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日蓮大聖人・池田大作

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「勝利に舞いゆく沖縄」  

2005.1.31 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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1  人間革命の″大光″で平和の世界に
 沖縄に今、日本一早い桜花爛漫の季節がやって来た。
 2・3「八重山の日」、2・5「宮古の日」、2・8「沖縄の日」を寿ぐかのように、かりゆしの海――豊かな海からの潮風に、最も美しい桜が揺れている。
 この春、沖縄研修道場で、新時代を担う青年たちが企画した「人間革命展」がオープンすることになった。活気溢れて賑わうことであろう。
 私が、小説『人間革命』の執筆を開始した日は、一九六四年(昭和三十九年)の十二月二日である。昨年で四十周年となった。その歴史となった場所は、那覇市の沖縄本部の質素な一室である。
 この″執筆開始四十周年″を記念する、今回の展示の準備に当たった友から、昨年末、決意を込めて、文豪ユゴーの作品と生涯を考察した資料が届けられた。私は、本当に嬉しかった。若き諸君の努力に「栄光あれ」「勝利あれ」と、私も真剣に祈り、励ましを送った。
2  沖縄の青年たちが鋭く注目したのは、ユゴーにとっての「十二月二日」であった。
 ユゴーは、皇帝ナポレオン三世に抵抗して亡命生活を貫いた。苦闘の日々は十九年に及んだ。その大闘争の発端が、一八五一年の十二月二日であった。
 この日、時の大統領ルイ・ナポレオンは、独裁的な本性を現し、皇帝の座を狙ってクーデターを起こす。ユゴーは、直ちに痛烈な声明を発表した。
 「民衆に告ぐ。――ルイ=ナポレオンは裏切者である」(辻昶『ヴィクトル・ユゴーの生涯』潮出版社)
 彼は『十二月二日の物語』のなかで、自身の責務を高らかに宣言する。それは、「自分の野心のために民衆を裏切り卑劣な手段で権力の座を手に入れたルイ=ナポレオンの行いを証言し、糾弾することだ」(辻昶『ヴィクトル・ユゴー』第三文明社)と。これが、人間の尊厳を貶める輩への追撃の手を緩めぬ、ユゴーの結論であった。
 「十二月二日」は、民衆を睥睨する悪の権力に対する、ユゴーの「大闘争宣言」の日となったのだ!
 正義なればこそ、叫ばねばならない。邪悪を倒し、勝利しなければならない。
 中国の文豪・魯迅の言葉も、これを証明している。
 「もしも今後なお光明と暗黒とが徹底的戦闘を行いえず、正直な人間が、悪を許すことを寛容と思い誤って、いたずらに姑息のみを事とするならば、現在のごとき混沌状態は無限につづくことであろう」(「墳」松枝茂夫訳、『魯迅選集』5所収、岩波書店)
 広宣流布も、正義と真実を叫び抜く言論戦である。仏法の眼から見れば、この戦いには、必ず三障四魔、三類の強敵が襲い来る。いかに卑劣なデマがあり、謀略があり、迫害があろうが、これを断固として打ち倒し続けることが、正義の方程式だ。
 「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」とは、日蓮大聖人の厳しき御指南である。
 勇敢なる沖縄の同志よ! 皆様方は、この方程式の通りに、デマの暴力を打破し、あらゆる邪悪を砕き、創価の勝利また勝利の歴史を築いてくださった。現在をもって未来を論ずるならば、これこそ、「民衆の平和の悲願」が必ず勝利するという証拠である。
3  かつて、琉球では、民衆は弓矢も刀も持たず、四海の他民族とは、軍事力ではなく、礼節ある交流によって誼を結んだ。現在の浦添市を発祥の地とし、長く平和を保ったこの琉球王国を、人は「守礼の民」「非武の文化」と讃える。海に囲まれた国が平和に生き抜くためには、近隣諸国と平和の絆を結ぶ以外にない。琉球がそのお手本であった。
 だが、その伝統は、本土の支配に踏みにじられ、果ては本土の″捨て石″とされて、凄惨な戦禍をこうむった。今も「戦争」と「平和」の谷間で、その苦悩は続く。
 日本は、「沖縄の心」を、もっと真剣に、もっと謙虚にたずね求めるべきだ。一番、悲惨を味わった沖縄の方々が、一番幸福になりゆくことこそ、人間の正道でなければならない。
