Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

久遠元初直行の本迹 久遠即末法の原理を展開

「百六箇抄」講義

前後
5  妙法広布に戦う現在こそ久遠元初
 久遠元初とは歴史的過去ではない。遠きかなたのことでもない。この瞬間に永遠を凝結させている、大海のごとき大生命そのものであり、満々たる力と息吹をたたえているものであります。「御義口伝」にいわく「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり」とあります。久遠は通常「時の無窮なこと」「遠い昔」「永遠」というように理解されております。
 しかし、日蓮大聖人の仏法の眼からみるならば、久遠とは時間的な意味も含めて、大宇宙の本源、生命の根源の意義にまで及ぶのであります。無作本有常住の生命、無始無終の生命であり、久遠元初自受用報身如来の御生命を指すのであります。同じく「御義口伝」に「久遠とは南無妙法蓮華経なり」とあるごとく、久遠元初とは、一言にしていうならば南無妙法蓮華経それ自体であります。
 さらに南無妙法蓮華経と唱うる私達の生命もまた久遠元初を開いているというべきでありあす。
 故に、私達が常に御本尊を受持し広布のために戦うことこそ自体が、久遠の仏法兄弟の姿となっていくのであります。この元初の生命に綴られた尊い歴史というものは、永遠に消えることなき信心の元初の経典として輝いていくに違いありません。私達は今こそ、元初の朝の日の出を迎えている信行学の日々と銘記したい。

1
5