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日蓮大聖人・池田大作

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「札幌・夏の陣」から50年 短期決戦はスピードで勝て!

2005.8.18 随筆 人間世紀の光3(池田大作全集第137巻)

前後
1  将軍ナポレオンは叫んだ。
 「私は、二時間でできることに、二日もかけるようなことはしない!」
 「どんなに大きな仕事でも、それが成功するかどうかは、間一髪の差である」(長塚隆二『不可能を可能にする ナポレオン語録』日本教文社)
 私の胸に去来する五十年前の夏、十日間で歴史は動いた。
 それは、「札幌・夏の陣」と語り継がれる、昭和三十年の歴史的な闘争であった。
 八月十六日から、十日間の勝負だった。短期決戦である。
 私は、夏季指導の北海道派遣隊の責任者として、三百八十八世帯という「日本一の折伏」を成し遂げた。
 戸田先生は笑みを湛えながら、「大作、またやったな。日本一の大法戦の歴史を飾り残したな」と言われた。
 私は嬉しかった。
2  短期決戦の第一の要諦は、「団結」である。
 戦いが短ければ、短いほど、気を引き締め、結束しゆくことだ。
 私と北海道の同志は、断じて戸田先生の悲願である「七十五万世帯」を達成してみせるとの「弟子の強き一念」で、尊く固く結ばれていた。
 広宣流布の戦いで「勝負」を決するのは、人数の大小ではない。誓願を共にした「異体同心の団結」である。
 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候
 暴虐の限りを尽くした「殷の紂王」の軍勢七十万騎は、八百人の諸侯が結束した「周の武王」の軍に敗れた。
 悪辣な紂王に無理やり駆り出された殷の兵士は戦意がなく、武器を逆さまに持ち、周の軍勢に道を開けたという。
 ともあれ、周の武王の大勝利は、団結と勢いの勝利であった。
3  第二の要諦は「スタートダッシュ」である。
 陸上のトラック競技は、短距離になるほど、スタートが重要になる。
 百メートル競走も、号砲が鳴る、ぴんと張りつめた瞬間に、勝敗の分かれ目がある。
 五十年前、札幌駅に降り立った瞬間から、私の闘魂は燃えたぎっていた。
 「戦いは、勝ったよ!」
 出迎えてくださった方々への、私の第一声だった。
 初日からフル回転である。
 戦いの拠点となる宿舎に到着した時には、成果を書きこむ「棒グラフ」まで用意できていた。準備万端である。
 「先んずれば人を制す」だ。
 後手に回った場合、負担も手間も二倍になる。先制攻撃の場合、手間は半分、効果は二倍である。
 戸田先生も、よくおっしゃっていた。
 「いくら大艦隊であっても、戦場への到着が遅ければ、スピードが勝る精鋭には、絶対に勝てない」
 短期決戦であるほど、戦いは「先手必勝」である。
 敵だって苦しい。時間がない条件は同じだ。
 先に手を打った方が、必ず勝つ。相手も準備は不十分であり、ここに大きなチャンスがあるからだ。
 機先を制した方が、一切の主導権を握り、庶民の心をつかみ、嵐のような喝采に包まれるものだ。
4  第三に、短期決戦は、中心者の「鋭き一念」で決まる。
 私は「札幌・夏の陣」を前に、ひたすら祈り、智慧を絞り抜いた。
 具体的な作戦に基づき、矢継ぎ早に手を打った。
 当時は通信手段も限られ、連絡の大半が手紙である。
 私は、東京での闘争と同時並行で、寸暇を惜しんで筆を執った。時間との競争にしのぎを削り、全精魂を傾けて、北海道の友に手紙を書き続けた。
 同志の必死の奮闘の一切を勝利に直結させるとの一念で、万全の準備を進めて、札幌に向かった。
 戦いの勝利の方程式は、「忍耐」と「執念」である。
 「つねに気落ちを知らず、断固たる、戦いをやめぬ人間の魂」(『草の葉』下、鍋島能弘・酒本雅之訳、岩波文庫)――大詩人ホイットマンが歌い上げた、この不屈の闘魂こそ、我らの闘争精神である。
 絶対に勝つという一念を燃え上がらせることである。
 戸田先生も、「ケンカだって、一つでも多く石を投げた方が勝つよ」と、常に強気だった。
 そして、最後は、智慧の戦いである。敵を倒すまで戦い抜く、猛烈なる執念である。
 「勝つべくして勝つ」ことが、学会の戦いであった。
