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広布の戦いは人間革命の直通 東京第二本部地区部長会

1965.4.19 「会長講演集」第13巻

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1  日夜の活動たいへんにご苦労さまでございます。(拍手)私は心から敬意を表しております。からだを大事にして前進していただきたい。落ちついて、足元を一歩一歩固めつつ、前に進んでいっていただきたい。けっして事故を起こしてはいけません。
 皆さん方が、のびのびと、明るく、リズム正しい生活をしながら、大勝利に向かっていただきたい。
 幸福は遠くにあるものではありません。道理も遠くにあるものではない。あくまでも身近にあるものです。すなわち、朝晩の勤行を楽しく実践し、一日一日の生活を、事業を、たくましく、喜び勇んでいかなければ、大闘争の堅実なる一歩とはいえません。
 いつも顔色がよく、ご婦人方はいつも身だしなみがよく、後輩の人や第三者の人々が見ても“ああ創価学会の幹部の人、裕福そうだ。楽しそうだ。自信に満ちみちている。なにを話しても安心できるし、納得ができる”といわれるようでなければなりません。
 この基礎の活動が、いっさいの活動の大原動力になるのです。これを忘れてはいけません。カラ回りしてしまったり、あたりすぎて価値がない活動であってはマイナスです。その点、中堅幹部のなかの中堅幹部として、自信に満ちて着実に戦ってください。
2  最初に申し上げたいことは、きょう集まったのは地区部長、地区担当員、隊長、区長さんです。皆さん方全員の人が大幹部になっていただきたいというお願いであります。
 過日、ある人と懇談したなかで、初代会長の時も、二代会長の時代も、そのばにいた人が、皆いい人ばかりであったという話があった。私もおかげさまで福運をもち、よい方々がそばで一生懸命戦ってくださっている。同じく皆さん方もよい方々であります。
 自分ひとりではなにもできない。広宣流布のために、不幸な人のために、強盛なる信心の人、純粋なる信心の人、そしてまた人柄のいい人、誠実な人が必要となります。こういう人こひそが創価学会の最高の幹部としての資格であります。副理事長にしても、理事にしても、大幹部にしても、皆さん方が尊敬なされているいい人ばかりです。
 だが王仏冥合実現のためには、まだまだ人材が必要であります。大幹部が必要であります。私の構想から申し上げるならば、いまの五倍、十倍、二十倍の大幹部が必要となります。そのために、地区部長、地区担当員、隊長、区長さんが、どうかもう一歩成長して大幹部となっていただいて、御本尊を守り、創価学会を守っていただきたい。令法久住のために戦っていただきたい。即、王仏冥合のために、日蓮大聖人様のご遺命達成のために、一生成仏のために、私とともに成長しきっていただきたいのであります。(拍手)
 釈迦仏法においては、正法年間、像法年間と、功徳の出てくる様相が四段階あった。その最後を多造塔寺堅固といいます。その当時は寺院をたくさん造れは功徳がありました。しかし末法今時においては、その方程式はおのずから本質が違う。
 現在も総本山に、私どもの浄財で大客殿を御供養し、また大講堂を御供養申し上げ、六壺を御供養申し上げ、この次は正本堂の御供養を申し上げる。その功徳は絶大であります。日本全国においても、相当数の寺院の御供養を私が代表で行っております。こんごも何百か寺と建立し、御供養することも決意しておりますし、構想もいっさいできあがっております。その功徳は皆さん方に回向されることも確信していただきたい。
 末法における令法久住のための御供養の方程式は、ただいま申し上げたとおりでありますが、さらに本源的な功徳をうける源泉は、折伏に尽きます。御書をとおし、六巻抄をとおし、これ以外にないことは明確です。
 創価学会の指導は、大聖人様の教えを一分もたがえることなく実践し、また指導しきっていくことに帰着します。妥協は許されない。会長だからといって、かって気ままなことはいえません。大謗法になってしまう。あくまでも御書のとおりであります。これは皆さん方が御書を拝読してご存知のとおりです。
