Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第8回女子部総会 幸福を女性に

1960.11.20 「会長講演集」第1巻

前後
1  戸田先生は、国土訓のなかに『われらは宗教家であってはならない』というおことばを遺されました。だが、このたび、先生の論文集を発刊しましたところ、その論文集の序文の日達猊下様の、おことばのなかに『戸田城聖先生こそ、未曾有の大宗教家である』ということばがあるのです。
 そうしますと、すぐに批判をしたがるのが皆さん方であり――私はしませんよ、絶対に――戸田先生のおおせになったことと違うではないかという人もいるので、その点について、おたがいに、はっきりしておきたいのです。
 戸田先生が『われらは宗教家ではない』と叫ばれたのは、世間でいう、宗教をかさに着て、生活をむさぼり、自分の名誉のため、自分の利害のためにある、宗教家のことをさしているのです。
 今、日達上人猊下の戸田先生におくられた宗教家という意味は、戸田先生こそ会員のだれひとりから、金を取ったおぼえはありません。お世話になったおぼえはありません。真実の大仏法の奥底をきわめ、御一生涯、不幸の人々のどん底にはいって苦楽をともにして、幾百千万人という人を救いきってこられた、いまだかつてない真実の大聖人様の法華経の行者をさして、日達上人猊下が、その人こそが、世間で言われる宗教家ではなくして、真実の宗教家なのだと、おおせられた心があると、私は拝するのでございます。
 したがって、私どもは、生涯、学会が続くかぎり、世間で言われる宗教家であってはなりません。また、宗教を利用して、学会を利用して、生活をむさぼっていこうという考えは、私をはじめ、どの幹部ももっておりません。
 あくまでも、大御本尊様を信じて、奉持して、人々のために、護法のために働ききって、自分自信の信心で、自分自信の信心によって人を救っていくという、この心で一生涯、戦っていこうではありませんか。
 それが学会精神であり、戸田先生の御精神なのであります。それをまず最初に申し上げておきます。
2  二番目に、戸田先生がおおせになった『女子部は幸福になりなさい』ということばです。
 かつて、アランの『幸福論』とか、エマーソンの『幸福論』とか、また武者小路実篤の『幸福者』とか、何百人、何千人の人々が、幸福を論じてきております。
 しかし、その論じられている幸福論は、抽象論であり、観念論です。また、その本を読んで自分も幸福になり、人も絶対に幸福にさせきったかというふうに究明をしてみれば、そうではありません。
 信心の目的は、仏になることであり、信心の目的は幸福になることです。幸福については、戸田先生は、相対的幸福と絶対的幸福との二つの幸福論を示されました。その議論は別にして、いずれにしても幸福になりたいのです。幸福になることが私どもの願いです。
 幸福であり、平和でありたいのは、全民衆の願いです。その絶対の原理を人々は知らないのです。過去に論じた先哲、思想家、教育者も、つかんでいないのです。
 ただ一つ、仏法の真髄であり、大聖人様の出世の本懐である三大秘法の大御本尊様を奉持し、信じきっていく以外には、絶対の幸福はありえないということを教えるのが学会です。したがって、私は広宣流布ということは、皆さん方ひとりひとりが幸福になっていくことが宗教革命であり、広宣流布であると思います。
 それには、私どもの心は、あまりにも動きやすいのです。大聖人様の御書を拝すると、信心第一である、けっして御本尊様を放してはならない、疑ってはならない、あと疑って退転して、日蓮をうらむなよ、どの御書を拝しても、そのことだけが書いてあります。
 あまりにも移り変わる、弱い、疑い深い、私どもの心のいましめであります。ちょっとの感情や少しの難に負けて御本尊様を放してしまえば、もう永久に幸福になる道はないのだよと、ちょっとのしんぼうで仏にもなれるし、幸福にもなれるのだよとの厳愛のことばであると、私は拝しますが、今、皆さん方は幸福にも大御本尊様を純真に信心していらっしゃいます。仏になることは間違いございません。ただし、これから長い人生において、いろいろと難があったり、誹謗された場合に、気が弱くなって、御本尊様を放そうかなと思う心が出るときもありましょうが、七年、十年、一生涯の間、絶対に御本尊様とは離れない、一生涯、御本尊様とは離れないで、幸福になってみせるという確信をもって、信心を貫きとおしていただきたい。
 それだけを教えるのが創価学会の指導なのです。ほかには、しあわせになる道はありません。どんな教えを見つけても、どんなに勉強しましても、御本尊様しかないのです。
3  どうかひとつ、創価学会は広宣流布を目標にしておりますが、ひとりひとりの不幸の人を救うという意味が広宣流布なのです。ですから御本尊様を離れないで、創価学会を離れないでいけば功徳はあるのです。
 ある人は、私は折伏などできないから、という人もあるかもしれません。なにも、やってくださいとは、ただのいっぺんも、初代の会長牧口先生いらい言っていないのです。
 御書に、折伏をしなさい、そうすれば宿命転換ができる、仏になれるのだとおおせなのです。
 皆さん方はまだお若いのですから、あわてる必要はないのです。こういうと、女子部長の時子さんと、第一部長の通子さんがおこるのだけれども。
 ほんとうにしあわせになりたい、人々がかわいそうだ、自分自身も宿命転換したいという人は、自行化他にわたる信心をのびのびとやっていこうではありませんか。
 また、いろいろな境遇や、立場で、折伏活動ができない人は、いいではありませんか。そういう人を、すぐにいじめたり、それから、なんども、なんども、しかったり、そういうことを言わないようにして『学会と離れてはいけませんよ。御本尊様をしっかり拝んでおきなさいよ。また必ず春がくるから、自由の時間がくるでしょうから、そのときは、はせ参じていらっしゃいよ』というような、おおらかな気持ちで、美しい同志愛で進んでいただきたいと思います。

1
1