Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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フレッシュマンの輝き 社会の大海原で 自己を鍛え抜け

2009.4.21 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   人生の
    勝利の戦士は
      朗らかに
    いかなる障害
      悠々乗り越え
 アメリカの民衆詩人ホイットマンは、春を詠った。
 「幾億万もの、幾兆万もの待ち受けている芽また芽の群」
 「ゆっくり追い迫り、着実に前へ進み、果《はて》しもなく現れ出てきて……」(「見えない芽の群」、木島始編『対訳ホイットマン詩集』所収、岩波書店)
 この春、社会に躍り出た若きフレッシュマン(新社会人)たちも、希望の若葉を広げ、個性豊かな花を爛漫と咲かせゆくことだろう。
 どんな植物も「自然」の法則を離れては育だない。人もまた「社会」の中で成長する。「人間=人の間」というように、人との関わりによって磨かれて、使命を大きく結実させゆくのだ。
 御聖訓には「世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(御書1466㌻)と仰せである。社会を離れて仏法はない。社会を学び究め、社会に貢献し、社会で勝利できる人こそ、真の「智者」なのだ。
2   晴ればれと
    今日も耐え抜け
      わが人生
    王冠勝ちとる
      修行と愉快に
 フレッシュマンの時代は、文字通り「フレッシュ」な生命を発揮して、新鮮な旋風を起こしていく時だ。
 イタリアで発達した壁画技法「フレスコ」も、もとは「フレッシュ」と同義のイタリア語に由来する。
 いわゆる「フレスコ画」は、石灰漆喰の壁が乾かないうちに、つまり、新鮮なうちに、水に溶かした顔料で描いていく画法である。
 壁が乾くとともに顔料が定着し、退色しにくい壁画となる。さらには、年月とともに格調ある味わい深い輝きを放つようになり、永続性をもつ絵画となっていくのである。
 バチカンのシスティナ礼拝堂の天井画は、芸術の獅子ミケランジェロが4年をかけて完成させたフレスコ画であった。渾身の魂の力作は、不朽の光彩を放つ。
 「心は工なる画師の如し」と、仏法では説かれる。
 心は、偉大な画家の如く、自在に自身の人生を描き切っていくことができる。その心の根っこを、若き日にこそ、鍛え磨いていくのだ。
 まさに″鉄は熱いうちに打て!″である。
3  「信用があれば前途がある」(森下修一編訳『周恩来選集』上、中国経済研究所)とは、中国の周恩来総理の人生訓であった。
 現実の社会は、矛盾と葛藤の混沌でありながら、しかも秩序と倫理を保っている。この社会を成り立たせている根幹は、「信用」「信頼」といってよい。
 それは、交わした「約束」を守る、「約束」を一つ一つ誠実に遂行する、その行動でしか築き得ない。
 顧客と約束した期日を守る。上長と約束した業務を適切に処理する。自分自身と約束した目標を完遂する──仕事には、すべて「約束」という行為が含まれる。たかが5分、たかが紙1枚、たかが数字一つであっても、そこに約束があれば、決しておろそかにできない。これが仕事である。
 戸田先生は「青年の一番の宝は、信頼である」と言われた。嘘つきやインチキは許されなかった。「お前は、キツネになったのか! お前の言うことは、金輪際、信じぬ!」と、怒鳴りつける先生であった。
 「青年は、財産や名誉などなくとも、信用されることが、最大の誇りであり、勝利であると思っていきなさい」と教えてくださった。
 たとえ失敗しても、ごまかしたりはしない。誠意を尽くして対処する。
 そして、反省は反省として、決して気を落とさず、同じ失敗を繰り返さぬように努力して、必ず挽回してみせるのだ。
 「いては困る人」ではなく、「いても、いなくても、よい人」でもない。
 青年は、「いなくてはならない人」へと、自分を価値あらしめていくのだ。
4   美しき
    王者の信頼
      結びたる
    創価の友の
      晴れの姿よ
 日本、そして世界の未来を担いゆく、若きフレッシュマンに、何点か、具体的なアドバイスを贈りたい。それは新しい年度の開始に当たり、先輩も初心に立ち返って一緒に確認し合いたい、社会人の基本でもある。
 その第一は、「清々しい挨拶」である。
 一流の証は、端的に、振る舞いに表れるものだ。
 私かお会いした世界の指導者たちも、皆、挨拶・礼儀という人間的教養が洗練されていた。
 一九六八年(昭和四十三年)の九月、私の日中国交正常化の提言を、光明日報の特派員として即座に北京に打電されたのは、劉徳有りゅうとくゆう先生(中国対外文化交流協会・副会長)である。この劉先生も、信義の大指導者・周恩来総理の誠実な振る舞いを偲ばれていた。
 「握手の時は、必ず相手の目を見ておられました」
 「挨拶の仕方も、相手の方の習慣に合わせておられました」
 ともあれ、挨拶は、明快な声で、はっきりと!