 他の教団はぜんぶ法盗人であり、釈迦に師敵対し、天台、伝教に師敵対し、末法の御本仏・日蓮大聖人に弓を引いている。経文を見、御所を根幹とするならば、これまた明確なる事実であります。
3  その折伏を源泉として、次に大事なことは何か。議員をつくることもとうぜん大事ですが、そのもう一歩手前として、重大なことは組織をつくることになるのです。
 ひとりひとりの人を折伏した。だが、私ども凡人はどうしても、ひとりであったならば、惰弱になる。ひとりよがりの信心になってしまう。これは経験上おたがいにわかることです。ともに道理の上から考えても、とうぜんな理であります。
 組織は時代の要求であります。個人のためにも、全体の目的のためにも、いっさいが、もっとも価値的に、もっとも実質的に、もっともすみやかに徹底し、達成ぎるためのものであります。
 最高の組織は何か。これは人体であります。人体の組織が破壊されれば、病気であり、死です。いま、官庁にしても、国鉄にしても、会社にしても、あらゆるいっさいの社会が、組織の運営を要求し、また組織化されております。
 仏法の和合僧ということは、別名“組織”であります。したがって、地区部長、地区担当員として、班長、班担、組長、組担、または組員の人をりっぱに一人前の大信者に仕上げる。大功徳をうけられる人間革命の指導をしきる。その最高の価値をあらしめるための組織を確立する。この目的のために皆さんは日夜、奔走してくださっている。なかには、根性曲がりや、疑い深い人や、不平不満の人や、いろいろあると思います。
 直接にその中堅とし、中核として指導の任にあたっていただいている皆さん方に対し、私もほんとうにたいへんだなと思っておりますし、よく知っております。経験もしてきております。しかし、その自分の与えられた世界で、最高度に理想的に組織をつくり、ひとりひとりを完ぺきに指導しきっていく。それが即こんどは寺院を建立する源泉になっていきますし、王仏冥合を成し遂げていく原動力にもなっております。ゆえに、そこに功徳が出ないわけがない。それ自体が大折伏であります。したがって、なにやかや細かい点までめんどうを見て、ひじょうにたいへんであるとは思いますが、いさいの戦いの源泉であり、私どもの人間革命しきっていく折伏行であり、王仏冥合の大原動力であるということを知って、しっかりがんばっていただきたいと思うのであります。(拍手)
 大聖人の仏法は久遠元初の仏法であります。久遠元初といえば、三千塵点劫の仏法、五百塵点劫の仏魔法と、天地雲泥の差があります。宇宙の存在と同時にできた法則です。別名“南無妙法蓮華経”また因果倶時の法ともいえます。なになにの宗教のほうが古い等というけれども、大聖人様の久遠元初の仏法からみるならば、これまた問題ではない。この因果の理法、すなわち妙法蓮華経は永久不変の大哲理です。
 そしてまた妙法を護持した私どもは、本因妙の仏法、即、因果倶時の生命の活動です。実存主義が新しいの、やれ共産主義が新しいの、やれ革新派がどうのといったって、少し時代が過ぎれば、もう矛盾がでてくる。不合理になるし、古くなってしまう。
 因果倶時の法は、刻々とそこから第三文明の力になり、新社会建設の力になります。随縁真如の智の原理にもとづいて、これ以上の新しい、革新のなかの革新の生命哲学は断じてないと確信し、進んでいっていただきたいのであります。
4  大聖人様ご出現の時は、法相宗、律宗、真言宗、そして当時において新興宗教といわれた念仏、禅宗など、いっさいの宗教が流布されたあとに、大聖人様の大破折が始まったのです。これは皆さん方がご存知のとおりです。
 創価学会の出現も、あらゆるいっさいの新興宗教が流布しきったあとに、大折伏の行進がなされました。いままでの既成宗教は、大聖人様が七百年前すでに根底的に打ち破っています。ゆえに殻のようなものです。
 また、いまの新興宗教も、創価学会の大破折によって、根底的にはいっさい破折しきってあります。あとは滅んでいくだけです。やれ全日宗だ、やれ新宗連だなどという連中は、自分の宗派に、なんの力もないゆえに、おたがいに団結しているようなかっこうをして、創価学会を批判している。
