Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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創価三代の城・大東京  

2004.3.8 随筆 人間世紀の光1(池田大作全集第135巻)

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1  完勝こそ「本陣」の使命!
 「心が燃えずに、かつて偉大なことの成就されたためしはない」(「円」酒本雅之訳、『エマソン論文集』所収、岩波文庫)とは、米国の大哲学者エマソンの言葉である。
 その通りであると、私も思う。過去にも現在にも、熱意なくして成し遂げられた大偉業などなかった。いな、未来にも絶対にないであろう。
 真の幸福のために、不滅の勝利の金字塔をつくるものは、燃え上がる情熱だ。執念だ。そして勇気だ。
 これこそ、「創価学会」という正義の大城を築き上げたエネルギーであった。
 十九世紀、フランスの言論の闘士ゾラは、展望した。
 「新しい信仰が人類の動向を変える為めには、この信仰が成長し得る新しい地盤をも有する事が必要である」(「無為」〈深見尚行訳〉の中で紹介。『トルストイ全集』18所収、岩波書店)
 壮大なる創価の″三代″の法戦は、大東京の地盤から始まった。
 初代会長・牧口先生が、暗闇の嵐の日本において、学会創立に立ち上がられたのは、今の東京・豊島区の目白であった。
 第二代会長の戸田先生は、お住まいは港区であり、目黒の駅が最寄りであった。創価教育の実践場となった時習学館は、品川区にあった。
 暗い戦時中、軍部政府の弾圧で逮捕された初代、二代の獄中闘争は、豊島区の巣鴨である。
 獄死した牧口先生の仇討ちを誓い、戸田先生が出獄されたのは、中野であった。
 また、戦後、「創価学会本部」の看板を掲げ、学会再建の狼煙を上げたのは、千代田区の西神田である。
 そして、大田区は、第三代の私が、恩師・戸田先生と出会い、広宣流布の大闘争に立ち上がった天地である。
 それは、暗黒の敗戦から二年、なお日本国中の人民の苦悩はあまりにも深き、一九四七年(昭和二十二年)の八月十四日の夜のことであった。
 「私は、この世から、一切の不幸と悲惨をなくしたい。どうだ、一緒にやるか!」
 「立正安国論」の講義をされていた戸田先生の力強い声が、雷鳴のように、十九歳の私の胸に鳴り響いた。
 私の人生を決めた、「立正安国」の師子吼であった。
2  日蓮仏法は「立正安国」の宗教である。
 「立正」――人間の内面に正義を打ち立て、屹立した人格をつくり上げることだ。
 「安国」――人間が生活する現実の世界に、平和と幸福を実現することだ。
 つまり、仏法で説く生命の尊厳、平等、そしてまた幸福の血脈である慈悲等の哲理を根底に、実社会にあって、万人が平和と幸福になりゆく″人間の勝利の時代″を築き上げることである。
 これこそが、仏法者の一大テーマであると、私にはわかった。
 ゆえに、人間を手段とする権力、民衆を苦しめゆく邪悪にして傲慢な勢力と戦うことは、当然であり、まったく矛盾がない。
 その邪悪との闘争なき宗教は、生命なき残骸と同じである。この正邪と善悪の根本的決戦を起こされた恩師と共に、私も弟子として猛然と立ち上がった。七十五万世帯の広宣流布という戸田会長の願業達成へ、私は不滅の勝利の突破口を開いた。
 一九五二年(昭和二十七年)、あの二月の大闘争の日々は、蒲田が舞台であった。
 名門の杉並支部、また足立支部、さらに築地支部(中央区)など、草創の十二支部の友も、皆、忘れ得ぬ宝の同志だ。
 私が若き革命児の集う男子部の第一集団の隊長として、戸田先生から広布の印である部旗を拝受したのは、豊島区の池袋である。その儀式は正義であり、荘厳であった。広宣流布への、不惜身命の若き血潮が漲っていた。
 私のこのグループは、江東区・墨田区・江戸川区に多くのメンバーがいた。私と共に、皆、雄々しく立ち上がったのである。