 そして「非武」――すなわち武力を用いぬ沖縄の人びとの生き方は、愚劣な暴力の獣性などに屈伏しない、最強の勇者の道だ。沖縄民衆の勝利が、暴力に敗北しゆく人類の宿業を転換する逆転劇となる。ゆえに、私は、沖縄こそ、あまりにも尊き使命をもった「幸福の宝島」なりと、声を大にして叫ぶ。
 わが沖縄から、生命に巣くう本源の悪である″元品の無明″を破る、人間勝利の夜明けを開くのだ!満天の星を見つめながら、新たな平和の戦いを起こすのだ!
 私は、そういう思いから、沖縄で、小説『人間革命』の執筆を開始した。
 この十二月二日は、私自身にとっての、邪険の声に邪魔されない、「闘争宣言」の記念日となったのだ。
4  沖縄が、苦難を超え、多くの鋭い中傷の声に邪魔されながら、世界最初の広宣流布の地帯へと大発展してきたのは、何か深い意味がある。それは、皆様が、「地涌の菩薩」に徹したからだ。いや、徹する以外、どこにも道はなかったのだ。
 あそこにも、ここにも、古くさい旧習の壁があった。人びとは、あまりにも未来に無関心であった。くだらぬ無理解の悪口中傷も多かった。正義に生きゆく我らにも、苦悩は耐え間なかった。
 私は、皆様の生活と闘争の日々の辛さを、悔しさを、胸を痛くしながら思い、ある時は涙を流して唱題しながら、勝利を祈りに祈った。
 ともあれ、勇敢なる皆様は、厳然と、一人また一人と立ち上がった。
 「今、ここで、この島で、断じて勝ってみせる!」
 歯を食いしばり、一心不乱に広布のために戦ってきた皆様は、一人も残らず、人間として、仏法上、最高の晴れ晴れとした地位を持つ、仏と等しき「地涌の菩薩」であられるのである。法華経涌出品には、その姿がこう説かれている。
 「難問答に巧みにして 其の心に畏るる所無く
  忍辱の心は決定し 端正にして威徳有り」(法華経四七二ページ)と。
 「難問答に巧み」とは、いかなる詭弁強弁も痛快に切り返し、どんなに難しい相手をも味方に変えゆく、対話の智慧と力であった。「其の心に畏るる所無く」とは、何ものも恐れず、いっさいの魔軍を断固と打ち破る、師子王の心である。
 「忍辱の心は決定し」とは、いかなる困難の壁にも屈せぬ負けじ魂だ。ひとたび、正義を叫んだら、相手の心に伝わるまであきらめぬ忍耐だ。「端正にして威徳あり」とは、「あなたは信頼できる」と周囲の人びとを納得させゆく人格の輝きである。
 そして、地涌の菩薩とは、一言にしていえば、末法の全世界の広宣流布を必ず成し遂げてみせると誓いあった、久遠元初の師弟の実像である。
 「一一の菩薩は、皆な是れ大衆の唱導の首」――勇敢なる沖縄の同志の皆様方は、その力をもっておられるのだ。その尊き使命の団結をもって戦いゆく前途には、我らが打ち破れぬ壁などは、絶対にないのだ。
5  三十一年前の一九七四年(昭和四十九年)二月、沖縄本島、さらに初めて八重山・宮古を回るなかで、私は幾度となく、沖縄健児たちが舞い踊る、あの歓喜の渦に飛び込んだ。
 笑顔が弾けた。熱い涙がこぼれた。
 私は、飾り気のない、「気高き人間万歳!」の心が輝く、沖縄が大好きだ。沖縄の開かれた心は、創価の心である。アジアの友も、世界の友も、ここでは、みな平等な人間仲間だ。
 私は叫ぶ。「沖縄こそ、二十一世紀文明の最先進地だ」
 その軌道は、決して間違いなかった。今や沖縄は、時代をリードする「健康社会のモデル」「平和社会のモデル」「高齢社会のモデル」として、世界の注目を集めているではないか。
 今、「沖縄科学技術大学院大学」も開学に向けて準備が進んでいる。このあまりにも新しき「大学」の成功と発展を、心から私は祈りたい。恩納村の、その建設予定地は、コバルトブルーの海を望む、我らの研修道場のすぐそばである。
6  「仕事は始まったところなのだ。仕上がってはおらんぞ。いまこそ わしらに必要なのが、勇気と固い団結だ」(『ヴィルヘルム・テル』小宮曠三訳、『新集 世界の文学』5所収、中央公論社)
 ひとまず勝利を得た者たちの自戒の心を、ドイツの詩人シラーは、こう記した。
 人生は、絶えざる前進だ。いつでも「今」が出発であり、戦闘開始である。
 さあ、強き民衆の平和勢力が、歴史の舵を握っていることを満天下に示しゆくことだ!
 「どうだ、この我らの姿を見よ!」と、私たちは世界に叫びたい。我らが、新たな「万国津梁(万国を結ぶ架け橋)の鐘」を、勝利の凱歌とともに打ち鳴らすのだ。
 民衆と民衆を結ぶ、麗しき「友情」の鐘を!
 世界に響き渡る「平和」の鐘を!
 永遠に青年の心で!
 沖縄魂の決意で!

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