 だが、批判し、学会に食ってかかればかかるほど、生命力は落ち、罰の現証は明確になり、その分だけ創価学会は力をまし、伸びていくことは間違いない。大聖人様も「悪は多けれども一善にかつ事なし」と断言していらっしゃる。
 自分の宗教に確信があるならば、他の宗教と妥協すること自体、おかしいではないか。自分の宗教が純粋であると自覚するならば、他の宗教といっしょになるなど、ミソもクソもいっしょにするようなものだ。こんな不合理なことはない。
 経文に照らし、哲学のうえに照らし、現証のうえに照らして、末法万年尽未来際の衆生を救うのは、日蓮正宗創価学会、即、私どもしかいないということを、さらに確信して前進してまいろうではありませんか。(拍手)
 同じくいま北条理事長から話がありましたとおり、政党の実態は腐敗堕落そのものであり、政治の世界の戦国時代であります。困るのは民衆です。その民衆のなかには、どうにでもなれという考え方があり、民衆自体の無気力もはなはだしい。嘆かわしい時代であります。
 私どもは王仏冥合という大理想に向かって進んでおります。個人の幸福、社会の繁栄をめざしております。事実またこれは看板だけではなくして、一日一日、実証を示している。これほど尊い仕事はない。これほど偉大なる戦いはない。心ある人がいるならば、だれでも賛同するのはあたりまえです。だが、末法濁悪といわれたとおり、あまりにも利害だけの世界であってなかなか理解する人は少ない。
 だが、どうやら時は到来しました。その証拠は公明党の出現です。
 宗教界において、いっさいの邪宗教が流布し終わった時に、日蓮大聖人の仏法が流布したと同じように、自民党、社会党、共産党、民社党などの既成政党が結成され終わった時に、公明党がいちばん最後の政党として、腐敗政治の打破をめざして結成されたのです。ですから、こんどは政治の世界に私どもの代表をおくらねばならない。じゅうぶんな活躍をしてもらわねばならない。それで大聖人様のご期待にそうわけです。
 大聖人様は私どもの師匠であり、親であり、主人です。ことわざにも“かわいい子には旅をさせよ”と。よく財界人でも、有名人の家でも、二代目、三代目のむすこや子供は惰弱になり、せっかく初代がつくった財産を売ってしまったり、なくしてしまう。
5  大聖人様は七百年前に、法体の広宣流布をなさった。化儀の広宣流布だってなされないわけがないのです。だが、化儀の広宣流布は後世の弟子に託され、それを目標にして初めて一生成仏もかなう、生きがいもある、人間革命の直道の訓練にもなるとの大慈大悲であることはわかります。ですから、私どもが選挙をやる。信念をもった、哲学をもった同志を国会に送る。そうすれば、とうぜん政界の戦国時代でありますから、たいへんなこともあります。
 しかし、大聖人様のおおせの行動です。大聖人が子供を救わないわけがない。弟子を偉くさせないわけはない。そうでなかったならば、大聖人様はおかしいことになる。そんなバカなことがあるわけはありません。そこで信心でおたかいがわからなくてはいけない。自覚しなくてはいけない。こう自覚すれば因果倶時です。同じ行動でも、目が開き、喜びに燃え、ぜんぶ自分自身の偉大なる無量の財産を築いてくれる、その指導なのだと、その実践をさせているのだと、こうわかるわけです。
 私ども幹部が、このたびの戦いにも団結して、この戦いをとおして、なんでもいいからひとつ自分のものにしていっていただきたい。このいくさをとおして、一歩自分自身が前進した、成長した、ほんとうに得をした、こういえる戦いをしようではありませんか。(拍手)
 くれぐれもおからだを大事にして、明るくのびのびと指揮をとってください。きょうお会いできなかった班長さん、また班担さん、ならびに地区員の方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。

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