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日蓮大聖人・池田大作

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第十一章 生と死――はてしな…  

「科学と宗教」アナトーリ・A・ログノフ(池田大作全集第7巻)

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16  池田 また、日蓮大聖人は“仏の智慧の眼を開けて見るならば、すべての人生の苦しみは、「本有の病痛」であると明らかになる”とも言われている。
 「本有の生死」「永遠なる生命」に根ざした生死流転に眼を開くとき、この世における苦しみといっても、すべてが「本有の劇」ととらえられる。いかなる宿業も苦難も、自身の生命を鍛え、不壊の幸福を築く発条と転じていける。
 「永遠なる生命」という舞台の上で、悲喜こもごもの人生の一幕、一幕を演じながら、「成仏」という自己完成の境涯をめざしていくのです。
 ログノフ なるほど。信仰というのは、人間の力を生みだしますね。
 池田 苦しみも悲しみもすべて喜びに変えて、人生を最高に価値あらしめていくことができる。『法華経』ではこの世界を“衆生の遊楽する所なり”と位置づけています。
 ログノフ 人間が“生きる”こと、“よく生きる”ことについての、含蓄の深い哲理であると思います。「クオリティ・オブ・ライフ(生の質)」についての関心が、社会的にもいちだんと高まっている現在、こうした仏法的な知見は、大きな光明を投げかけることでしょう。
 池田 つまるところ、人生とは何か――トルストイの次のような言葉を、私は思い起こします。
 「喜べ!喜べ!人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい」(小沼文彦訳編『人生の知恵トルストイの言葉』彌生書房)
 ログノフ すばらしい言葉です。
 池田 仏法は、現実から逃避した“哲学者”をつくるものではない。この現実の人生の“成功者”“幸福者”をつくるためにある。本来、科学の探究も信仰の求道も、この「宇宙」と「社会」と「人間」のすべてを“開かれた心”で見つめ、「喜び」の名曲を奏でゆくものです。
 ログノフ そうです。科学といい、宗教といっても、すべて人生の「喜び」を実現するためにあります。科学と宗教の共存、協力も、そうした目的観に立つとき、おのずと道が開かれるのではないでしょうか。

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