 お辞儀は、頭を下げ、腰を曲げて、しっかりと!
 名刺の受け渡しは、先方がこちらの名前を読み取れるよう、きっちりと!
 そして身だしなみは清潔に──新人の時にこそ、確かな作法を身につけたい。
 国際的なマナーも大事だ。それは特別なことではない。相手を敬う気持ちを姿勢として表すこと、言葉に出して明快に伝えていくことだ。世界の多くの人びとと交流を結び広げたドイツの大文豪ゲーテも、語っている。
 「最初の挨拶は何千のそれの値うちをもつ、
 だから、友情こめて応えたまえ、君に挨拶する相手には」(「西東詩集」生野幸吉訳、『ゲーテ全集』2所収、潮出版社)
 「人に何かの世話になったら
 何でもいいからすぐ礼をすることだ」(「格言風に」内藤道雄訳、『ゲーテ全集』1所収、潮出版社)
 私も若き日より、どんな人と会う時も、礼を尽くし、真心の挨拶を心がけてきた。それは、「仏を敬うが如く」という法華経の真髄の実践でもあるからだ。
 海外の方との会見にあたっても、相手の著作等に目を通すことは当然である。
 さらに、先方の文化や習慣を学んでおくことなど、事前の準備は今もって怠らない。一回一回が真剣勝負である。
 御聖訓には、「小事つもりて大事となる」(同1595㌻)と仰せだ。
5   東天に
    朝日の昇る
      姿して
    君も香れよ
      幸の蓮華と
 社会で勝ちゆく起点は 「朝に勝つこと」である。
 もちろん、夜間の仕事の人もいる。要は「一日のスタートを勝つこと」だ。
 戸田先生が厳しく教えられたのも、この点だ。
 「青年は、朝寝坊では負ける。朝が勝負だ。朝の生き生きとした息吹のなかで、活力を沸き立たせていけ! そこに大きな成長がある」
 私も、戸田先生のもと。毎日毎朝、勇んで職場に馳せ参じたことが、懐かしい。
 日本正学館への初出勤は、21歳。1月3日の寒い日、喜びに燃え、朝、誰よりも早く出社した。
 職場に着いて、早速、窓や机を拭いた。
 「わが職場を日本一に!」
 掃除に励むなかで、使命の職場への愛着は、ますます深くなっていった。
 「朝の時刻こそ運命の針が事を決する」(『ファウスト』2、相良守峯訳、岩波書店)とは、ゲーテの『ファウスト』の一節だ。
 尊き「無冠の友」の皆様方が、来る日も来る日も、体現してくださっているように、朝の決意が、一日の勝利につながる。朝の勢いが、社会の開拓となる。
 「月月・日日につよ(強)り給へ」(同1190㌻)の仏法を行ずる我々は、白馬が嘶くように、朗々たる朝の勤行・唱題を響かせながら、今日も勝ち戦の行進を開始するのだ。
 朝の陽光の如く燦々と!
 そして、朝の大気の如く爽やかに!