 当時、最下位クラスの、力なき文京支部には、「私の懐刀を出そう」と戸田先生は言われ、私は支部長代理としての指揮も執った。
 ここにも、崩れざる歴史を、私は同志と築き残した。
3  第二代会長に就任された戸田先生は、東京・墨田の向島で、その晴れの儀式を行った。私もまた、同じ墨田の両国で、第三代会長に就任した。
 文化祭の淵源となった初の青年部体育大会を開催したのは、世田谷区にある日大グラウンドである。
 台東区の蔵前国技館や台東体育館でも、重要な幹部会の足跡を印してきた。
 さらにまた、東京・神田から新宿区の信濃町に学会本部が移って、五十周年の佳節を、去年(二〇〇三年)、刻んだ。隣接の渋谷区とともに、この本陣で、私は、世界の指導者を迎え、対話を繰り広げてきた。
 ロシアの文豪トルストイは、「正義によって我らは自己を富ませることができる」(ビリューコフ『大トルストイ』3、原久一郎訳、勁草書房)と言った。
 正義によって立つ、わが大東京には、いずこの地にも峻厳なる師弟の歴史、広宣流布の歴史が輝いている。
 創価の源流は、東京である。広布の源流も、また、大東京である。この最高不滅の名誉を、決して、敗残や堕落で汚してはならない。
 正々堂々と勝利、勝利だ!
 勇猛精進で勝利だ!
 異体同心で圧倒的な大勝利だ!
 それが、正義を永遠ならしめる東京の使命なのだ。
4  広布の「組織革命」の先駆を切ったのも、わが東京であった。
 それは、一九五七年(昭和三十二年)の八月であった。全国に先駆けて、東京二十三区に「総ブロック」制が敷かれたのである。
 従来の「タテ線」の組織は、弘教した人のつながりを軸にした組織であった。
 だから、ごく近隣に住んでいても、所属する支部が違えば、お互いが同志だと知らないことも、珍しくなかったのである。
 しかし、広宣流布の壮大な伸展を考えれば、「地域」に浸透し、しっかりと根を張った人間組織を、一刻も早く構築する必要があった。
 そこで恩師は、「大作、君が、模範のブロックをつくってくれ給え」と、私を葛飾総ブロック長に任命されたのである。
 地域という大地を離れて、人間の生活はない。ここに根ざしてこそ、「仏法即生活」の勝利があり、「立正安国」の確かな実現があることは、当然だ。
 ブロックという同じ地域であれば、同志たちは、互いに連絡も早い。互いの励まし合いも強い。共同作戦も強化される。
 私の葛飾での闘争とともに、その同志たちの激励と助け合いは、一段と効果を持ち始めた。まるで家族のように、その力は「タテ線」の何倍にも重なり強くなった。
 その人間の輪の広がりが、地域の繁栄――「立正安国」につながるのだ!
 そのためにも、まず幹部が、勇気をもって率先して戦い、責任をもって指揮を執り、愛情をもって後輩を励ますことだ。
 そしてまた、幹部が、正義をもって先頭に立ち、誠実をもって後輩を育て、常に喜びと勇気を後輩に与え抜いていくことだ。
 その心の大きさ、強さが、勝利の光となる。
 私は、新しき東京の勝利のために、ブロックの幹部の方々に語った。
 「皆さん方は担当した地域の幸福の責任者であります。人びとの幸福を築き上げる、その責任者は、さらにさらに幸福への人間革命がなされていきます。その責任の重さは、絶大なる自分自身の境涯革命に連なっていくのです」
 私は、一つ一つの会合を断固として勝ち取った。
 そして、私は動いた。皆の一歩前に飛び出してこそ、率先垂範だ。
 トルストイの有名な言葉を思い出すのだ。それは――
 「自らより善くなり、世界をより善くする、これが人間生活の任務である」(「我等は何の為に生きるか」深見尚行訳、前掲『トルストイ全集』18所収)と。
 会合の開始前や終了後に、寸暇を惜しんで、一軒また一軒と回った。
 初対面の人が大半だった。挨拶だけの時も、「また来させていただきます」と再会を約束した。名前と住所を覚え、出会いを重ねた。葉書に励ましの気持ちを綴って、お送りしたこともあった。
 真剣だった。必死だった。「必ず幸福に!」と、誠意を尽くして励まさずにはいられなかった。この人も、あの人も、使命の深き同志なのだ!
