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全魂傾け道ひらく 男子部幹部会

1965.7.15 「会長講演集」第13巻

前後
1  七月と聞きますと、私はひじょうに思い出が多い。青年部の結成式も七月であった。そしてまた、恩師戸田先生が牢から出られたのも七月の三日である。炭労事件があったのも七月であった。また私が牢へはいったのも七月であった。また南無妙法蓮華経の七文字にちなんだ七月に、私はいろいろと思うことがある。
 また事実、七月はいろいろな戦いが要約された歴史があります。こんども参院選、都議選と、ともに七月です。このまえも七月でした。等々、数え上げればきりがないくらいです。
 私は、戸田先生が牢から出られた七月三日に牢へはいった。昭和三十一年のことです。ちょうどそのまえに、六月の末あたりから、炭労事件があったのです。余談になりますが、先日こんどは、滝田全纎同盟会長が、公明党と対決するといった。
 ほんとに坊やみたいなものですが……。(笑い)
 だんだん自分のほうの票が減った。だんだん自分の陣営に敵みたいのが出てきたと、敵にしてしまっているのです。
 それでこういうことをいうのではファッショです。労働貴族の考え方です。高い水が下へ流れてくるのはとうぜんです。それを、やきもち焼いて、女工さんをいじめるなんていうことは男のとる道ではありません。いわんや、いちおう名のとおった労働組合の指導者がすることではありません。これが乱世というものです。
 それはそれとして、あの昭和三十一年の炭労事件のときに戸田先生の代理として、私が指揮をとったのです。たくさん理事もおりましたが、私は理事ではなかったのです。
 私は一青年部の幹部です。それでも戸田先生は、ちゃんと私に印綬を託して“戦ってこい”といわれた。
 それで最初に札幌で戦い、さらに七月二日に夕張で戦いをしました。私はそこで障魔を打ち破って、それからすぐに大阪に飛行機で飛んで行ったのです。後輩がずいぶん検事にいじめられておってかわいそうですから。なにも悪いことをしていないのです。かれらは牢へはいった同志をいじめぬいて、私をなんら関係ないのに引っぱったのです。ですから裁判ではいっぺんに無罪です。それは、ぜんぶ検事の工作でした。“池田をつかまえた”と喜んだ検事は、いま左遷されて、たいへんな不幸な目にあっております。
 ですから、昭和三十一年のいま時分は、ちょうど牢へはいっている最中だったのです。七月三日から十七日まで十五日間。それでも戸田先生の戦争中の二年間からみると、これもまた赤ん坊のようなものです。
2  私はいい経験をしました。ちょうど出たときには、前理事長が迎えにきてくれていたのです。ですから私は話した。「やっぱり理事長、検事でもなんでもいばっている」と。「どうしても仏法を根底にして、王仏冥合する以外ない。ずいぶん善人まで罪人にされて苦しんできたろうと、いくら民主主義といいながらも、たいへんな内容です。正しい者が政治をとらなくてはいけない。そうでなけば、正しい人が、まじめな人が、正義の人が、永久に滅んでしまうし、苦しんでしまう」と話しました。前理事長も「そうだなあ」といっておりました。
 私はこれだけの身です。平凡な青年です。しかし、これだけ青年部の幹部がいる、未来のために、正義のために、王仏冥合実現のために、全魂を打ち込んで私は道を開いていく。そして最後の総仕上げは、学生部に、そしてまた青年部の幹部にぜんぶやってもらおうという決心でいま戦っていることを知ってください。(拍手)
 私には、それは仏法上の使命はある。それは知っています。しかし、なんの野心もありません。なんの野望もありません。信心一本で学会を守り、日蓮正宗を守り、後輩を守り、同志を守っていくことだけであります。諸君は偉くなってもらいたい。うんと努力し、勉強して栄えてもらいたい。ヒノキ舞台におどりでてもらいたい。
 だが、あわててはいけない。いま信心していない青年が、スポーツカーに乗ったり、またヨットに乗ったり、きれいな女の人といっしょに山へ行ったり、または、さも重役ぶって、たいしたこともないのに、土台もできていないのにゴルフに行ったり。(笑い)
 その連中が十年、二十年先に、どんなに苦しむかというのです。いま、まじめにたくましく有意義に戦っている妙法の青年が、妙法の幹部が、妙法のわこうどが栄えていく時に、人生を衆生所遊楽して、人生を楽しく濶歩していく時に、彼らはどんなにか、うらやましく、どんなにか寂しく、諸君を見るであろう。それが厳然たる因果の理法でなくして、なんであろうかと私はいいたいのです。(拍手)
