないことは、諸君のよく知っている通りであります。
 故に、現代における高次元の、唯一、最大の思想である日蓮大聖人の色心不二の哲学を再確認して、生涯、勇気をもって前進しきっていっていただきたいのであります。(大拍手)
 その実証は、必ずや生涯にわたって、私どもの日常の周辺に、明確に目にすることができる。この過つことのない思想への信奉は、その理想を見事に実現させ、一抹の悔いも残さないことはいうまでもない。また、これ以上の最高の青春の前進はありえないと断言いたします。
 諸君の青春こそ、かつて誰人も味わうことのできなかった、全き青春、新時代の青春であることを強く確信し、誇り高く生き抜いていっていただきたいのであります。(大拍手)
3  第二に『諸君の青春の歌は、魔の権力との闘争に凱歌を上げることにある』
 現代社会の多くの実力者、権力者が、今後、諸君の行く手に立ちふさがってくるでありましょう。私は、諸君の先頭に立ち、今日まで、それらと戦ってもまいりましたし、切り開いてもまいりました。また、今後も先頭に立って戦うでありましょう。
 しかし、それら一部の実力者や権力者個人のみを”悪”と見誤り、それらのみが闘争の対象であると思ってはならない。それらの存在はまだまだ小さい。その根ははるかに深い、と私はいっておきたい。
 広宣流布の終盤の活動が激化するにつれ、魔の力も増大することは、御金言の通りであります。だがその大悪も、必ずや大善に転換されることを、生涯、いかなる闘争にあっても忘れてはならない。
 これまでも私どもは、あらゆる戦いにおいて、魔を痛烈に打ち破って勝利を示してきた。これからもまた、堂々と、魔を迎え撃って、大仏法の偉大さを証明してまいろうではありませんか。(大拍手)
 御書に「悪鬼入其身」と説かれている。魔が、巧妙にも社会の実力者や機力者の身に入って災いをなすという原理を示した御聖訓であります。しかし、一人の総理大臣や一人の大資本家に、それほどの力があるとは私はみない。故に、一人の権力者、財閥等を倒したからといつて、完全に輝く未来の幸福と安泰があるとはいいきれない。
 これら魔との戦いに、凱歌を上げることのできるのは、私ども仏の軍勢しかない。というのは、それらの魔は、宇宙に遍満する魔それ自体に根源があるからであります。
 その宇宙に遍満する魔が、社会の実力者の身に入っているということを忘れてはならない。故に全宇宙に題目の声を高らかに響かせきっていく、すなわち全世界の広宣流布に挑む信力と行力のみが、魔を屈服させ、魔を全滅させていく根本の方程式であるということを、肝に銘じてほしいのであります。(大拍手)折伏の執念、闘魂のみが、それら悪鬼・魔神を、一つ一つ打ち砕いていくということを忘れてはならない。(大拍手)
 私ども青年革命児の団結と、闘魂によって輝く凱歌を上げきるまで、戦っていこうではありませんか。(大拍手)
 所詮、一切の魔の権力との戦いこそ、広宣流布の戦いであり、決して真の敵を見誤ってはならない。すなわち、主権在民である故に、全民衆のなかに飛び込み、妙法を与えきっていくことが、最も大切なのであります。
 妙法の楔を打ち込むその戦いからみるならば、政治革命、経済革命等は、はるかにやさしく、次元の低いものと考えられるのであります。
4  第三に『男の幸福の実体は、いつたい何にあるか。それは畢竟するに、この世で自分の才能と力を十二分に発揮することにある』
 幸福は万人が願いながら、しかも、ほとんどの人が、かなえられずに生涯を終わっているといっても、過言ではないでありましょう。
 人はあまりにも不幸であるとき、幸福とはいかなるものであるかさえ深く考えようとしない。不幸のドン底にありながら、自分は不幸ではない、幸福だと傲慢にもうそぶいているのが現実の姿ではないでしょうか。現代ほどこのような人々が充満している不幸な時代もないといいたい。彼らの生命は汚染しきっている。故に、幸福への失格者として、寂しく人生を閉じていくのも、また当然といえましょう。
