Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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共戦の心が光る香川  

2004.3.21 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  強くあれ 断じて強くあれ
 かつて読んだ、アメリカの有名な哲学者デューイ博士の警鐘の叫びが、私の胸に残っている。
 「弱くなるということは、とりもなおさず新しい攻撃を受ける導火線となる」(『ラッセル自叙伝』2〈日高一輝訳、理想社〉の中で紹介されたデューイの手紙)
 その通りだ。
 そしてまた、フランスの文豪ロマン・ロランの言葉も、脳裏に刻みついている。
 「善が勝利をえるためには、力が必要です」(「フロイライン・エルザーエルザ・ヴォルフ宛の書簡」宮本正清・山上千枝子訳、『ロマン・ロラン全集』37所収、みすず書房)
 いかに善であっても、弱くて力がなければ、結局、悪を増長させてしまうだけだ。
 ゆえに、善は徹して強くあらねばならない。正義は断じて勝たねばならない。
 それが、人類の知性の結論であり、不滅の教訓だ。
 昨日も、今日も、広宣流布のために戦いゆく健気な学会員は、大聖人の御聖訓通りに勇敢に勝ち進んでいる。
 この勝手気ままな世間にあって、まったく尊いことだ。最高に立派な、そして勇敢な人たちだ。どこかの国の、勲章を追いかけ偉ぶっている政治家よりも、何十倍、何百倍も気高い。魂の勲章が、大勲位以上に光っているのだ。
 幼子の手を引きながら、朝早くから活躍する、聡明な婦人部。仕事の疲れを振り払って、大善の人生を生きるために、そして広宣流布の道を開くために、懸命な壮年部。なんと尊いことか。
 人のために、法のために、平和のために、人びとの幸福のために戦い、無上最高の大善の人生を生き抜いておられる方々だ。
 日蓮大聖人の賞讃はもちろん、十方の仏菩薩が永遠に、その方々を讃え護りゆくことは、絶対に間違いない。それは、釈尊の厳命であり、日蓮大聖人の叫びであられる。
2  今年(二〇〇四年)の一月十二日、私の小学校時代の恩師である檜山浩平先生が逝去なされた。蒲田の羽田第二尋常小学校(現・大田区立糀谷小学校)で、五年生と六年生の二年間、担任をしてくださった先生である。この檜山先生のことを、私は一生涯、忘れることはない。
 一九七三年(昭和四十八年)の秋、檜山先生の故郷である栃木の学会の会合に、先生ご夫妻をご招待申し上げたことも懐かしい。
 私は多忙のため、残念ながら同窓会にも出席できずにきた。しかし、友人たちが恩師のもとに集まって、私のことに話が及ぶと、先生は決まって、「池田君は来なくてもいいんだ。世界の平和のために、世界中を回っているんだから」と言ってくださったそうだ。
 師というものは、深き慈愛と理解をもって、教え子を一生涯、見守ってくださることを、私は深く知った。
 先日、先生の奥様から、過分な御手紙を頂戴した。檜山先生を偲びつつ、謹んでご紹介させていただきたい。
 「何時も勤川と話して居りました。池田先生が見守ってくださるから有難いですね、と。
 告別式には、先生から頂いた弔電を一番先に読ませて頂きました。身にあまるお言葉で、必ずや主人も喜んで聞いていたでしょう。私は涙がこぼれて止まりませんでした」
 そして、奥様は、こうも綴ってくださった。
 「池田先生が小学六年生のお正月、お友達と、家を訪ねて来てくださいました。
