Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

阪神・淡路大震災14年に祈る 愛する街を「希望」の二字で結べ

2009.1.17 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

前後
1   底知れぬ
    力を持ちたる
      常勝の
    大関西は
     不滅なるかな
 アメリカの人権の大英雄キング博士は語った。
 「臆病は環境に対する屈従的な降伏である」
 ゆえに何も臆するな!
 「いろいろな障害や恐るべき状況にもかかわらず前進する」(『汝の敵を愛せよ』蓮見博昭訳、新教出版社)──その決断こそ「勇気」の力である。
 これが、博士の叫びであった。この一月十五日に生誕八十周年を迎えた。
 キング博士と同志たちは、常に"勝利の歌"を歌いながら、勇敢に胸を張って行進してこられた。
 「ウィ・シャル・オーバーカム」(我ら打ち勝たん)
 私たちが深い友情を結んだローザ・パークスさんも、この歌声も高らかに、キング博士と勝ち進んでこられた信念の女性である。
 このアメリカの人権の母と仰がれるパークスさんが、一九九五年(平成七年)の一月、わが兵庫・神戸の女子部の友に、手紙を送ってくださった。あの阪神・淡路大震災の直後である。そこには綴られてあった。
 ──今こそ、皆様方は、勇気を奮い起こして災害の再建に立ち上がり、その姿を通して、世界を激励してださい。私は、創価の女子部の皆様が、この困難な挑戦に対し、新しい精神で「ウィ・シャル・オーバーカム」(我ら打ち勝たん)と歌い上げられることを、信じています、と──。
 あれから十四年。このパークスさんたちの願いに応えて、わが大関西は戦い、そして勝った。未曾有の大震災を勝ち越えた一人ひとりの誇り高き勝利劇は、苦難に挑みゆく二十一世紀の人類にとって希望の指標と光っている。
2   わが天地
    誉れの兵庫に
      生まれけり
    三世の友との
      広宣 誓いて
 その日、一九九五年の一月十七日、いまだ暗い午前五時四十六分。ようやく目覚め始めた早朝の街々を、突然の激震が襲った。
 大都市圏を直撃した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)であった。
 神戸の街は、火の海と化し、多くの家々、建造物が崩壊した。高速道路も各所で無惨に倒壊した。
 気象庁発表によれば──震央は淡路島で、位置は北緯三四度三六分、東経一三五度二分。震源の探さ、十六キロ。規模は「マグニチュード七・三」である。
 いまだ経験したことのない「震度七」を記録した地域も多々あった。
 神戸市の須磨区鷹取、長田区大橋、兵庫区大開、中央区三宮、灘区六甲道、東灘区住吉、芦屋市芦屋駅付近、西宮市夙川等、宝塚市の一部、淡路島北部の北淡町・一宮町・津名町(現・淡路市内)の一部──。
 どれはどの衝撃であったか、想像を絶する。六千四百人を超す尊い生命が失われ、負傷者は四万四千人に迫った。被害建物は七十万棟近くに上る。
 一月十七日を境に、世界が奈落に突き落とされていくような大災害であった。
 被災者のため、あらゆる手を打っていただきたいと現地と連携をとりながら、「関西よ負けるな! 兵庫よガンバレ!」と祈りに祈った。犠牲になられた方々へ、ただただ深く追善の題目を送らせていただいた。
 日蓮大聖人は「妙とは蘇生の義」と断言されている。
 「変毒為薬」の妙法だ!
 「宿命転換」の仏法だ!
 「三変土田」の妙法だ!
 「立正安国」の仏法だ!
 この大災難も、絶対に乗り越えられぬはずがない。
 大好きな兵庫を蘇らせ、愛する関西を栄えさせる。それこそが、亡くなられた方々から託された悲願でもあるはずだ。
 私と妻は、三世十方の仏菩薩、無量無数の諸天善神よ! わが関西を守りに護り給え! 新たな大興隆の道を開かせ給え! と、ひたぶるに唱題を重ねた。不二の同志と共に、一つ一つ、手を打っていった。
3   万年の
    模範つくれや
      大兵庫
    尊き婦人の
      足並みそろえて
 「魂は前進をやめぬ」(『エマソン論文集』上、酒本雅之訳、岩波文庫)とアメリカの哲人エマソンは言った。
 不屈は魂の法則である。
 わが兵庫の友は、それを日本中、世界中に、断固と証明してこられた。
 壊滅的な打撃を受けた、あの街にも、この町にも、不死鳥の如く、復興の槌音は高鳴っていった。新たな工場が生まれ、新しい家々が建ち、高層マンションも増えてきた。