 これに対し諸君の生命は、いまや妙法の力で日に日に清浄化されつつある。その道程を過ぎ、命濁が消えたとき、諸君の生命は、豁然と仏の力をもつにいたるでありましょう。輝くばかりのたくましい生命力、希望に満ちみち、充実しきった人生、新社会建設への闘魂の力を勝ちえることができるのであります。なんと崇高な、尊い人生、青春ではありませんか。(大拍手)この清浄な生命の力が諸君の全能力を最大限に開花させるのであります。したがって、諸君の前途には男としての幸福が、堅くかたく約束されている、と私は断言したいのであります。(大拍手)
 男の幸福は、いわゆる金や権力、名声やマイホームなどにあるのでは決してない。諸君のなかにまだ眠っている才能や能力を、自己のため、そしてまた人類のために、絢爛と花咲かせていくことにある。
 詮ずるところ、正義の思想に生き、革命のために生涯を戦い抜いていくことこそ、男としての真実の幸福の実体である、といい残しておきたいのであります。(大拍手)
5  第四に『諸君は日蓮大聖人の青年学徒であるが、同時に、現代社会における唯一の正統な革命家であると自覚すべきである』
 現代においても、革命家を自認する人々は多い。しかし、己れのいだく思想に、もはや心の底から信頼を寄せている人はいないであろう。
 既成の恩想は、ことごとく矛盾と欠陥を内包しているからであります。いわゆる革新陣営の激しい内部抗争は、それを物語ってあまりあるものがある。
 今、数百万の青年が、一つの矛盾もない、力ある思想を心から信奉し、整然と実践しつつある団体は、いったいどこにあるでしょうか。我が創価学会男子部をおいて、世界のいずこにもないと断言しておきたいのであります。(大拍手)
 現代社会の質量ともに、最大のエネルギーがここにある。しかも、それは二十世紀後半からら二十一世紀へと、生命の世紀の扉を開こうとしている。警世の鐘を乱打しつつ、救世の実践を着実に敢行しているのです。しかも他に犠牲を強いることもなく、自らも犠牲になることもない妙法の革命家が、私どもであります。これこそ現代社会における唯一正統な新しい革命家の登場でなくして、なんでありましょうか。(大拍手)
 諸君! その意味において、我らは進もう。我らは戦おう。そして我らは断じて勝とうではないか。(大拍手)
6  第五に『諸君は、滔々たる生命の流れに身をまかせて、時代の激流に抜き手を切って進まねばならない』
 "時代を知れ"とは”時代を洞察せよ"ということであります。今、人間社会の時代の激流をみるならば、末法という下流にくだるにしたがって、濁りきってしまった。
 臭気は鼻をつき、どす黒い流れとなって人々は顔をそむけ、もがきながら窒息にあえいでいる。それが社会の現状であります。
 仏の使徒である正統なる革命児の諸君は、一人として、そのなかにおぼれるようなことがあってはならない。私どもの滔々たる生命の清流は、源を遠く発していたが、今ここに時きたり、混濁と化した社会の激流に突入した。そして激突を開始したのであります。
 ウズは巻き起こった。しかし、人々は、まだ私どもの、この”浄化”の働きに気がついていない。ウズは大きく巻き始めております。その証拠に、遂に日本の第三勢力となり、実質的に日本を動かす力となっているではありませんか。(大拍手)
 草創期の激闘が、今ここに再び始まっているのであります。故に、私どもは抜き手を切って進まなければならない。抜き手とは何か。――日々の存分なる闘争、信・行・学の実践であります。生命の清流はいまや時代の流れであり、やがて全ての混濁を浄化するでありましょう。これを宗教革命とも、広宣流布とも、生命の世紀ともいうのであります。
 どうか、安んじて、この清流の大河に全身をまかせ、ともどもに勇敢に抜き手を切り、まず、日本の広宣流布の彼岸まで進もうではありませんか。(大拍手)
 ともあれ、男子部の闘争と前進が革新を意義づけ、革新それ自体であり、また、革新の象徴であることを自覚されたい。諸君の健康と、いよいよの健闘とを心より祈るものであります。(大拍手)

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