 朝を大切にする。それは、時間を大切にすることだ。
 スイスの哲人ヒルティは論じた。
 「一分か二分のほんのわずかな時間でも、なにか善い事や有益な事に使うことができるものだ。最も大きな決心や行為をするのでさえ、ごく短い時間しか要しないことが少なくない」(『眠られぬ夜のために』第二部、草間平作・大和邦太郎訳、岩波書店)
 まったく、その通りだ。
 信心の「一念」とは、限りある時間の中で、生命を凝結させて、最大の価値を創造しゆく力なのである。
6   辛くとも
    笑顔で叫べや
      人生の
    賢者の君よ
      使命忘れず
 新社会人に贈る、もう一つのエールは「愚痴をこぼさず、前へ前ヘ!」である。
 思い描いた理想と違う職場で、働く友もあろう。人が羨ましく見える時もある。
 しかし、大事なことは、今いる場所で勝つことだ。眼前の仕事を、忍耐強く成し遂げていくことである。
 「偉大な仕事を生み出す根源の力である忍耐」(『田舎医者』新庄嘉章・平岡篤頼訳、『バルザック全集』4所収、東京創元社)とは、フランスの文豪バルザックの結論であった。
 派遣や契約社員として、働き始めるフレッシュマンもいる。リストラや失業の試練と戦う友もいる。
 思えば、人類の世界観を大転換した、大科学者アインシュタイン博士も、20代の前半、失業が続き、就職活動を何回も失敗した。
 「人間としての真の偉大さにいたる道はひとつしかない。何度もひどい目にあうという試練の道だ」(アリス・カラプリス編『増補版 アインシュタインは語る』林一・林大訳、大月書店)とは、博士の不屈の信念であった。
 苦労知らずで偉くなった青年は不幸だ。真の人生の深さがわからないからだ。
 苦しみ抜いてこそ、本物が育つ。ゆえに、思うようにいかない時も、くさってはならない。上手くいかない時も、自分らしくベストを尽くしていけばここから次の道が開かれる。
 戸田先生も言われた。
 「青年は、いくら踏みつけられても、伸びていくのだ。それが、青年じゃないか」
 誰かに愚痴をこぼしても、何も生まれない。
 題目を唱えて御本尊に悩みを訴えれば、勇気と力が湧いてくる。智慧が光る。諸天善神が厳然と現れる。
 日蓮仏法の真髄は「煩悩即菩提」である。
 その根幹は、祈りである。
 「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(御書1132㌻)と仰せの通り、祈り抜き、祈り切っていくことだ。
7  十六世紀、中国の哲人指導者であった呂新吾りょしんごは、その高潔さのゆえに嫉まれ、疎まれて左遷された。しかし、カラッと語っている。
 「世の中には、どこへ行っても自分の思いどおりになるようなことはないし、また、一日として思いどおりになるような時もない。
 そういうなかにあって、こちらが大きい度量をもって対処すれば、なにかとプラスになる」(守屋洋編訳『呻吟語』、徳間書店)
 すべてが勉強だ。
 どんなことも、自分の成長の力に変えてみせる! そう肚を決めた青年は、無敵である。いかに意地悪な人間も、その誇り高さ魂だけは、絶対に侵すことはできないのだ。
 この中国の賢人・呂新吾は「仕事の四つの要諦」を留め残した。すなわち──
 「一、好機と見たら、断固決断することが望まれる。弱気になってはならない。
 一、辛抱すべきときには、あくまで我慢に徹することが望まれる。腰くだけになってはならない。
 一、ものごとの処理は、思慮深く沈着であることが望まれる。浅はかであってはならない。
 一、変化への対応は、機敏であることが望まれる。手遅れになってはならない」(同前)。
 四百年以上の歳月を越えて、現代にも通ずる大事なポイントだ。
 そして、こうした勝利の鉄則も、すべて御聖訓に示された「法華経の兵法」に包含されていることを、大確信していくことだ。
8   新しき
    君の職場で
      勝利せむ
    晴れの人生
      師弟は不二かと
 わが創価学会は、荒れ狂う時代の怒濤に、雄々しく立ち向かって創立された。