 希望の未来に向けて、大きく様変わりしている。
 その陰には、どれほど真剣な母たちの祈りがあり、智慧があり、努力があったことか。
4  一人ひとりが、「心の一法より国土世間も出来する事なり」との御聖訓を深く身に体し、"わが街を人間共和の楽士に!""わが郷土を仏国土に!"と、挑み抜いてこられたのである。
 二〇〇〇年(平成十二年)の二月、念願かなって神戸市の長田文化会館を訪れた。長田区をはじめ、兵庫区、北区などの同志も居合わせておられた。
 私は、心から追善の勤行をし、復興の街で生き抜く誉れの友と語り合った。
 つぶれた家の下敷きになり、長時間、生き埋め状態だったと述懐する方もおられた。
 「辛くも助かりました」と語った壮年は、誓願の長田区の天地で、広布の指揮を厳然と執られている。
 「偉大な魂を持つ人は、大きな災害に投げこまれると、哲学の中に、おどろくべき打開策を見いだすものである」(『黒いチューリップ』松下和則訳、『西洋文学』7所収、中央公論社)と綴ったのは、『巌窟王』の作者デュマである。兵庫には、そして関西には、その真髄の実証が、数限りなく輝いていた。
 被災の苦難をバネに、たくましく育った子どもたちの姿は、何にも増して皆の勇気の源泉となった。
 創価学園、創価大学を出て、社会の第一線で活躍するメンバーも少なくない。
 アメリカ創価大学を卒業して、今、ハーバード大学の大学院で学ぶ英才もいる。
 雄々しく未来に羽ばたく青年たちに、私は「負けるな! 断じて、学び進むのだ、前へ! 前へ!」と、心からエールを贈りたい。
5   悲しみも
    苦しみもまた
      乗り越えて
    安穏城を
      断固築けや
 残念ながら、近年、世界で大規模な地震災害が打ち続いた。
 二〇〇四年(平成十六年)末に起きたスマトラ沖大地震では、インド洋大津波が発生し、二十二万人もの死者・行方不明者が出た。
 国内でも、北海道十勝沖、新潟県中越、福岡県西部、石川県・能登半島、岩手県・宮城県などで大きな地震が起こっている。
 そのいずこにあっても、わが同志の貢献が、地域社会の依怙依託となった。
 昨年の五月には、中国の四川省で「マグニチュード八」の大地震が発生した。六万九千人もの人命が失われ、行方不明者も約一万八千人に上る。学校の被害が多かったことにも悲痛な思いを禁じ得ない。
 阪神・淡路大震災の教訓を、どう生かすべきか──今日、国内外で真摯な関心が寄せられている点だ。
 二〇〇五年(平成十七年)の一月には、「国連防災世界会議」が神戸市で開催された。
 災害に強い国・コミュニティー(地域社会)をいかに構築するか。人的・経済的な被害をいかに軽減するか──これは、世界のリーダーが全力で取り組むべき最重要の課題である。
6  阪神・淡路大震災が発生した一九九五年は、「ボランティア元年」と呼ばれている。全国から延べ百四十万人もの尊きボランティアが志高く被災地入りした。青年が圧倒的に多かった。
 創価の若人は、迅速に、的確に、そして親身に、被災した方々のもとへ走った。
 「バイク隊」の活躍には、皆が驚嘆した。尼崎をはじめ、明石、播磨、姫路などから勇んで志願したメンバーは、寸断された道々を疾駆し、救援物資を届けた。「何としても!」と、必死の思いが生んだ智慧であった。
 ドクター部や白樺会・白樺グループの友も、寝食を忘れて奮闘し、命を救い、健康を護ってくださった。
 壊れた自宅をそのままに、近隣の方々の救援に走り回った人も数多い。倒壊した家に駆けつけ、その家族の人数を伝えながら「早う助けてあげてや!」と叫んだ創価の婦人部もいる。地域に根を張った関西家族のネットワークは、救援活動の大きな力となった。
 日頃から地域で支え合う強き絆が、「いざ」という時にどれほど大切か。それを物語ってあまりある。
 私が一昨年、たまたま開いた本に、「バイク隊」として献身する一人の青年部の英姿が映っていた。私は、もし、その青年の近況がわかればと尋ねてみた。
 関西からは即座に返事が返ってきた。
 大震災の当時、成人式を迎えたばかりの若武者であった。被災の直後から、若き渾身の力で、救援に駆けずり回ってくれた。
 助けたくても助けられない被災者の方々もいた。その悔しさを胸に、彼は難関を突破し消防士となった。そして、今、雄々しく人命救助に邁進している。