 『先生、母が作った海苔です。食べてください』と頂いた海苔。東京にはこんなおいしい海苔が出来るのかと喜んで、ご馳走になったのを覚えています」
 「二十数年ぶりで、池田先生に宇都宮でお会いしました時は夢のようでした」
 「先生は、日本の指導者、世界の偉大なる指導者になられました。毎号の『創価学会ニュース』も、先生ご夫妻が写っていると言って、嬉しそうな顔をして眺めて居りました。偉大なる教え子を持った主人は幸せ者でした。池田先生、奥様、本当に有難うございました」
 最良の師の恩を噛みしめながら、私は毎日、追善させていただいている。
3  ともあれ、ロシアの文豪トルストイは語った。
 「宗教は、過去に於けると同様に、人間社会の主要な原動力であり、心臓であることに変わりない」(「宗教とは何ぞや並びに其の本質如何」深見尚行訳、『トルストイ全集』18所収、岩波書店)
 この健全なる宗教の力が、今ほど必要な時はない。
 さらに、アメリカの思想家エマソンは言った。
 「人物の大は実に万人を大にする」(『人生論』戸川秋骨訳、『エアソン全集』8所収、国民文庫刊行会)
 偉大な使命を持ち行動する人が、大なのである。そして、その一人が、皆を大ならしめていくのだ。
4  それは、一九六二年(昭和三十七年)二月のことである。
 全国第一の折伏戦を成し遂げた、四国なかんずく香川県の同志に、日本中は、あっと驚いた。誰も想像もしなかった。あの蒲田支部の二月闘争から十周年の節目の時であった。
 この月のわが学会の全国の布教拡大は、未曾有の十一万世帯を超えた。
 そのなかでも、四国総支部が、約八千七百世帯の成果で、堂々たる首位を飾ったのである。そして、四国の全九支部が、見事、全国の約二百五十支部の上位三十傑に入ったのだ。
 なかんずく、広宣流布の大闘争の第一位ともいうべき、大勝利の歴史を創った香川を、皆が見直した。心から感嘆し、香川を見つめた。
 これも、一心不乱に歩きに歩いてくださった婦人部の方々のお陰だ。
 勝つことは楽しい!
 勝つための信仰だ!
 そして、人生を悔いなく勝ち飾るための信心だ!
 この喜びと自信が皆の顔に輝くなか、四国広宣流布の中心会館「四国本部」が、高松市に晴れ晴れと完成したのである。
 その日は、一九六二年(昭和三十七年)の三月二十一日、水曜日であった。
 私は、数人の同志と共に、宇高連絡船に乗って、瀬戸内の海を渡り、高松に入った。そして、四国本部の落成式に臨んだ。
 第三代会長になって最初の、正式な香川訪問である。それは、四国の新時代の希望の船出でもあった。また、三類の強敵の怒濤に立ち向かう出陣でもあった。
 当時も、学会に対する事実無根の悪口罵詈は、一段と激しさを増していた。
 何の根拠もなく、″学会は暴力と欺瞞をもって法を広めている″等の噂が流され、あの雑誌からも、この雑誌からも、その他さまざまな中傷が、年がら年中、浴びせられていた。皆、我慢した。堪え忍んだ。
 善の勝利を達成するために、「じっとこらえて、今に見ろ!」と、心で決意しているがゆえに、皆、勇ましかった。
 いまだ少人数であった四国の友らは、それらの理不尽に耐え、旧習の深い多くの地域で、勇みに勇んで、折伏行に奮闘していった。
 デマの手口は、いつも決まっている。まるで見てきたように嘘八百を並べ立てる。だが、一つ一つ具体的に検証していくと、まったく何の裏付けもない。昨今の某週刊誌の私への下品な作り話も、皆様ご存じの通りだ。
 何たる卑劣な人間か! 社会か! マスコミか!
