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日蓮大聖人・池田大作

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青年部幹部会 ″源氏″の精神貫こう

1968.3.13 「池田大作講演集」第1巻

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1  きようは懇談的、座談的に話をさせていただきます。皆さん方がでいつも元気に真剣に戦っていることはよく知っておりますし、楽しくをしてさしあげたい気持ちでいっぱいであります。
 私は、一青年部員のときもありましたし、班長、部隊長、そして青年部最高幹部としても戦いました。また、支部においては地区部長、支部長代理等と、だいたい一通りの役職を務めてきたつもりです。
 きよう集まった諸君のなかには、班長も隊長もいると思う。そうした人達の苦労を、私はだれよりもよく知っておるつもりであるということを申し上げたいのであります。(拍手)
 戸田前会長は昭和二十六年五月三日に会長に就任いたしましたが、それから間もなく七月十一日に、正式に男子部の結成がなされました。この間の歴史的事実は「男子青年部の歩み」に書いておきました。
 そのとき、私は第四部隊の四人の班長のなかの一人で、班員は三十二名でした。第四部隊は部隊長の陣頭指揮で魅力ある実践の部隊として、邪宗闘争とか理論闘争には非常に強かった。
 私は常に先輩を大事にし、立ててまいりました。終始、部隊長を守りきって戦ったのです。しかし、ときには部隊長の無理な指導に矛盾を感じ、部隊長はもう少し後輩に対し思いやりをもち、納得のいくようにしたらどうか、こう心のなかで思ったこともありました。同じように諸君の後輩も、諸君に対してそう思っているかもしれない……。(笑い)
 幹部は自分一人いい子になり、人に認められて立身出世しようと思い、同志や後輩を踏み台にするようなことは絶対にあってはならない。自分の身をなげうって後輩を立派に育成しようという真心と情熱こそ、もち続けるべきです。
2  青年部の創造性に期待
 昭和二十八年一月元旦、私は第一部隊長に就任しました。
 そのころ、男子部は四個部隊でしたが、私を含めた四人の部隊長がある意味で学会を支えていたのです。四人は陰に陽に活躍し、朝早く会う場合もあったし、夜遅く会う場合もあった。なんとしても戸田前会長についてしっかりと学会を支え、道を切り開いていこうという責任感にあふれ、革命の息吹きに燃えきっていたのです。
 今は学会も大きく発展して、四人や五人の部隊長の力ではもはや支えられるものではない。私どもが昭和二十六、七年ごろに行なったと同じ立ち場で、今度は、それ以上に皆さん方、大勢の力で、創価学会の前進、広宣流布の前進を支え、切り開いていっていただきたいことをお願い申し上げるものです。
 私は会長就任以来、常に青年部の次の戦線の創造性に期待し、これを訓練し、楔を打ってきました。その人達が、段々に一皮むき二皮むいて成長していかなければ広宣流布はできないからです。私は、皆さん方の時代を築いているのです。
 先日、ある立派な一流の新聞社の方と懇談したのですが、その人は、二皮も三皮もむいていくために先手、先手と打っていくことは、なかなかできないことですね、といって感心してくれました。
 私は、未来の限りなき発展のために、先手、先手と打って訓練しているつもりです。我々は年をとってくる。創造性にも限りがある。人間の力にも限りがある。あとは若々しい理事とか本部長とか、部長、部隊長、隊長とか、そういう人達に大きい期待をかけております。かける以外に道はない。そのあとは、高等部、中等部、少年部が続いており、心配はないようにしていきたい。
 皆さん方も現在の境遇に甘んずることなく、思う存分に個性を発揮し、開拓精神に燃えて、生き生きと自己の広宣流布の歴史と伝続を築ききっていただきたいことを、心からお願い申し上げるものであります。(拍手)
3  仏法の公場対決は折伏、王法の公場対決は選拳
 今の政治家、指導者達は、責任ある立ち場にいながら、こと宗教に関しては、全く無知に等しい状態です。それでいて、裏では、巧みに各種の教団と手を結んでいる。ある政治家は立正佼成会と結託し、ある政治家は生長の家と関係するといった具合いに――。
 宗教の正邪・浅深などいっこうにわきまえず、ただ己れの利益のために教団と結びつく。こんな矛盾した話があるでしょうか。
 今私どもは、日蓮大聖人の強仁状御返事の一節を拝して、こうした世間の根本的な誤りを、はっきりと自覚しておきたいと思います。
 すなわち同御書には「其の上大覚世尊は仏法を以て王臣に付属せり世・出世の邪正を決断せんこと必ず公場なる可きなり、就中なかんずく当時我が朝の体為る二難を盛んにす所謂自界叛逆難と他国侵逼難となり、此の大難を以て大蔵経に引き向えて之を見るに定めて国家と仏法との中に大禍有るか」とあります。
 この強仁状御返事は、文永の役の直後、建治元年十二月におしたためになった御書であります。当時、我が国には飢饉、疫病、内乱等、三災七難が盛んに起きてまいりましたが、大聖人は、それらの災難が競い起こる根本原因は、仏法、王法がともに誤まっていることにあるとして、公場対決を強く叫ばれたのです。