 けっして縁に紛動されてはいけません。諸君の先輩が、十年、十五年の戦いで、こんなにも成長して、社会的に、そしてまた経済的に、あらゆる点で、勝利の証明をしているではありませんか。これが厳然たる証拠です。証明です。疑ってはいけない。損です。せっかくここまで人間革命し、成長して、いまあと十年か二十年の戦いを退転してしまったならば、“のをにく(欠く)”で、せっかくきれいな、りっぱな家を造っても、一晩で焼いてしまうようなものです。
 そんな愚かなことをしてはいけません。歯をくいしばって、莞爾として学会をささえ、学会の柱となり、礎になっていきなさい。これが最高の人生なのです。これ以上の自分の喜びの人生はないのだ。こう決め切っていけば、私はいっさいが、ふたたび功徳に変わり、繁栄していける青年時代に変わると思いますが、どうですか。
3  共産党の青年だって、あれだけ戦っている。しかし、かわいそうなものです。なんの功徳もない。だけれども、牢へはいろうが、どうしようががんばりきっている。邪宗教だって戦っている。あれだけ生きがいを感じて、道もわからず、迷路にはいりながら戦っている。
 ほんとうに生きがいを感ずるのは、戦っている人なのです。戦えない人は、とっても悠長そうで、のんびりそうで、しあわせそうに見えるけれども、本質的にはいちばん不幸な人です。フ抜けです。かわいそうな人なのです。
 ですから、私どもはいっしょに、私も青年会長ですから、皆さんとともに、十年、二十年、苦楽をともにしていくことは、いつもいっているとおりです。どんなことがあっても、さらに鉄の団結をもって進みたい。
 先日の新聞で「公明党、創価学会の前途は微妙」と出ておりましたが、皆さん方は心配いりません。なぜかならば、昭和四十六年度をめざして、第六の鐘として六百万世帯達成を目標に進めてきている。したがって、五百万世帯いな六百万世帯は、昭和四十六年度にできればいいのです。あわてた戦いなどしない、どっしりとした威風堂々の計画のどおりの前進です。
 それがすでに五百万世帯を突破した。りっぱなものではないですか。それを新聞社あたりは知らない。こちらは計画よりもずっと早く進んでいるのです。それを前途が微妙だ、限界だといっている。限界という説は、すでに昭和三十年、三十三年、三十五年、三十七年にも出た。しょっちゅう限界説はある(笑い)。なかなか限界にならないので、この次、この次と待っているのです。
 ことし後半にもいろいろな行事がありますが、それは一つ一つ団結してやっていってもらいたいと思います。七月、八月と体制を立て直して、八月の末に二百部隊前後の組織の拡充を男子部はいたします。それで、ふたたび着実に、落ち着いて、そしてまた、たくましく威風堂々と折伏戦を展開してまいろうではありませんか。(拍手)
 事故を起こさず、着実なる折伏戦を展開していけば、それ以外になんにも必要ありません。ぜんぶ落ち着いてつくっていけば、あとはだいじょうぶです。そのぐらいの余裕のある戦いをしていきましょう。(拍手)
4  私たちは信心一本でやっていけば、それでいいのです。私はけっして政治偏重主義ではまいりません。創価大学もつくり、あらゆる幅広い文化活動を展開してまいりますから、おのおのその分野において、もっともふさわしい道を進んでいっていただきたいと思います。
 けっして政治偏重主義になってはいけません。だからといって、政治の分野で戦う場合には断じて他の政党に負けず、公明党が第一党のになるまでは戦おうではありませんか。(拍手)
 どうか、暑いなか、からだをこわさないよう、また都議選がありますけれども、夜おそくなって、寝不足せず、生命力をたくわえていただきたい。
 仕事のほうでも盤石の勝利の基礎を築きつつ、十年、二十年先のために、総仕上げのために、自重自愛して進んでもらいたいのです。リズム正しい生活、リズム正しい信心、闘争をしていってもらいたいと思うのです。
 会うたびに“ずいぶん彼は顔色がよくなったな”“ずいぶん利口そうになったな”“なかなか目がきれいになった”また会うたびに“とても福運がついてきた感じだ”“なんとなく男ぼれする”“おれたちまでついていきたくなった”という、人間革命の一つ一つの証明を、少しずつでもけっこうですから、していってもらいたいと思うのです。それではお元気で。

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