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日蓮大聖人・池田大作

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国立戒壇の建立と学会員の前途  

1959.1.1 「会長講演集」第4巻

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1  『国立戒壇』といえば、すぐに一般の人々は、国家権力や国家の圧力をもって建立されるように考える。また、ただちに『日蓮正宗が国教になるのだ』と早合点して、批判をくだすむきもある。
 それらは、過去の歴史の通念として、一応やむをえぬものもあろう。すなわち、大東亜戦争中の天照大神による宗教の統一も、そうであった。しかし、一度敗戦となるや、見向きもしない現状となった。
 過去の戒壇をみても、東大寺をはじめとし唐招提寺の小乗の戒壇ならびに迹門の延暦寺の戒壇もともに勅建である。
 だが、これらは、貴族仏法のゆえか、上方からの決定によるものと思われる。勅建当時は、非常におごそかで盛んであったが、まもなく衰えてしまったもようである。そして、地方の人人の便宜をはかって、出張所の小戒壇を造るようになった。しかし、その戒壇にも、のぼる者が少なくなったとのことである。
 戸田会長先生は、大講堂落慶法要の登山の三月にある日『日本全国の人々が「一生のうち、富士大石寺に参詣してから死にたい」という思想が、全国に浸透したときこそ、事実上の広宣流布の時である』
 また、昭和三十一年の秋季総会の席上においては『日本国民のひとりひとりに、大御本尊様の功徳を納得させて、初めて広宣流布が実現できうるのである』との意味の講演をなされた。
 あくまで、本門の戒壇建立とは、大聖人様の至上命令である。そして、わが日蓮正宗創価学会のただひとつの目的であることは、論をまたない。
 この戒壇こそ、末法万年にわたり、民衆を救済するものであると思う。したがって国立の戒壇建立は、全民衆の容貌によって成就されるものであることを忘れてはならない。
 よく会長先生が、日蓮正宗を国教にするしないという問題に対して『そのような考えで広宣流布への戦いをしているのではない。わが学会は、日本民族、世界人類の幸福世界の建設以外に目的はない』とのおことばが思い出されてならない。
 すなわち、日蓮大聖人様の仏法は世界の仏法である。宗教に国境はありえない。大聖人様の戒壇は、日本国だけではなく、世界に通ずる戒壇であると信ずる。
 その第一段階として、日本国が王仏冥合して、政治上に、本宗の正義を用いることは当然であろう。
 しかし、日本一国だけが、大聖人様の仏法を国教としてしまっては、中国、朝鮮が、果して用いるか。アメリカや、ヨーロッパの各国が用いるかは疑問となる。会長先生の思想をよくよく思索し、実践すべきを考えさせられるものである。
2  昭和三十三年度は、十二か寺の新寺院の建立が、学会の手によってなされた。本年はまた、全国に、北海道稚内をはじめ、奄美大島等の十カ寺の建立が決定された。同時に、百万世帯の学会員は、本年末までに百三十万世帯に進まんと出発したわけである。末寺の道場が全国に林立し歓喜に燃えた信者があふれたときに、根本道場、すなわち国立戒壇建立への推移となるであろう。
 会長先生は、次の七百年目に、勅使のきたる建物というべき、大客殿の建設をいいのこされて逝かれた。その場合『台湾の檜、ガンジスの砂、カナダの杉をもってせよ』とのおことばだった。
 世界にわたる大宗教にふさわしく、建築にも心を配られた戸田先生の偉大さをしのびつつ、学会員一同、弟子として、実現への自覚を、さらにもたなくてはなるまい。
 先生はまた『大客殿のその後に、本堂の建立をしなくてはならない』と申されておられた。国立戒壇建立の際には、大御本尊様が奉安殿より正本堂へお出ましになることは必定と思う。
 次に会長先生は『皇城等の建設をせよ』といいのこされて逝かれた。このことについては、先生みずから、実地に下検分されるほどの広布実現への尊姿を拝したものである。
 恐れ多くも、戒壇堂を中心としての一大仏教都建設のお考えは、口伝等により、御法主上人猊下の腹中におわすとはいえ、会長先生の熱烈たる本山に尽くす忠誠を、われら学会員の指針としなくてはなるまい。
 広布実現の暁には、天皇平価の拝む紫宸殿御本尊様と申し上げる御本尊様が、総本山にあられる。
 よく戸田先生は『天皇が信心をしたいといってきたときに、他の邪宗では、御本尊様をおあげすることができるか』と。また『天皇が信仰するまで、戸田は待つ。戸田は日本第一の忠義な者である』という意味のことを申されておられた。先生の申されたことが、ただひとつとして成就されえなかったことはない。いよいよ広布の実現をめざして、精進すべきである。
 皇太子妃が、伝統を破って民間より出たことは、真実の民衆の声、真実の民衆の仏法、真実の国を救う正義が皇室へ通ずる段階にきたといえよう。
3  昔からみれば、近代文明の発達にともなって、交通、通信の急速なる進歩は、正法流布への一大要素ともなってきている。
 また、国立競技場、国立美術館、国立公園等も、すべて国民の要望であり、国民のものである。宗教にあっても、最高の宗教が国民の幸福のために、国立戒壇として建立されることは、必然でなくてはならぬ。
 歴史は、専政、独裁政治より、主権在民の政治に移り、最高の世論が議会に反映されていく方式が、初めて正しい仏法を守り、流布していくことになるのである。それには、同志をたくさん議会に送らねばならない。
 大聖人様、土木殿御返事にいわく『日蓮死生不定為りと雖も妙法蓮華経の五字の流布は疑い無き者か伝教大師は御本意の円宗を日本に弘めんとす、但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す事法為る故に一重大難之れ有るか』 
 また、日興上人、富士一跡門徒存知の事にいわく『ここに日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国・富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此のみぎりに於て本門寺を建立すべき由・奏聞しおわんぬ、つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は必ず富士山に立てらるべきなり
 会長先生が『信心は大聖人様に帰れ』と、常日ごろ申されていた。学会精神は戸田先生の精神である。戸田先生の精神は仏の御金言への遂行である。
 三月十六日、岸総理代理の参詣にあたって『広宣流布の模擬試験をしておくよ』とのおことばが、脳裏より離れない。本年は文化闘争も激しいことであろう。御教書を下すべき礎としての法戦であるがゆえに、おおいにがんばらなくてはならない。
 『国主信伏造立の時至らば智臣大徳宜しく群議を成すべし』各々の境遇にあって、広宣流布の人材と育っていかなければならない。
 先生は、婦人部へは『広宣流布は婦人の手で』と申された。教学部へは『世界の思想を指導するのは教学部の使命である』学生部へは『りっぱな学者に、ある力ある経済家になって、広布に励め』青年部へは『広宣流布の推進たれ』各支部には『広布の牙城を造れ』と。
 仏意とはいえ、刻々と近づく広宣流布への実感は、どうしようもない。ひとりも、もるることなく、孤独をいただきながら本年も邁進しようではないか。(当時、総務)

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