 「大覚世尊」とは、一往は釈尊のことでありますが、再往、末法の私どもの立ち場から拝するならば、御本仏日蓮大聖人のことであります。
 「仏法を以て王臣に付嘱せり」の「王臣」とは在家のこと、今日でいえば、私ども創価学会、公明党の同志のことになります。
 また「世・出世の邪正」の「世」とは世間法、たとえば政治とか社会をいい、「出世」とは仏法のことです。
 仏法の公場対決とは、今日では折伏行を指し、政治の正邪を決する公場対決とは、選挙のことをいうのです。
 すなわち仏法と政治の正邪は、折伏と選挙によって、ともに民衆の前で決定していくべきである、との大聖人の御金言であります。
 「就中当時我が朝の体為る二難を盛んにす所謂自界叛逆難と他国侵逼難となり」――大聖人ご在世における自界叛逆難とは、かの北条時の乱を指し、他国侵逼難とは、蒙古の襲来を指しております。
 現在の日本も、内にあっては国民不在の保守・革新の激突が繰り返されており、外にあっては、ベトナム戦争を中心とする世界の戦乱の嵐が、刻々と日本に押し寄せつつあります。今後も、各方面では我が国の防衛をどうするか、米中戦争のにどう対処するか等々、日本の安全保障をめぐって長期にわたる論議が繰り広げられることは、火を見るよりも明らかであります。
 しがって、自界叛逆難、他国侵逼難といっても、決して過去の問題ではなく、このように、厳しい現実となって現われてきていることを知らなくてはならない。
 「此の大難を以て大蔵経に引き向えて之を見るに」の「大蔵経」とは、釈尊一代五十年の経々を指しますが、再往は、それら釈迦仏法の教えをも一切包含して、大難の原理を余すところなく説きつくされたのが「立正安国論」であります。
 「定めて国家と仏法との中に大禍有るか」――政治のなかに大禍があるとは、民衆を忘れた私利私欲の政治のことです。汚職にせよ、金権政治にせよ、保守・革新のなれあいにせよ、理念なき政治にせよ、全てこれ大禍でです。そして、更に仏法のなかにも大禍があるとは、誤った諸宗教団と国家権力とのいまわしい結託を指すわけです。
 現在、日本には、宗教法人の認可をうけた教団が、なんと十八万もあるそうですが、その全てが、教義において根本的な誤りを犯しているのみならず、宗教法人という法律のカサの下で、完全な企業体に成り下がっているのです。こうした宗教界の堕落も、仏法の大禍です。
 真の世界平和を実現するためには、仏法、王法ともに、その誤りを正していかなくてはならない。片方だけをよくしても、幸福は望めないのです。しかもこの重要な原理は、私どもだけが知っている原理です。そこに王仏冥合実現の大事なゆえんがあることを自覚していただきたい。
 すなわち、この強仁状御返事の一節に説かれた御金言は、我が創価学会、公明党に対してくだされた仏勅であると確信し「宗教革命、政治革命を成しきっていきなさい。それ以外に日本国の安泰、平和、また自界叛逆難、他国侵逼難を解決する道は絶対にない」とのご命令と拝して、勇ましく実践していきたいのであります。(拍手)
 それ以外に、日本を救い、世界を救いきっていく根本の道はないと、私は訴えたいのであります。
4  "源氏"の革命精神で
 きようは、諸君と一緒に″花の源義経"を歌いたい。(拍手)
 これは私がまえから非常に好きであった歌です。歌の意味は、おのおの、どうとろうとも自由です。いつも堅苦しい歌だけを歌わなくてはならないということはありません。(笑い)幅広く、洋々と、なんでも歌っていきたい。ちようど、三月四月は花の季節です。この″花の源義経"ぐらい歌って、青春を謳歌するのも、無意味ではないと思います。
 そのなかに「おごる平家の赤旗に、立つや源氏の白い旗、ひよどり越えてひた押しに、扇の的を射ち落とし、もくずと砕く壇の浦」との一節は、我々の立ち場にあてはめて、さまざまに意味のあることを感ずるものであります。
 「おごる平家の赤旗に」――「おごる平家」とは、保守政権です。本当におごりたかぶっている。権力をふるって、真面目な民衆をどれほど痛めつけているかしれない。″赤旗"だから、左翼のほうも入ってしまう。(笑い)「立つや源氏の白い旗」――我々は、″源氏"でいかなくてはいけない。弱冠二十何歳の義経の闘争を歌ったところでしょう。
 「ひよどり越えてひた押しに」――これは奇襲作戦です。その陰には、草の実党の懸命な闘争があった。「扇の的を射ち落とし」――これも、彼の部下がやったことです。みんなも、戦いにおいては、扇の的をはずして、見当はずれのところを射ているようではいけない。(笑い)
 「もくずと砕く壇の浦」――おごりたかぶった人間やその勢力を徹底的に打ち破り、打ち砕いていく、その正義と信念の戦いです。こういう気持ちで進んでいこうではありませんか。(拍手)
 私は、義経のごとく戦ってきたつもりです。皆さん方も″義経″になってください。我々は″源氏″でいこう。それも、古くさい、悲惨な最期を遂げるような義経ではなく、近代的な、妙法の義経として、現代に、また未来に生きる″花の義経″として、ロマンあふれる革命児になっていただきたい。
 皆さん方の幸せと、諸君の健闘を心からお祈りして、私の話を終わります。(拍手)

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