 広宣流布とは、人間関係のなかに、深き友情の種を植え、強き信頼の種を植えながら、尊き仏縁を広げていく作業だ。
 板橋区や練馬区も、私が若き日から広宣の開拓に足を運んだ思い出深き大地である。
 一九五七年(昭和三十二年)の夏、大阪事件の直後に、折伏と指導の大闘争の指揮を執った荒川区も、本当に懐かしい。
 「会う勇気」「語る勇気」、そして「励まし続ける誠実さ」から、地域の広宣流布は、必ず五倍にも十倍にも広がっていくのである。
 一九六八年(昭和四十三年)、私が先頭に立ち、東京のなかで新たな座談会の充実の波を起こしたのは、北区であった。
 生命と生命の触発の運動の原点こそ、東京だ。私の青春にとって、人生にとって、全魂で戦い抜いた歴史であり、魂である。あの区も、そしてまた、この地域も、大切な宝の天地だ。
5  「現存する悪を絶滅し得る唯一の合理的手段が、民衆の宗教的自覚の刷新にある」(前掲『大トルストイ』3)とは、トルストイの不朽の宣言だ。
 邪宗門の迫害が続いていた一九八二年(昭和五十七年)の年頭、私は目黒に走った。その夜、日記に、私はこう記している。
 「僧の悪逆には、皆が血の涙を流す。此の世にあるまじきこと也。多くの苦しんでいった友を思うと、紅涙したたる思いあり。御仏智と信心は必ず証明される」
 広宣流布の本陣・大東京を盤石に固めたい!
 私は今、その一心である。
 大聖人の御在世には、鎌倉が日本の中心であった。
 その鎌倉に住む弟子への迫害は熾烈を極め、「千人のうち九百九十九人が退転した」(御書九〇七ページ、通解)といわれる。
 首都には権力が集結する。だからこそ、権力の卑劣な魔性の働きも強い。
 ここで戦うことは、「三類の強敵」との決戦を宿命づけられているとは、恩師の言葉であった。
 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と、大聖人は不動の大確信で、悠然と、この御聖訓を叫ばれた。
 ありとあらゆる敵の軍が群れをなして襲いかかってくる時こそ、「仏になるチャンス」との御断言の一書である。
 「嫉妬は火のように最高所を狙う」(田中秀央・落合太郎編著『ギリシャ・ラテン引用語辞典』岩波書店)とは、古代ローマの有名な歴史家リビウスの明察であった。
 学会も、どれほど数多くの嫉妬の攻撃を受けてきたことか。これもまた、わが学会が、宗教界の偉大な王者となった実証なのである。
 アメリカの人権運動の指導者キング博士は、信頼する同志に呼びかけた。
 「団結は今、最も必要なことである」(「第一回モンゴメリー改良協会大衆集会演説」山本将信訳、梶原寿監訳『私には夢がある M・L・キング説教・講演集』所収、新教出版社)
 「われわれは正義と平和の目標に向かって、情熱的にかつ仮借なき仕方で戦って行こう」(「新生国家の誕生」梶原寿訳、同前所収)
 大東京の同志よ! 同志よ! 同志よ!
 猛然と立ち上がれ! 勝って、勝って、勝ちまくれ!
 東京完勝の大旗を、堂々と世界に掲げ抜くのだ!
 私たち夫婦は、毎日毎日、大切な、わが大東京の同志の健康と長寿を、祈りに祈っている!
 大東京の同志の勝利、勝利と、所願満足の人生であることを、祈りに祈っている!

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