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日蓮大聖人・池田大作

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学会の純粋性を堅持せよ 西第2・3本部結成式

1963.7.20 「会長講演集」第9巻

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1  たいへんに本日はおめでとうございました。
 元気があって、功徳を受けて、一生涯、大御本尊様を放さない。そしてまた創価学会の幹部として、後輩のために、王仏冥合をめざし一生成仏をめざして毅然と進んでいるならば、あとのことはぜんぶ枝葉なのです。なにも私はいうことがありません。どうか最後の最後まで、大御本尊様をだきしめて、私とともに、王仏冥合をめざして、がんばっていってください。
 私がいちばん悲しむことは、ただ一つ、それは幹部となって、信心を利用して金を借りたり、または、いばりちらして、まじめな、純粋なる後輩の人々を、真心こめて、一人前の大信者に仕上げてくだきらない幹部の地位利用の人がいるということであります。
 そういう幹部は、ほんとうに少ないし、いままでも数えるほどしかございませんが、そういう幹部の姿を聞き、見ることが私はもっとも悲しいし、寂しいのです。どんな外敵も恐れません。どんな闘争も私はいといません。だが幹部のなかに、いま申し上げたような後輩のまじめな純粋なる方々を擁護せず、理解しないで、反対に利用している姿は魔物です。地獄の使いです。そういう幹部が出るということだけが私の悩みであり、悲しみであります。
 どうか関西だけは、絶対にそういう幹部はいない。全国の幹部の先駆者として「われわれを模範とせよ」「私ども関西の幹部を手本としなさい」「どうか会長、安心していてけっこうです」といっていただける幹部になってほしいのであります。
2  次にお伝え申し上げておきたいことは、漏れ承ったことでございますが、もったいなくも御法主上人猊下より、このたび、創価学会の王仏冥合への死身弘法の戦い、前進の姿を嘉られて、過去においても、そうではございましたが、とくに今回、全日蓮正宗の御僧侶に対し、そしてまた、全法華講の信者に対し「いままで以上、より以上に創価学会の、この大聖人様のご命令を、大聖人様のご予言を、命をかけてまっとうしようと戦っている、この精神を精神として、全僧侶も、全法華講も、全面的に創価学会に協力せよ」との訓諭が発せられたそうでありますことをお伝え申し上げておきます。
 したがって私どもは、さらにさらに全宗門の先駆をきり、模範となって、いままでの十倍、二十倍戦い、また、それだけに大功徳を受けて、楽しく、ゆうゆうと、ふたたび一歩前進のコマを進めていこうではありませんか。
 次に申し上げておきたいことは、先日の学生部の総会の席を借りて、すでに伝えておきましたが、それは、八月度と九月度は本部として折伏の成果はとらない。あくまでも、指導・座談会を推進したい。また皆さん方おひとりおひとりにおいても、生活をがっちり築き、足元をがっちり固め、支部においては組、班、地区等を整備し、また十月からの闘争の土台をつくっていただきたい。このように切望するわけなのであります。
 本年にはいって、王仏冥合の統一地方選挙に全力をあげ、五月は大組織の発表、六月はまた大組織の発表、折伏、そしてまた七月も折伏の大前進をしてまいりました。今度は八月、九月は指導・座談会を推進していくように、私はしていただきたいのであります。またお金があり、暇ができた人は、お子さん方をお連れして、たまにはバカンスの楽しみをお願いしたいと、こうのように切望するわけであります。
 だからといって、退転をしなさいという意味ではありません。折伏を中止するという意味ではありません。これはあくまでも日蓮大聖人様のおおせであります。信心修行ということは信・行・学は夏休みもなにもそれはありません。これは根本であります。ただし学会全体の方針として、余裕をもって、足元を築ききっていただきたい。足元を固めていただきたい。このようにお願いするわけです。
3  次に申し上げたいことは、これもすでに聖教新聞等で発表されておわかりであると思いますが、ひとつには、夜おそくの会合は厳禁していただきたいのであります。選挙もありませんし、そしてまた、そんなにあわてる必要もない闘争にはいったわけであります。また九時半ごろになったならば、常識としてすべての行動を近所に迷惑をかけないように考えて、歌を声高らかに歌って、むしろ、ひんしゅくを買ったり、また十時、十一時、十一時半までオートバイをバタバタさせてわざわざ批判させたり、そういうようなことは、どうかひとつ気をつけていただきたいと思います。
 それは、信心のうえからいうならば、いっさいが広宣流布のため、一切衆生のためでありますけれども、ちょっとした私どもの常識、行為で、反対にいままで先入観念をもって反感をもっていた人々が大きく好転して、好感をもって「ぜひとも入信したい。学会の会合に出てみたい」こういうふうになることもとうぜんであると思います。
 人間は感情の動物であります。ちょっとしたそういう心の持ち方、心の与え方によって、大きく信心しようという心に変えることもできるし、わざわざ地獄のほうへ向ける行為にも変える場合がありますゆえに、おたがいに注意しあって、社会人として、また社会に迷惑をかけるような不道義な行動、非常識な行動はしないように心がけて社会全体を指導しきっていく、その指導者であるという行動をとっていこうではありませんか。
