Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第1回婦人部総会記念論文 創造性ある″全体人間″たれ

1969.3.1 「池田大作講演集」第1巻

前後
1  過日行なわれた第一回婦人部総会を記念して、今後の婦人部の皆さんの成長・発展を祈り、この一文を寄せるものである。
2  女性の特質は平和主義
 かつて、パン・ヨーロツパ主義の提唱者、クーデンホーフ・カレルギー伯とも語り合ったことであるが、女性、特に婦人の特質は平和主義にあるといってよい。子供を育て、幸福な家庭を築くという婦人の最も切実で重要な仕事は、社会、国家、そして世界の平和なくしては、ありえないからである。
 そうした女性の特質は、物心ついたばかりの子供のころから、すでに明確にあらわれている。すなわち、男の子が最もほしがるものは、剣やピストル、鉄砲などの玩具であり、遊びといえば、戦争ごっこで、撃たれて死ぬ場面など、名優そこのけのの演技を見せてくれる。これに対し、女の子は、人形を我が子に見たてて、いっばしのお母さん気取りで、着せ替えをしたり、おフロに入れたり、看病するまねをしたりする。
 もとより、多少の例外はあろうが、本質的に男女の特性をいえば、男性は闘争と破壊であり、女性は平和と建設であるといえるように思われる。過去の歴史の最大の悲劇は、こうした女性の平和と建設の特性が、常に、男性の闘争と破壊の原理に圧倒され、踏みにじられ、押し殺されて、時代を動かす力となりえなかったことに起因するといえないだろうか。
 私の母も、かつての軍国主義の権力のもとに、子供を奪われ、悲しみに打ちひしがれた犠牲者の一人である。おそらく、日本の婦人の大部分が同様の悲しみを体験したはずである。更に、現在もなお、ベトナムの戦線に、我が夫を、我が子を奪われて、悲嘆に暮れている幾多のアメリカの婦人、ベトナムの婦人がいることであろう。
 しかも、恐るべき核兵器の登場した今日、戦争と平和の問題は、人類の運命をかけた最大の課題であるといっても過言ではない。
 私は、真に崩れざる平和世界の建設という、この人類の悲願を実現するは、女性がその自己の特質をいかにして発揮し、社会、国家、更には世界を舞台に生かしていくかにかかっていると断言しておきたい。
3  女性解放の先駆者たれ
 しかしながら、それは、戦後叫ばれてきたような、形式上の男女同権や、あるいは最近、社会的風潮となりつつある″女性上位時代″などといったものをいうのでは全くない。女性はあくまで女性として、その特質を発揮し生かしていくのでなければ、なんの意味もない。それを知らずして、男性と同じように振る舞うことが男女同権であり、男性の領域を同じように占めることが両性の平等であると錯覚したところに、戦後の男女同権がなにものをも解決しえず、恩恵をもたらさないまま、不毛化してしまった根本原因があると思われる。
 たとえていうならば、戦後、男女同権の叫び声のもとに、一時たくさんの女性国会議員が誕生した。ところが、その後、選挙のたびに女性議員は減少し、かつての花やかな姿は今では見るべくもなくなっている。
 結局、過去の女性解放運動は、外から課せられた社会的・因習的束縛から、いかにして自由を勝ち取るかが最大の目的であった。
 ところが、敗戦による民主化のなかで、そうした外からの束縛は、自動的に取り除かれた。同時に、今度は、女性自身の内からの自由、真の主体性の確立という問題が、最も大きい、根本的な課題として現われてきたのである。
 この内からの自由、たとえば宿命との戦い、あるは煩悩や人間的な弱さなどの克服を、いかにして成し遂げるか、また、自己の本燃的にもっている特質をどのように発揮し、生かしていくかということは、過去のいかなる思想・哲学・宗教をもってしても達成することができなかったのである。
 所詮、この問題を解決し、女性としての自らの特質にめざめ、隠れた能力を存分に発揮させていく源泉は、妙法の鏡による自体顕照と、妙法の実践による人間革命以外には断じてないのである。すなわち、この妙法を受持した婦人こそ、真の女性解放の先駆者であり、その力を社会、世界のうえに発揮して、人類の平和の新時代をく唯一の原動力であると確信したい。
4  太陽のごとく明るく
 これからの婦人は、家庭のなかにじこもって、家族の健康や、家計のことだけ考えておればよいというわけにはいかないであろう。時代は大きく変わっている。特に、学会婦人部の皆さんは、全婦人の指導者として広く社会的な見識と、人生についての英知をもって、社会を舞台に活躍していく婦人であっていただきたいと思う。
 だからといって、家庭をないがしろにしてよいというのではない。家庭は大事にしなくてはならないし、あくまでも、婦人は家庭の太陽のごとき存在であってほしいと思う。その家庭での役目を果たしきつたうえで、余裕を生み出して、どしどし活確していただきたいと申し上げるのである。また逆にいえば、そうした余裕を生み出せないようでは、家庭の太陽のような、明るさも、英知もありえないのではなかろうか。