 学会創立の一九三〇年(昭和五年)は、前年の十月、アメリカのウォール街の株価の大暴落を契機とした、世界恐慌の渦中であった。
 先師・牧口常三郎先生は、民衆が苦悩する動乱の世だからこそ、「創価教育」の旗を打ち立てて、「子どもたちの幸福」の道を開きゆくことを願われたのだ。
 実は、この時、戸田先生の「時習学館」も、大恐慌の影響下で、厳しい試練に直面していた。さらにまた、設立まもない戸田先生の出販社・城文堂も、深刻な資金難に陥っていたのである。
 しかし戸田先生は、牧口先生の真情を知ると、むしろ師を励ますように、笑顔で申し上げた。
 「先生、やりましょう! 偉大な先生の学説を、今こそ、書物として発刊しましょう! 私の持てる財産も、全部、捧げます。裸一貫で北海道から出てきた私です。失うものなど、何もありません」
 そして、自らの事業の苦境も奮然と打開しながら、編集のみならず、資金面でも全面的に責任を担われ、『創価教育学体系』を出版していかれたのである。
 この弟子としての奮闘の歴史を、師は無上の誉れと、私に語ってくださった。
 「俺も大作と同じだよ」
 一九四九年(昭和二十四年)、緊縮財政政策「ドッジ・ライン」が実施された。
 インフレには歯止めがかけられたが、非情な「金融引き締め(貸し渋り)」によって、中小企業の倒産が続出した。
 戸田先生が経営され、その師にお仕えして、私が働く日本正学館も、不況の直撃を受けた。出版は一切、休刊である。
 加えて、状況打開のために、着手された「信用組合」も経営が悪化し、当局から、業務停止命令を出される最悪の事態となった。翌年(一九五〇年)夏のことである。その絶体絶命の危機の中で、私は、ただ一人、命を賭けて、戸田先生をお護りし抜いた。師子奮迅の戦いで、事業の苦境を打開していった。
 烈風も、秋霜も、吹雪も、すべてを乗り越え、あの晴れわたる先生の第二代会長就任の五月三日を迎えたのである。
 「師弟不二なれば、何事も成就す」──この究極の勝利の劇を、永遠に刻み残してきたのが、創価の三代の師弟である。
 そして、この魂を、今、わが社会部、わが専門部の同志をはじめ、あらゆる職場、あらゆる仕事の現場で、創価の英雄たちが受け継いでくれている。なんと頼もしい晴れ姿か!
9  社会部で生き生きと活躍する、創価同窓の女性から、嬉しい便りをいただいたことがある。
 世界規模の事業展開をしているメーカーに入社した。最初は、遣り手のベテラン社員にまじって会議に出ても、聞いたこともない専門用語が飛び交い、呆然とするばかり。悪戦苦闘の毎日が続いた。
 しかし、創価の「負けじ魂」で発奮した。毎朝五時に起きて、唱題そして猛勉強を重ねた。朝は一番乗りで出社し、職場の雰囲気を盛り上げていった。そして入社二年目にして、実に、年間二億円という全国トップの営業成績を収めたのである。
 その仕事ぶりをじっと見ていた上司は、「あなたはいつも元気で、前向きで、周りの人を幸せにしてくれる。だから、創価学会は善だと思う」と語り、自ら希望して学会へ入会された。
 信心を根本に、師弟の結合を力として、多くの友が、荒波を勝ち越え、社会に厳たる実証を示してくれている。
 誉れの共戦の盟友に、健康あれ! 栄光あれ!
 私は、妻と夫婦して祈り続ける日々だ。
 「鉄鋼王」と謳われたアメリカの実業家カーネギーは、青年を励まして語った。
 いかなる道であれ、「その道の達人になろう」と決めることだ(『鉄鋼王カーネギー自伝』坂西志保訳、角川書店)、と。
 自分のいる場所で、プロになれ! 一流と輝け!
 若き新社会人の皆さんは、未来の「達人」を目指して、今日も明日も、フレッシュな息吹で、走り進むことだ。
 私は待っている。君たち、あなたたちが、人生と社会の「勝利の達人」と飛翔しゆく、その時を!
 それが、私と皆さんとの「約束」だ!
 頑張れ、創価のフレッシュマンだちよ!
  君もまた
    尊き創価の
      勇者なば
    誠実一路で
      この世かざれや

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