 インド西部のサイクロン被害(一九九八年)や台湾の大地震(一九九九年)、また米国南部のハリケーン災害(二〇〇五年)の時も、SGIの同志の皆様方は果敢に救援・復興活動に貢献した。
 こうした創価の不惜の行動に、どれほど多くの人びとから、感謝と感動の声が寄せられていることか。
7  近年の災害は「自助」の意識を一段と高めた。ボランティア活動などの活発化にともない、「共助」の態勢も充実しつつある。
 後は「公助」──問われているのは政治の姿勢だ。
 阪神・淡路大震災では、庶民の涙の中で、政治の在り方が厳しく追及された。
 保身や売名や党利党略ではなく、国民のため、民衆のために、本気で働く人物はいないのか。
 何のための政治か。誰のための政治か。明白な一点は、政治は温かい血の通った「人間主義」でなければならないということだ。
 私が深く語り合った哲人指導者である、統一ドイツのワイツゼッカー初代大統領は喝破された。
 「要するに、人間にふさわしい仕方で共に生きること、それこそ政治の課題である」(『ヴァイツゼッカーのことば』加藤常昭訳、日本基督教団出版局)
8  今年は、大聖人が「立正安国論」を著されてから、七百五十年目である。
 御執筆の直接の契機は、「正嘉の大地震」であった。そして異常気象、飢饉、疫病......民衆の苦悩と嘆きを目の当たりにされ、大聖人の御心痛は激しかった。
 「独り此の事をうれいて胸臆くおく憤悱ふんぴ」──「憤」は噴き出すような憤り、「悱」は言葉に表せない憤りである。
 いかにすれば、民衆を幸福にできるのか。安穏の社会を築けるのか──大慈悲に発する、その同苦の結論が、「正を立て国を安んずる」道であった。
 この「立正安国」の精神の根底は、万人に尊極の仏性を見る、絶対の「生命尊厳」にある。だからこそ、我らは、尊き生命を軽んずる権力の魔性とは、断固として戦う。
 震災で救助を求める人びとを無視し、門を閉ざして排除するような、冷酷無惨な邪宗門とも、断じて戦う。
 苦しんでいる人を助けずにはいられない──大聖人の魂を受け継ぐ創価学会には、「同苦」の血脈が流れ通っている。人と人を「希望」と「信頼」で、深く固く結び合っていくのだ。
9  昨年の四川大地震後、日本ユニセフ協会大使のアグネス・チャンさんが現地を訪問した。亡くなった母親へ綴った手紙を握りしめている少女に出会った。
 手紙には、お母さんがいつも歌っていた歌をまた聴きたい、と書かれていた。それは、二十数年前に、北京でアグネスさん自身が熱唱した歌だったという。
 アグネスさんと少女の歌声は、亡き母にも届けと、被災地の空にこだました。
 ──そうだ、大事なことは、心と心を結ぶことだ。
 大災害は多くの人の命を奪い去り、人と人の心の絆をも引き裂いてしまう。
 家族、親族、友人、近隣、地域......人びとが育んできた結びつきが、突然、切断されてしまうのだ。
 まして、自分さえよければというエゴが渦巻けば、地域も社会も壊れてしまう。この"分断の魔力"をはね返して、人と人の麗しい励まし合いの世界を蘇生させてきたのが、わが創価の同志だ。
 結合は善。分断は悪──「民衆の結合の力」こそが、エゴのはびこる現代の闇を打ち払い、地域に、社会に、そして世界に平和と幸福の光をもたらすのだ。
10  わが師・戸田城聖先生は師子吼なされた。
 「どんな困難にぶつかっても、どんな境遇になっても、どんな時代になっても、私たちには、必ず乗り切っていけるという信心がある。
 この確信が大事だ。これこそが、人生の宝である」
 常に大確信に満ち満ちて、若々しき新しい決意で、民衆の勝利と栄光の連帯を目指す。これが、創価の人間主義の運動である。
 スイスの思想家ヒルティは語った。
 「苦難のうちに、苦難を通して、幸福となり得るということは、われわれのなし得る最高のことである」(『幸福論』2、斎藤栄治訳『ヒルティ著作集』2所収、白水社)
 いかなる苦難にも負けぬ勇気と希望の火を、胸中に灯した一人から、また一人へと、社会を照らす炎は広がる。ここに広宣流布がある。
 その拡大の先頭に立つ、異体同心の兵庫の同志よ!
 「立正安国」と「三変土田」の誓いを胸に前進する、師弟不二の関西の勇者たちよ!
 大震災を耐え抜いた我らの不撓不屈の金剛城・兵庫文化会館のごとく、厳然と勇み勝て!
 永遠に、「ウィ・シャル・オーバーカム」と!
  来る年も
    また来る年も
      健康と
    長寿の王者と
      兵庫の同志よ
  
  大関西
    常勝関西
      勝ち抜けや
    世界中が
     見つめむ模範と

1
1