 客観的にみても、今日、家庭の主婦の仕事は、あらゆる面で近代化され、合理化されてきている。戦後の生活の合理化、近代化といわれるものの大部分は、主婦の仕事に関するものだといっても過言ではあるまい。たとえば電気洗濯機、電気掃除機、自動炊飯器、更に最近は、電子レンジだの、食器洗い機などというものまで現われている。
 それに比べると、男性は、ほとんど無視されているような状態である。相変わらず通動の電車は超満員であるし、職場の設備などもオートメーションの工場などの場合はともかく、いわゆるホワイトカラーの場合は、昔と少しも変わっていない。
 私も「人間革命」や「科学と宗教」あるいは「若き日の日記」また、外部の雑誌等の寄稿のため、よく原稿を書くが、紙に向かってペンで書くというのは、おそらく何千年もまえのエジプト時代、パピルスに向かって書いたのと少しも変わっていないようである。
 ところが、婦人の場合はこれだけいろいろな面で合理化されているのであるから、時間のゆとりが、かなり生み出せることは間違いない。また、そうなっていくのが時代の趨勢ともいえよう。そうして生まれた余裕をいかに価値的に使っていくか、そこに未来を動かしていく真実の婦人と過去の惰性の婦人との違いがあり、人生における勝敗の分かれ目があるといいたい。
5  なんでもこなせる″全体人間″に
 私は、これからの時代は、創造的であり、個性的であることは当然、更に、なんでもこなしていける″全体人間″でなくてはならないと思う。家事だけやっていればよいというのでもなければ、家庭など捨てて、職業婦人として、自分の専門だけ身につければよいというのでもない。家事も、仕事も、政治のことも、あらゆる文化、趣味も、なんでもこなすことができ、そこで創造的な才能を発揮していくことのできる人でなくてはならない。
 このあらゆるものを吸収し、自分のものとしていく、力と智恵の源泉が信心であり、仏法である。
 ある文化人類学者の著書に、その人が中央アジアのある国を訪れたときの話が出ていた。その国は古くからの仏教国であるが、そこの王女は、べつに大学を出たり、西欧の学問を学んだわけでもないのに、たとえば西欧の学問の先端をいく論文などを読ませて批評を聞くと、実に鋭い指摘をする。仏法という精神文化の基盤が、このような高い英知をしぜんのうちに生んでいると感嘆していた。
 その国の仏教は、ようやく華厳経程度の大乗である。これに対し、八万法蔵の究極の法たる、最も高く、最も深遠な大仏法をたもったのが我々である。三大秘法の御本尊を受持し、我が身即妙法の当体とあらわれたとき、あらゆる力と智恵は必然的にそなわり、人生、社会のうえに、放射能のごとく発揮されていくことは必定である。
 今″全体人間"というのも、その究極は輪円具足の事の一念三千の御本尊と境智冥合することにほかならない。すなわち、我が身即一念三千の当体とあらわれることが″円人″すなわち円融円満の人格であり、真実究竟の″全体人間″なのである。
6  学会活動こそ最高の鍛練
 これを、もっと身近な、私どもの実践に即していえば、学会では、信心したが故に、あらゆることがこなせなければならなくなる。これまで、人前で話したこともない人が、大勢の人の前で体験発表する。人にいわれるままに、ただ消極的に受け身で生きてきた人が、確信をもって折伏する。これ自体、大きな人間革命といえよう。
 更に幹部になると、大勢の人の前で話をするのはもちろんのこと、統監の数字を扱ったり、登山の会計を担当したり、引率係になったり、あるいは言論部員として原稿も書かなくてはならない、本も読まねばならない。ときには、民音の例会に登場する、音楽やオペラ、バレエなどの解説までしなければならないこともあろう。
 大変であろうとは思うが、こうした学会活動の一つ一つを立派にやりきっていくことが、時代の先端をいく″全体人間″としての、最も理想的な鍛錬になっているのであり、同時に、時代そのものを動かす湖流を巻き起こしていることを知っていただきたい。
7  新世紀を拓く宗教革命
 「科学と宗教」のなかでもふれておいたが、今後とも科学は、ますます急速に進歩し、発達していくことは間違いない。それにともなって、これまでの人間の労働や、個々の技能で占められてきた分野は、どしどし機械にとってかわられるようになるであろう。そうした科学時代に要請される人間の理想像こそ、まさに″全体人間″というべきものであると私は考えている。
 また、今日すでに各方面で論議されている生活の機械化、合理化による人間疎外、主体性喪失の問題も、これから先、ますます深刻化していくことは疑いない。そのときに人々が、なによりも強く求めるものは、精神の支柱としての、力ある哲学であり、宗教である。
 物質文明、科学文明の時代にあって全民衆を納得せしめ、力強い支えとなり、ひいては、科学文明、物質文明をリードしきっていく大哲学、大宗教は、日連大聖人の三大秘法の仏法以外には、ありえないと私は訴えたい。
 したがって、この仏法を、全世界のあらゆる人々に知らしめていく戦い、すなわち、私どもの広宣流布の活動は、新しい世紀を拓く未會有の宗教革命、思想革命を意味するのである。
 いまだかつて、いつの時代、いずれの国に、これほどたくさんの婦人が、燃え上がる情熱と、清らかな団結をもって、思想革命、宗教革命のために立ち上がった例があったであろうか。
