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つねに明るく美しく 第10回女子部総会

1962.12.2 「会長講演集」第8巻

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1  皆さん、こんにちは。                          
 そのような返事で朝も起きていただきたいと思うのです。          
 これまでの先生方のお話でぜんぶ尽きておりまして、皆さん方も指導を受けつつ、喜びに勇んだ顔で、拍手をしておりますけれども、事実、信心して功徳を受けておりますか。
 受けてる人は手をあげてください。
 けっこうです。
 よく戸田先生が、女子部に対して「女性は朗らかであれ」また「美しくあれ」このように、つねに申しておりました。
 また先生は「女性は自己に生きてゆけ」「自己自身と戦える自分になれ」このようにも申されておりました。
 「生命が浄化されている、その人の笑い声は、自然と明るい」また「男性に負けるような女性であってはいくじがない」とも申されておりました。
 いずれにしても、精神的にも、それから健康の面でも、ぜんぶ幸福に満ち満ちた姿の縮図のような表現であると思いますが、そうなるためには、どうすればいいか。
 結論をいえば、純真なる信心、強盛なる信心による以外にないわけです。皆さん方の先輩である部長や部隊長の姿をみれば、明瞭であると思いますが、その人間革命によって、ぜんぶの創価学会女子部員が、朗らかであり、美しく、そしてまた自己に生き、幸福に満ち満ちて、最高の近代女性の先駆となっていけるようになっていただきたい。よろしいですね。
 それは、なかには宿命と戦い、または生活上にさまざまな姿がありますけれども、本源的には、ぜんぶが妙法の当体であり、仏界の湧現であり、事の一念三千の当体でありますから、共通性があるわけであります。
 途中において、ある人は病気で宿命と戦う人もあるでしょうし、苦しんでいかねばならない職場で戦っている人もあると思いますけれども、仲良く、大御本尊様を根本とし、女子部長を中心として、激励しあって、広宣流布の日まで、人間革命の完遂の日まで、勝利の日まで、進んでいこうではありませんか。
2  きのうは一期会といって、牧口門下生だけで、いろいろと懇談する機会をつくってありまして、何か月に一ぺんか、食事をしながら懇談する会合がありました。この時に、柏原先生が一生懸命に写真をとっていた。格好だけは、一流新聞記者の格好ですけれども、一生懸命とっているけれども、レンズのふたがそのままはまっていたり、それからシャッターを切ってもシャッターがならない。結局、シャッターをかけてなかったのです。どんなりっぱな写真機があっても、映ったものはぜんぶ真っ暗な映像ばかりで、そういう結果になって大笑いしたのです。
 いま、大御本尊様は、日蓮大聖人様の当体ですから、絶対のお力があります。法力仏力が厳存していらっしゃいます。これと境智冥合し、感応するのが、信心の一つの原理です。
 だが、朝晩の勤行をしないということは、これはちょうど、りっぱな写真機があっても、レンズにふたがそのままはまっているようなものである。それから信心しても、真剣に、まじめに信心しなければ功徳がでないのは、とうぜんです。文句をいう人たちは、信心しきっていないのです。実践していない。それは、シャッターを切ろうと思っても、シャッターがきちんとかかっていないようなものです。ということは、疑っていたり、または批判していたり、怨嫉していたりして、それでは功徳がでてこない、ということになるなと、談笑したわけであります。
3  皆さん方は、大御本尊様を根本として、学会の指導どおり、正しい指導を受け、また正しい指導をしきっていただきたい。また、正しい信心をしていただきたい。
 また正しい信心を示していっていただきたいのです。
 そうすれば、もっと簡単に、大功徳がでてくるし、人間革命もでき、歓喜のなかの大歓喜の生命活動になっていくのです。そうならないというのは、どこか、そこに、おかしいところがあるのです。ほんとうは、皆さん方が知っていると思うのです。
 ですから、信心はもっとも純真に、強く、そしてまた後輩の人々にも、一日でもはやく大功徳を受けるように願って、正しい指導を確信もっていただきたいと、これを私はまずお願いいたします。
 それから、次に申し上げたいことは、やはり皆さん方の大先輩である柏原先生がもらしていたことばのなかに「女性が年をとって、学問がない、教学がないということは、ひじょうに哀れなものですね」と、こう申されたので、私も「そのとおりです、男子も女子も同じです」といったのです。
 戸田先生も、ある会合にのぞんで、こう申されました。「それはあくまでもしあわせになることは根本であるけれども、とくに青年に対しては、いくらたくさんの学会員がふえ、青年がふえても、学問、教学がない、そういう人々の集まりになってしまったならば、まるでシラミの集団である。白アリのような集団である。なんで大指導が、全人類に向かって成し遂げられるか」こういうふうに、きびしく指導されたこともあります。
 願わくは、皆さん方も、自分自身のためにも、将来のためにも、そしてまた指導者という責任のある立ち場の自覚からも、教育、学問、教学と真剣に取り組んで、自分自身の力としていっていただきたい。これも私は、心からお願いするものであります。
 また、来年の第十一回の女子部総会をめざして、大きく成長されんことを願い、ともどもに有意義な、そして楽しい青春時代を、また一歩前進させていこうではありませんか。
 最後に、皆さん方の元気なお姿を、十二月七日にふたたび総本山にまいりまして、猊下にお目通りすることになっておりますゆえに、皆さん方の姿をご報告しておきます。たいへんにきょうはご苦労さまでございました。これで失礼いたします。

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