 リーダーは、どこまでも同志を励ましながら、「勝利を決する厳然たる祈り」で、どこまでもどこまでも、断固として進みゆくことだ。
 いずれにせよ、短期決戦は、ゴールまで全速力で走り抜く以外にない。百メートル競走なら、世界レベルの争いで約十秒。
 脇目もふらず、力を出し切るしかない。周りの様子などに振り回されては、絶対に勝てるはずがない。
 恐れることはない。戦いはやってみなければ分からない。五分と五分だ。勢いがある方が勝つ。強気で攻めた方が勝つ。
 中国革命の父・孫文は語った。
 「およそ、何事であれ、天の理に順い、人の情に応じ、世界の潮流に適い、社会の必要に合し、しかも、先知先覚者が志を決めて行なえば、断じて成就せぬものはない」(『心理建設』伊藤秀一訳、伊地智善継・山口一郎監修『孫文選集』2所収、社会思想社)
                                      ◇
 弘安二年(1279年)、日興上人は、捕らえられた熱原の農民信徒の状況について、鎌倉から身延の日蓮大聖人へ、急報を伝えられた。
 十月十五日の夕刻に使者に託された知らせは、十七日の酉時(午後六時頃)に届いた。
 大聖人は、即座に筆を執られた。
 「彼ら(熱原の門下)が御勘気を受けた時、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えたとのこと、これは、全くただごとではない」(御書一四五五ページ、通解)
 「必ず、わずかの間に、賞罰がはっきりするであろう」(同前)
 今こそ変毒為薬の時と、弟子を最大に励まされている。
 この御手紙が認められたのは「十月十七日戌時」。
 日興上人の報告が届いてから二時間後の、午後八時頃である。
 御手紙の最後では、重ねて、仰せである。
 「恐れてはならない。心を強くもっていけば、必ず現証があらわれる」(同前)
 大聖人の電光石火の御振る舞いが、正義の反転攻勢へとつながったのである。
 戦いは、厳しい局面になるほど、スピードが求められる。
 素早く手を打つことで、魔を打ち破っていける。会員を守っていける。
 スピードのない幹部は、無責任である。臆病である。無慈悲である。
 いざという時の電光石火のスピードこそ、勝利の鉄則であるからだ。
5  かつて戸田先生は、朝鮮戦争(韓国戦争)の渦中、戦火に包まれた韓・朝鮮半島の人びとの苦悩を思いやられ、慈しみの念を抱かれながら、こう話しておられた。
 「『どっちの味方だ』と聞かれ、驚いた顔をして、『ごはんの味方で、家のあるほうへつきます』と、平気で答える人もいるのではなかろうか」
 どこまでも、我ら人間の幸福を第一に考え、その実現のために戦い抜かれた先生であられた。
 いつの時代も、ともすればイデオロギー等が優先され、最も大事な人間の幸福は、ないがしろにされてきた。
 「国民大衆の幸福」こそ、政治の根本であるはずだ。
 これこそ、永遠に正しき普遍の政治の原理であらねばならない。今の時代は、その政治の根本を忘れている。
 蓮祖は「当世は世みだれて民の力よわ」と仰せである。
 ゆえに、わが学会は、「民の力」を強め、「民の力」を天下に示すために戦ってきたのだ。
 その闘争は、時には困難を極めることもあった。しかし困難に遭った時こそ、人間の真価がわかる。
 「いざ鎌倉」の時に、本物の人物か否かが明確にわかるものなのである。
 私は「疾風知勁草」(疾風に勁草を知る)(『後漢書』)という言葉が、青春時代から好きであった。
 激しい風に吹かれて初めて、強い草であるか否かを知ることができるというのだ。
 この言葉は、後漢の光武帝が激闘した時に、他の兵士が皆、逃げ去るなか、ただ一人、王覇という一兵士が、最後まで残ったことに由来する格言である。
 学会に臆病者はいらない!
 いかなる疾風にも、御本尊を抱きしめ、いかなる事態にあっても、恐れなく厳然と立ち向かっていくことだ。
 強くまた強く、正しくまた正しく、そして朗らかな人生を進みゆくことだ。
 君よ、痛快に、また愉快に、連戦連勝の指揮をとってくれ給え!
 創立七十五周年の偉大にして意義ある歴史を、栄光と完勝で飾っていってくれ給え!
 世界的な広がりをもつ、我ら創価の「黄金時代」を謳歌しゆく大音楽を響かせていってくれ給え!

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