 しかも、このように、婦人が立ち上がったという事実は、人間の生活の最も基盤である家庭のなかから、この革命の波がわきおこっているということにほかならない。それはすなわち、この革命こそ、過去のいかなる革命よりも深く人間存在そのものに迫る、最も根底的な無血平和革命であることの実証と確信するのである。
8  子孫末代の福運築こう
 ある有名な大脳生理学者の説によると、人間の脳の形成において、最も大事な時期は、三歳までの赤ん坊の時代と、五歳から七歳までと、十歳前後であるが、特に三歳までの期間は両親の生活態度そのものが、赤ん坊の脳の形成を決めてしまうそうである。
 この時期の赤ん坊には、なんの理解・分別もない。だが、ちようど巨大な建造物の土台石のように、この期間に生命で感じとったものが、その人の一生を支えていくという。
 この考えは、より深く生命論からみたとき、まことに多大な示唆を含んでいると思う。両親の生活は、そのまま子供の生命の形成につながっているのであり、子供は、なにもわからずとも、無心に乳を吸うのと同じように、両親の生活態度の一切を吸収していくのである。
 したがって、特にお子さんと接触の深い婦人の皆さんが、信心強盛に、しっかり学会活動していること自体、自分自身の福運はもとより、お子さんの福運を増し、人間形成をしていることになるのである。皆さんが地涌の菩薩として生き抜いたときは、すでにお子さんもまた地涌の子である。この厳粛な生命の因果の理法に心を開いて、お子さんのため、お孫さん方のため、更に力強い日々を送っていただきたい。
9  異体同心の戦い
 生死一大事血脈抄の一節を拝し、私どもの戦いの要諦としておきたい。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮しょせん是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」と。
 「自他彼此の心なく水魚の思を成して」とは、広宣流布という偉大な目的に向かって進む、同志の完璧なる団結を意味する。私どもの団結は、利害のつながりでも、通り一遍の感情のつながりでもない。信心を根本とし、未曾有の大目的にめざめた、生命と生命、呼吸と呼吸の和合であり、それらが一個の大生命となっていることである。これ以上強い、美しい、清浄なつながりは断じてない。これを異体同心というのである。
 「生死一大事血脈」とは、異体同心の戦いのあるところ、もったいなくも、日蓮大聖人の御血が流れるということである。生死とは、我らの生命であり、一大事とは、三大秘法即日蓮大聖人の全生命である。
 したがって、今、日蓮大聖人の全生命は、創価学会という一個の生命に、そして、そこに生きる学会員の皆さん一人一人の生命に脈々と流れていることを確信されたい。異体同心の和合僧団を離れて、大聖人の血脈、信心の血脈のありえぬことは、御金言に照らし、あまりにも明白である。
 ここに、創価学会という団体が、不思議な力をもっているゆえんがある。創価学会を守ることは大聖人の仏法の血脈を守ることであり、すなわち、汝自身の生命に、妙法の血脈を流れ通わしめることに通ずる。
 しかも大聖人は「日蓮が弘通する処の所詮是なり」と、仏法の究極はこのことに尽きると仰せである。
 されば、創価学会を離れて、末法の仏法の全体も、修行の一切も、真実の悟りも、絶対にない。また、人生も、社会も、文明も、ことごとく、仏の血脈を離れた根無し草であり、かわって、魔の血脈となってしまうことを、ここに断言しておきたい。
 「若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」とは、我らの大願とは、広宣流布こそ全てであり、これを成就していく根本は、ただ異体同心の戦いしかないとの仰せである。
10  団結堅き″異体同心丸″
 私は、かつて、美しい、力強い団結で、進む創価学会を大船になぞらえ、その名を″異体同心丸″と名づけた。皆さんは、全員、その誉れある乗り組み員である。
 今、この大船は、生命の世紀に向かって、荒れ狂う怒涛も悠々と乗りきって、いよいよその速度を増しながら進んでいる。その大船を動かしている主体者は皆さんである。皆さんこそ創価学会の支えであり、創価学会それ自体であるといってもよい。その皆さんに、大聖人の血脈が流れないわけはない。絶対に幸福へのコースを、真一文字に進んでいることを確信していただきたい。
 だが、名聞名利のため、あるいは虚栄のため、見栄のため、同志を大事にせず、いじめたり、犠牲にしていく人は「城者として城を破る」との戒めにあたる人であろう。厳しい仰せではあるが、創価学会の精神は、これ以外になく、また、今日までの伝統も、現在の戦いも、未来の建設も、絶対に、異体同心の四文字に尽きることを知っていただきたい。
 この栄えある第一回婦人部総会を、新たなる建設の、戦いの第一歩として、更に清新の息吹きをたたえ、世界一の婦人、世界一の幸福な家庭、世界一の清らかな婦人団体として、見事なる人間革命、家庭革命、社会革命の前進を開始されんことを心より祈ってやまない。

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