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日蓮大聖人・池田大作

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待望の平和革命 九州男子部幹部会

1963.11.24 「会長講演集」第10巻

前後
1  たいへんにしばらくでございました。九州の広宣流布の第一歩を始めて以来約十年間、悪戦苦闘を重ね、あらゆる三類の強敵と戦って、今日、広宣流布の大基盤をつくってくださった男子青年部の九州の同志の方々に対し深く敬意を表すしだいでございます。(拍手)
 また、これから十年、二十年、私と苦楽をともにして進軍をしていただきたいと思います。苦しいこと、つらいこと、くやしいこともあると思いますが、かならず王仏冥合の実現をしてみせるという心意気をもって、きょうを第一歩として、また進んでいこうではございませんか。(拍手)
 申すまでもなく、私どもの目的は王仏冥合の達成であります。人間革命を根本とした宗教革命であり、平和革命であり、無血革命であります。いままでなされた歴史上の革命は、ぜんぶ流血革命であり、暴力革命であり、犠牲者の多い革命でありました。その目的が達成されなければ良い社会はできない、人が救えない、そういう悲惨なる革命でありました。
 それに対し、私どもの前進の目標をかかげた革命は、王仏冥合の革命は、夢にみた良い社会をつくる革命は、ひとりの犠牲者もいない、出さないのです。また、その日その日が楽しく、その日その日が福運をもち、その日その日、その人その人が、瞬間瞬間、救われながら前進できうる革命であり、この王仏冥合へ進んでいく創価学会の前進の革命こそが、全人類が心の底から望んでいる革命であると、私は信じたいのであります。(拍手)
2  戦争の悲惨は、絶対に繰り返してはならない、平和革命でなくてはなりません。
 大哲学、そしてまた大慈悲を根底とした革命でなくてはならないことはとうぜんであります。有名な日蓮大聖人様の御書に「異体同心事」という御書がございます。そこに中国の古事をひかれております。殷の紂王は七十万騎、しかし同体異心であったがゆえに敗れました。そして破ったほうは周の武王、たった八百人なれども異体同心であったがゆえに大勝利を博しました。人数ではない、団結であります。団結ある世界、団結ある団体は強いのです。どんな多数であっても、派閥があり、利己主義であり、そしてまた、目的のない団体、社会は、かならず滅んでいくとの方程式でありますが、ちょうど、殷の紂王が七十万騎、そしてまた武王が八百人という計算上の問題になりますと約千倍です。千対一の関係になります。そうなりますと、けっして学会が大きくなったからといって、ゆだんしたり、おごりたかぶったりすることは、これは禁物であり、すべきではありませんが、ひとつの基準として考えるならば、いま青年部が男子部だけでも約八十何万名、
 もうじき百万名と聞いております。そうするとたとえば、男子部が百万名と仮定して、千倍すなわち十億の民を救うことができるのです。また創価学会は三百八十万世帯ですが、そうなると、全人類は三十数億といわれておりますから、その全人類の三十数億まで救いきれる勘定になるわけであります。
 人類が一千万になると、百億の人を救えるわけです。地球上だけでは今度は少し余ってしまうのです。ほかの世界まで救っていける計算になるわけです。そういうわけで、私どもは、さらにさらに団結を重ねて、自分も幸福になっていく、そして隣人をもしあわせにしていく、自分の市、町、そして日本のこの祖国を救っていきたい、これを第一歩としていかねばらないと思うのです。
 それで、これもひとつの縮図として、青年部の縮図として、私は基準として要望するわけでありますが、きょう集まった九州の男子青年部の幹部は約三千名と承りましたが、このなかから、五分の一が労働組合の一流の指導者になってもらいたい、また五分の一が政治家になってもらいたい、五分の一がジャーナリスト、そしてまた五分の一が学者、最後の五分の一が実業家、経済家、そのように十年、二十年先になっていただくならば、きょう集まった三千人で日本の国の広宣流布は、王仏冥合はかならず実現できると、私はいいたいのであります。(拍手)
3  戸田先生がなくなる寸前に「九州男子よろしく頼む」と申されたわけであります。
 願わくは、きょう集まった三千人の幹部が、全国の青年部に先駆けて、十年、二十年、いな一生涯、絶対に王仏冥合実現のために私とともに大御本尊様をだきしめて、死んでいくということを誓い合いたいのでありますが、どうでしょうか。(拍手)
 では約束をしました。
 それで、さきほど九州男子の歌を聞きました。とくに第二番目のところに「東洋先駆の旗じるし、ゴビのさばくへ、コンロンヘ、アジアに開く平和郷、九州男子の大使命」という歌詞を聞いたときに、どうしても地の利、そしてまた過去の因縁からみて、九州男子が東洋へ、また、世界へ進んでいってもらいたいという気持ちになったのであります。
 東洋へ、また世界のほうへクサビを打ったのは、九州男子でなくて、私が先に行ってまいりました。江戸っ子のほうが行ってしまいました。だが、それはそれとして、あとにつづいていただきたい。仕上げは九州男子にやっていただきたいと思います。
 西洋のあらゆる哲学も、ぜんぶ全世界に流布されきってまいりました。プラトンの哲学、アリストテレスの哲学、ソクラテスの哲学、そしてまたカントの哲学、そして共産主義の哲学、ぜんぶ国境を越えて、くまなく流布されている現状であります。
 また東洋の哲学である孔子の哲学、荀子の哲学、または孟子の哲学も、日本の国に、そしてまた東洋へ、世界へ流布されております。文化、そして哲学思想には国境はありません。
 いま、どんなに大聖人様の哲学を、それは翻訳が少ないもので、あまり世界にはひろがりきっていないといってもやむをえませんが、どこの国が「やあ、唯心主義のほうがいい、または唯物主義のほうがいい、実存主義のほうがいい」と、こういっても、また、その指導者が「いやあ日蓮正宗創価学会は、これはもうぐんぐん進んでこわいくらいだから、うちへ入れない」などといっても、時代の流れ、民衆の要求というものは、太陽が東からどんどんあらゆる雲を打ち破ってのぼっていくようなものです。高いところの水が低いところへ流れていくようなものであります。
 末法万年尽未来際の衆生をお救いくださる大聖人様の、大御本尊様であり大生命哲学であります。偏狭な、また、腹のできていない指導者が、途中において少しはいるかもしれません。だが、大聖人様のご予言は、ぜんぶ達成されることはとうぜんであり、過去のあらゆる哲学思想が日本の国にはいり、世界に流布されたごとく、今度はそういう観念論でなく、大聖人様の大生命哲学を事実のうえの民衆救済の大原理、大哲学として全世界の人々が、心から信奉することも私は間違いないと断言するのであります。(拍手)
 まだ、学会始まって以来三十数年、大聖人様立宗以来七百十一年、末法万年からみても序分であります。これから何十年の先、何百年、何千年先をもう夢みて、そして現実の第一歩第一歩に強い確信をもって私どもは前進しなくてはならないと思います。
 最後に、皆さん方が、信心においても、現実の社会にあっても、そしてま、おのおのの境遇にあっても、勇気と全体なる自身とをもって、一歩一歩進んでいきたいことを、かさねてお願い申し上げ、激励といたします。(拍手)

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