Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

「青年・躍進の年」への出発 君よ壮大な勝利の歴史を創れ!

2005.11.8 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  青春のころから、プーシキンは大好きな詩人であった。折々に読んだ彼の詩は、今もって忘れることができない。
 「栄光と善の希望に満ちて
 我は、前を見つめる。
 恐れなく!」(Полное собранie ero coчинeнiй :Алeкcандр Сeрreeвич Пушкин, Тoм2, Тип. В.В. Кoмарoва)
 どんな嵐が来ようが、吹雪が襲いかかろうが、泥沼であろうが、前へ、前へ進み、絶えまない努力の足跡を刻みつけていくことだ。
 その人こそが、「勝利の太陽」と輝いていくことができる。
2  それは、一九五五年(昭和三十年)の十二月のことである。
 アメリカ南部のアラバマ州モンゴメリーで、バスの乗客である黒人(アフリカ系アメリカ人)の一婦人が、白人の運転手から、あとから来た白人に席を譲れと命じられた。
 「ノー!」
 女性は穏やかに、だが、毅然として拒絶した。そして、警察に逮捕されたのだ。
 「私は正しいことをしなければいけないと心に決めたのです」(『ローザ・パークスの青春対話』高橋朋子訳、潮出版社)――この歴史的な瞬間の扉を開いた女性こそ"公民権運動の母"ローザ・パークスさんであった。
 先月の二十四日、そのパークスさんが逝去された。享年は九十二歳であられた。
 現在のアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパスでお会いし、さらに東京でお迎えしたことを、私は一生涯、忘れることはできない。
3  このパークスさんの逮捕をきっかけに、モンゴメリーの黒人民衆は、人種差別のバスヘの乗車を拒否し、差別撤廃を訴えた。これが、世界的に有名な「バス・ボイコット運動」である。
 この運動の中核となったのは、実に、わが青年部諸君と同じ若人たちであった。
 指導者のマーチン・ルーサー・キング博士は二十六歳。博士の盟友、ラルフ・アバナシーも二十九歳であった。
 青年たちが先頭に立ち、来る日も来る日も、「非暴力」を掲げて、大きく時代を転換させゆく、この運動の戦略を練り、決定していった。
 彼らの戦いは、人間それ自体の尊厳を勝ち取る闘争であったのだ!
 「どんな運動でも、うまくやりぬくために一番大事な仕事は、この運動に参加する人たちを団結させておくこと」(『自由への大いなる歩み』雪山慶正訳、岩波新書)
 これが、青年キング博士の結論であった。
 彼は、運動の勝利のためには、「団結」、また確固たる「哲学」、そして指導者と民衆との「心の交流」が必要だと考えていたのである。
 毎週の集会では、医師や教師、弁護士も、労働者も主婦も、共に席を並べ、熱っぽく語り合った。集会の雰囲気が暗くなった時は、青年が演説して、皆を励ました。
 そして、いついつも、彼らは朗らかに、勇気と決意をもって、自らの勝利の歌を歌いながら、前進していった。
 そこには、常に民衆の心を鼓舞する歌があった。
 その戦いの根本は、白人も黒人も差別のない、また老いも若きも、さらに男性も女性も差別のない社会を目指していた。
 彼らは"自分たちは絶対に正しいのだ! だから正義が常に味方しているのだ!"と、誇り高く胸を張って戦い始めたのだ。
 「平等と正義を獲得するための運動は、大衆的であると同時に戦闘的な性格をもつ場合にこそ成功することができるのだ」(同前)とは、キング博士の鋭き有名な洞察である。
4  一方、陰険な反対者たちは、あらゆる手段を講じて、キング青年たちと大衆とを引き裂こうと画策した。
 "キングたちの運動は金儲けが目的だ""皆が歩いているのに、キングは高級な車を買った"などと、事実無根のデマを垂れ流した。
 嘘八百を流す連中の本質。いつでも、それは保身である。正義の拡大への嫉妬であり、攻撃である。
 さらに彼らは、狡猾に"黒人の有力者"を仕立て上げ、"白人と黒人の代表が会合を開き、ボイコット運動の終了が決まった"というデマ記事まで、でっち上げた。
 しかし、それがインチキだと見抜いたキング青年らは、電光石火の反撃で、皆が記事を読む前に、街中に真実を訴え抜いて、走ったのである。(同前、参照)
 青年が動くのだ! 青年がデマを粉砕するのだ!