 第一にも第二にも、それは信心根本であります。時と場合によっては、戦いきっていくことはとうぜんであります。なにも恐れる必要も、遠慮する必要もありませんが、その心の余裕と道理、常識を後輩の人々にも与えることが、私はむしろ学会発展のために大きいプラスになると思いますけれども、皆さんどう思いますか。私の意見に賛成の人は手を上げてください。(一斉に挙手)では正しいという証拠です。
 自分個人が悪いのに、学会になぞらえて、学会を利用して、自分を擁護しようという悪い人が出てくるのです。たまにいるのです。そういう人がいるがゆえに、ひじょうに学会全体が悪く評価されて損をしている場合もあるのです。そういう人は信心がないし、そういうことは、せんぶ学会利用なのであります。悪人ならびに学会利用のそういう幹部や会員がもしも出るようなことがあったならば、私どもは一致協力して注意をしきるというぐらいの、きびしい考えをもって進んでいこうではありませんか。
 また、戒めていっていただきいたのであります。学会の本質、純粋さ、精神というものはだんだん初信者においてはわからなくなる場合がありますから、皆さん方が学会をあくまでも守りきっていただきたいのであります。
4  班長さん、地区部長さんのなかには、ずいぶん利口な幹部もおりまして、学会がこれだけ大きくなったのだから、やれ、ああいうバス会社をつくったらいいではないか、ああいう印刷工場を造ったらいいではないか、そういうふうに、なにか売ればもうかるではないかと、いろいろなことをいってくる人がいるのです。
 ずいぶんその人は利口な人であると思いますが、そのぐらいのことは、だれが考えてもわかることであります。どういう世界でも、みんなそういう利用をするのです。同じように学会を見て「なんて学会の最高幹部はバカだな、そういうこともできないのか」と、こういうふうにわざわざいってくる人がおりますけれども、そういうようにいってくること自身、その人に信心がないし、学会利用の根性があるのです。
 われわれも普通の人間です。いろいろなことはよく知っております。しかし、そういうことはせんぶ厳禁して、あくまでも世界でただ一つ、信心根本に、純粋のなかの純粋で、一切衆生を幸福にしようというのが、代々の会長の精神ではありませんか。私たちは、それはバカであるかもしれませんが、なにやかや進言してくれなくても、また、なにやかやそういう面の協力をしてくださらなくても、よく知っているということを、お伝え願いたいのであります。
 こういう法をつくってはいけないか、こういうふうにしてはいけないか、みんな、それは信心にはずれていることばかりいってくるのです。どうかひとつ、最高幹部もいろいろなことを考えております。また、いろいろなことをしていこうと、信心根本として王仏英合の戦いをしていこうというごとを考えております。悪い不純なことに対しては、いっさい戦っていく決心でありますから、いっしょに協力してください。
5  それで、第一本部長は白木本部長です。白木本部長は、もうすでに皆さんよくご存知のとおりでありますが、第二本部長は田代君です。田代君もよくご存知のとおりであります。第三本部は浅井君です。田代君ならびに浅井君は青年部であります。青年部と、今度は皆さん方を代表して本部長を兼ねる立ち場になりますが、まだ若い立ち場で、ご年配の方々もひじょうに青年部ばりにやられては困るなとお思いになる人もでると思いますが、その点については私も厳重に指導もしてありますし、本人自身ももうわきまえていると思いますゆえに、どうかこのふたりを私と思って、私が十年間訓練してきた友だちであります。ひじょうに未熟であるがゆえに、間違いやなにかがあったならば、どうか補ってやっていただいて、りっぱな関西の跡継ぎとして、関西の皆さん方の指導者として、りっばに指揮がとれるように、指導者として恥ずかしくないようになるまで、皆さん方のほうからもひとつご協力のほどをお願いしたいと思いますけれども、よろしいですね。
 たいへんに、なまいきなようなことをいうようでありますが、私は理事室の方々に対しましては、とくにきびしいのであります。えこひいきなんかしません。むしろ、皆さん方がそばで見ればびっくりするほどであります。本末究竟して等しいという原理、あくまでも最高幹部が、きびしく訓練され、成長していけば、一般会員にもきちんと正しく伝わっていくであろうという、その仏法の方程式を、私は考えているのであります。仲間として、なにもかも、見守りあっているなどという考えは、大きいあやまちであります。信心という問題、皆さん方のことを思うがために、私はきびしいのであります。
 どうかそういうふうに、田代君にしても、白木さんにしても、浅井君にしても、私はきびしく、それは言語に絶するほどやかましくしかってきておりますし、指導もしておりますから、安心しきって、この三本部をこの次は、東京と同じように六本部に開くまで、第一歩をがんばっていっていただきたいと思うのであります。
 また、ことしもおじゃましますけれども、関西の第二本部(関西本部新館)ができ上がるときには、元気いっぱいにまたお会いしょうではありませんか。

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