 ドイツの大詩人シラーの言葉が、私の胸から離れない。
 「いったん悪行に手を染めたら、連鎖作用というやつで、次から次へと悪事を重ねざるを得ないのが、まさに悪行というものが持つ呪いだ」(『ヴァレンシュタイン』濱川詳枝訳、岩波文庫)
 しかし、四国の友は断じて動じなかった。いな、さらにさらにと、戦い進んだ。耐え抜いて、新しい時を創り始めたのである。
 今も、その尊き同志の行動を思うと、先人たちの珠玉の言葉が、私の心に浮かぶ。
 一つは、文豪ロマン・ロランの信念である。
 「行動しない思想はすべて、(中略)裏切りである」(新村猛編『ロマン・ロランの言葉と思想』講談社)
 スペインの哲学者オルテガの名言も忘れられない。
 「人間の本質は滞ることではなくて、動くことなのです」(「ヨーロッパ論」吉田秀太郎訳、『オルテガ著作集』8所収、白水社)
 ともあれ、私は、大切な四国の友のために叫んだ。信仰者として叫んだ。師の勝利の歴史を創りゆくために叫んだ。
 絶対に恐れてはならない! 屈してもならない! 学会は、尊き仏意仏勅の教団なのだ!――と。
 私の電撃の指導に、四国の同志たちも同じ心となって、「この世の悪を一掃してみせる。善の勝利を打ち立てることが人間としての正義だ」と決起してくださった。
 四国の同志は、見違えるほどに皆が強くなった。
 これほどまでに、指導の如何で人間の心は変わるものかと、私は痛感した。
 大切なのは、指導者の確信である。責任感である。慈愛である。奮闘である。
5  それから二カ月余りが過ぎた六月二日、私は再び、香川の天地に立った。
 源氏と平家の歴史的合戦のあった、あの屋島にある陸上競技場に向かった。
 そこには、三万人の同志が生き生きと集い、確信に満ち満ちた四国本部の盛大な幹部会が開催されたのである。
 それはそれは、意気軒昂であった。私は涙が出るほど嬉しかった。皆の拍手も、学会歌を歌う皆の声も、決戦に燃える武士たちの勝鬨の如く、四国全体に響きわたっていくようであった。すでに、この偉大な集まりは、四国がすべてに勝利しゆくことを決定づけた。
 この前月の五月度の折伏も、四国全体で一万世帯を突破していた。そして、香川県の二つの支部が、全国の二位と三位を占めたのだ。
 この野外の幹部会は、開会予定時刻を二時間も早めて幕を開けた。
 実は、前日、学会本部に、一本の電話が入ったのだ。
 ――会長が四国に来るそうだが、やめた方が身のためだぞ。どうしても来るというなら、覚悟を決めておけ……。
 卑劣な脅迫電話であった。
 私は東京を発っていたため、高松に着いてから電話の一件の報告を受けた。
 すると、同行の幹部のなかには、顔色を変え、会合の中止を口にする者も多くいた。
 私は厳しく言った。
 「必死に戦ってきた四国の同志が待っているのだ。得体の知れない電話一本に怯えて、逃げ出すのか!」
 無謀と勇気は違うのだ。
 油断して、魔に付け入られるのは愚劣だ。広宣流布の戦いは、革命的な警戒心を払いながら、しかし、あくまで勇敢に、断固として魔を蹴散らしながら前進していくのだ。幹部会の当日、私は、かなり早く参加者が集まったことを聞くと、開会を早めるよう即決した。
 そして、当初の開会時刻が来た時には、会合は大成功のうちに終了していたのである。
 電光石火の迅速な対応は、魔の付け入る隙を許さなかったのだ。
 予定の式次第が終わるや、私はグラウンドに下り、三万人の勇敢なる魂の光のなかを一周したのであった。
 わが同志に向かって、大きく手を振り、励ましの声をかけて回りながら、私は、見えざる敵に向かって叫んだ。
 ――尊い学会に、弓を引くなら引いてみよ!私を撃つなら撃て!しかし、私は一歩も退かない。断じて戦う!
 師子は恐れない。
 大聖人は、「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」と仰せである。
 ″万人に仏性あり″と人びとを礼拝した不軽菩薩を杖木瓦石が襲った如く、学会は凶器のような脅しを多々受けてきた。いかに悪口され、迫害されても、一歩も退かず、人間の尊厳のために、正義を叫びに叫んできた。
 人間は正義の行動をするために生まれてきたのだ――この仏法の信条を、私は強く胸に抱いていた。
6  思えば、草創期の四国は、″常勝関西″の沸騰する大闘争のなかで共々に成長していった。
 一九五六年(昭和三十一年)、大阪支部が弘教一万一千百十一世帯の金字塔を打ち立てられたのも、所属する四国の同志が、足並みをそろえて、勇猛果敢に戦ってくれたからであった。
 翌年、私が無実の罪で拘束された大阪事件でも、四国の同志は正義の怒りを燃やした。あの中之島の大会場に、雷雨をものともせず、二万数千人が集い合った大阪大会へ、四国からも幾多の同志が駆けつけてくださったのだ。
 邪悪は絶対に許すな!
 邪悪には絶対、負けるな!