 キング博士が後に指摘したように、「不正義は強力で、執拗な、決断的行動によって根絶しなければならない」(クレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳、日本基督教団出版局)。
 運動開始から一年後へ遂にモンゴメリーのバスの人種隔離は廃止され、公民権運動が全米に波及していった。
 「一人の勇気」の叫びが、「皆の勇気」に盛り上がった。
 そして「一つの地域の勝利」が、「全軍の勝利」へと、変化していった。
 これが、歴史を創り、動かしゆく、新しい民衆運動の勝利と勝圏の方程式となっていったのである。
5  以後、キング青年たちは、勇んで全米各地へ転戦する。
 その最高潮は、当時、最も人種差別がひどかったアラバマ州バーミングハムの街での人権闘争であった。(以下、マーチン・ルーサー・キング『黒人はなぜ待てないか』中島和子・古川博已訳、みすず書房、参照)
 彼らは"最難関の戦場で勝ってこそ、自由と正義の全闘争を逆転勝利させる力になる"と確信していたのだ。
 キング青年は、この地で、苦悩の渦巻く街角に、「小さなグループ」を一つまた一つと訪ね、対話を重ねた。
 冷淡な反応も、無理解の悪口も多々あった。
 だが、わが闘魂の炎を、一人また一人の胸へと、ともしていった。勝利は「忍耐」と「持続」の中にあるのだ。
 指導者は、常に相手の心をつかみ、相手の心を理解し、そして相手の心を動かしていかねばならない。
 そのためには、大きい会合だけではなく、一人ひとりと直接、会って対話していくことが重要であると、キング青年は知っていた。
 ともあれ、激戦地であればこそ、勇敢に「一人立て一」、大胆に「一人立て!」。
 それが、必ず反転攻勢の大波となっていくからだ。
6  キング青年が、アメリカで人権闘争の指揮を執っているその時、私は関西で戦っていた。
 それは、私の青春の金字塔と光っている。
 一つの支部という小さな組織で、一カ月間に、一万一千百十一世帯の布教を成し遂げ、日本中を驚嘆させる大勝利で飾った。
 今もって、私の胸には、この時の誇り高い波動が、強く、晴れやかに残っている。
 私は、東京と並んで重要な心臓部である関西の底力が、いよいよ発揮されゆくことを知っていた。
 東の首都圏、西の大関西。この二つの大都会が、互いに肉薄しながら歩んでいけば、日本中が大きく揺れ動いて、広宣流布の前進が必ずできると、私は見抜いていたのだ。
 「常勝関西」の民衆城をば、私は断固として築き始めた。いな、この五十年、誉れ高き「常勝創価」の師弟不二の大城を創り上げてきたのだ!
 御聖訓には、「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ」とある。
 今、自分がいる場所が、深い深い使命の舞台である。それが仏法なのだ。
 さあ、生気溌剌と、「青年・躍進の年」へ出発だ!
 明年は、強く朗らかな男子部も、そして美しき瞳と笑顔の女子部も、「結成五十五周年」を迎える。
 さらに、男子部の英知の創価班は結成三十周年、信念の牙城会も結成三十五周年になる。
 花の女子部の白蓮グループは、早くも結成四十周年を迎える。
 ローザ・パークスさんは、"青年たちの母"の如く、深い期待を込めて、常に呼びかけられていた。
 青年!「あなたは私たちの未来です。私は、あなたのエネルギーこそが、変革をもたらす力だと思っています」
 これは、全く正しい哲理だ。
 崇高なる勝利を見つめる、いな、勝利を築き上げる、凛々しき若武者、青年諸君の栄冠を、私もパークスさんと同じ思いで待っている。
 新しき時代を!
 新しき波を!
 新しき舞台を!
 新しき広布の大潮流を!
 そして、新しき人類の平和と和合を!
 それを創り上げるのは、君たち青年しかないのだ。
 プーシキンは叫んだ。
 「われらのもとを去れ、傲れる人よ」
 そして、
 「偽りの知恵は、
 不滅の知性という太陽の前に揺らぎ、くすぶる。
 太陽よ、万歳!
 闇よ、消えよ!」(Полное собранie ero coчинeнiй :Алeкcандр Сeрreeвич Пушкин, Тoм1・2, Тип. В.В. Кoмарoва)と。
 若き知性の太陽たる君よ、絶対に負けるな!
 悔いのない、楽しき力強き闘争によって、輝く歴史を創り給え!
 さらに、史上最高にして、永遠不滅の新たな創価城を、若き君たちの手で築き上げてくれ給え!

1
1