 邪悪を倒すまで戦うのが、信心だ。仏法だ。正義である。
 あの関西の「常勝」の魂はまた、わが四国の、わが香川の勇敢なる兄弟姉妹の尊き闘魂でもあった。
7  『フィガロの結婚』などの代表作で名高い、十八世紀のフランスの劇作家ボーマルシェは、作中人物の言葉を通し、こう喝破している。
 「わたしは、このうえなく誠実な人びとが中傷の犠牲になるのを見てきました」
 「悪意のこもることばならどんなに平凡でも、また卑劣なことばなら、そしてばかげた話でも、うまくもちかけさえすれば、大きな都会ののらくら者の心にそれを植えつけることができるものです。それにこの国には、そういう名人ならたくさんいます!」(『ツヴァイク全集』11〈藤本淳雄・森川俊夫訳、みすず書房〉の中で引用された『セヴィラの理髪師』の言葉)
 嘆かわしいことに、当世の日本も、この通りだ。
 この悪意だらけの社会にあって、師弟の決意の魂は、あまりにも強く、美しかった。
 会長を辞任し、しばし読書三昧の時に、あなた方、四国の求道者千人が、巨船をチャーターし、高松から横浜まで馳せ参じてくださったのだ。
 「師弟一体」の共戦の四国である。
 だからこそ、邪悪な鉄鎖を断ち切り、広宣流布の矢面に飛び出した昭和五十六年の秋十一月、香川の天地で、私は「もう一度、指揮をとらせていただきます!」と宣言させていただいたのだ。
 その時の皆様の輝く瞳、立ち上がらんとしゆく青年の凛々たる勇気の姿勢、そして嬉し涙、悔し涙を流す壮年部、婦人部の方々の不軽菩薩に通ずる不屈の姿は、一生涯、忘れることはできない。
 「若し後の悪世の中に
 是の第一の法を説かば
 是の人は大利を得んこと
 上の諸の功徳の如くならん」(法華経四五〇ページ)
 これは、法華経の経文である。
 この文の如く、わが四国の同志が大功徳に包まれゆくことを、私は祈る日々である。
8  四国は「志国しこく」「こころざしの国」であるとは、ある詩人の結論であった。
 戸田先生は、獄死された牧口先生の仇討ちを誓い、涙を払いながら訴えた。
 「私は愚鈍の身ではありますが、師の志を継いで、学会の使命を全うし、霊鷲山会にてお目にかかるの日には、必ずや、お褒めにあずかる決心でございます」
 先師・牧口先生の苦難は、戸田先生の苦難であった。牧口先生の勝利は、戸田先生の勝利で決まった。そして、恩師・戸田先生の永遠の勝利は、私の戦いで決まることを、私は骨の髄まで知っている。
 私は、この五十年、牧口・戸田両先生の「志」を、ことごとく実現してきた。
 皆様ご存じの通り、行くところ行くところで、勝って、勝って、勝ち抜いてきた。
 皆様方のお陰で、恩師に報いることができたのである。ともあれ、師弟は弟子で決まる。
 私は絶対に、不知恩の人生を送りたくなかった。臆病な、狡賢い人生を送ることを、心から否定した。
 そしてまた、師弟の魂の深化を、後悔なく、永遠に残したいと、深く深く決意してきた。
 本年二〇〇四年の″伝統の二月″に、四国は盤石なる一万ブロックの自信と喜びを爆発させ、正義の拡大の大旋風を巻き起こした。
 「二十一世紀の責任世代」である若獅子の青年たちも、雄々しく広宣流布の本舞台に躍り出ている。
 いよいよ、わが師が悲願とした「世界一の平和と人道の一千万の連帯」を築きゆく好機を迎えたのだ。
 わが四国の偉大なる友よ!
 わが香川の勇敢なる友よ!
 永遠に勝利王である、わが創価の友よ!
 いま再び、全宇宙の諸天善神に守りに護られ、そして見つめられながら、尊き大創価の美事なる師弟の勝利の劇を、断固として綴りゆくのだ!
 そしてまた、永遠に誇り高き、わが人生の勝利と功徳の舞を舞いゆくのだ!
 さらにまた、大創価の師弟の連戦連勝へ、素晴らしき無上の宝の人生を、共々に飾りゆくのだ!

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