Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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正義の庶民の理想郷 東北の人材の大城は厳然たり

2003.10.18 随筆 新・人間革命6 (池田大作全集第134巻)

前後
1  インドの世界的に有名な首相ネルーは、高らかに叫んだ。
 「宗教を理由に人を抑圧するものとは、それが、たとえ誰であろうとも、私は命の続く限り戦い続ける」(Selected Works of Jawaharlal Nehre Second Series Vol.16 part 2, Jawaharlel Nehru Memorial Fund)
 そしてまた彼は、「真の勝利とは、道義と信仰に則り、己が心に打ち克つことである」(The Discovery of India, Oxford University Press)と宣言した。
 思えば、戸田先生も、このネルー首相の行動と哲学を、深く、そして広く見つめていった一人であった。先生は、「東北の仙台は学問の都だから」と言われて、こうした世界の学識の声を、東北の友に、よく語っておられた。
 東北といえば、中国の文豪である魯迅先生が留学されたことでも、有名である。その魯迅先生の忘れることのできない信念は、この文章に光っていた。
 「自覚の声が起れば、その響きは、尋常の響きとちがって、非常に大きく清らかであるから、その一つ一つが必ず人の心を撃つのである」(『摩羅詩力説』松枝茂夫訳、『魯迅選集』5所収、岩波書店)
 東北は静かに長い間、眠っていたように見えたが、今、決然と獅子が目を覚まし、大きな欠伸をしながら立ち上がり、猛然と闘争を開始しゆく姿勢に変わった。この姿が、東北の実像である。
 東北六県の粘りに勝る県はない。忍耐強く、勝利、勝利へと走りゆく、東北の足跡に追いつける県はない。
 わが創価の東北も、大きく変わった。
 明るい歌声の聞こえる東北になった。
 強い勝利と勝関の東北となった。
 自信満々たる栄光の大東北となった。
 清々しき秋の郷土で、わが使命の友は、勇気をもって伸び伸びと、智慧を光らせながら、いまだかつてない希望のスクラムを東北全体に広げている。
 宮城、岩手、青森、秋田、山形、そして福島の東北六県の大連帯は、勝利と栄光の大道を、一段と陣列を強化しながら前進し始めた。
2  私が、二十世紀を代表する歴史家トインビー博士との対談を終えて、今年で三十年。
 この節目に、敬愛する東北の青年部が、「『21世紀への対話』――トインビー・池田大作展」を仙台で開催した。
 入場者は、八万人を超えて、新聞やテレビでも大きく報道されたようだ。多くの来賓の方々も、東北青年部の凛々しき幅広い活躍を喜ばれ、絶讃の声を寄せてくださっている。それが、私には何よりも嬉しい。
 トインビー博士は、一九五六年(昭和三十一年)の秋に来日した際、列車で東北を縦断するように旅をした。
 博士は、宮城県の多賀城跡などを精力的に視察。案内した日本の学者たちも、その豊富な日本史の知識に感嘆したようだ。
 列車の旅が大好きであった博士は、駅弁を食べ、日本茶で一服するのが常であった。ごく自然に日本の風物に溶け込みながら、博士が鋭く感じられたものは何か。
 それは、敗戦がもたらした「日本人の戦前の思想的世界の崩壊」によって、「いまなお空白のままになっている精神的真空状態」という一点であった。
 「どのような新たな世界観がそれに代わるべきか。これが、日本人が今日なお取り組んでいる精神的問題なのである」(『東から西へ』長谷川松治訳、『トインビー著作集』7所収、社会思想社)と、博士は厳しく喝破された。
 だからこそ、トインビー博士は、現実社会に生き生きと関わりながら、一人ひとりの人間の精神を復興させゆく創価学会に、強く注目したのである。
 この点、フランス文学者の桑原武夫先生は、アンドレ・マルロー氏と私の対談集に寄せてくださった序文の中で、こう述懐されていた。
 「政治権力によって教団が骨抜きにされてしまった日本とは異なり、宗教が政治権力と拮抗しうる力をもった西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本の知識人とは比較にならぬほど強い興味をもっている。トインビーもその一人である」(『人間革命と人間の条件』本全集第4巻収録)と。
 世界の最高峰の知性の眼には、学会の実像が鏡に映すように正確に映し出されていたのだ。
3  ロンドンでの対話の折、トインビー博士は実に楽しそうであった。
 「なぜ、ミスター池田との会話が楽しいかと言えば、あなたは、単に考えているだけでなく、その解決のため、何かしよう、行動を起こそうとしているからです」
 真の世界宗教によって人類を結ぶ行動こそ、博士の願望であられた。
 この対話のバトンを、東北をはじめ青年部の諸君に、私は託したいのだ。
 君たちよ、思う存分に語れ! 「対話」を武器に縦横無尽に戦え! そして、勝ち進め!
 トインビー博士も、私との対談の中で、この「行動」に通じていく一点を強調されていた。
 「現代人の社会的環境は、絶望的なほど非人間的になっていますし、その物質的環境は、人間を押しつぶすほど巨大化しています」(『二十一世紀への対話』本全集第3巻収録)
 そして、さらに、博士は言われた。
 「各個人に、現代の諸制度のもとでも社会的に力を発揮できるチャンスが与えられていることを、確信させなければなりません」(同前)
 まったくその通りである。
 人間を押しつぶし、無力な存在に突き落としていくような、現代社会からの「挑戦」に決して屈してはならない。
 一人ひとりが汝自身の生命の力を強め、生き生きと発言し、社会の変革に勇んで参加していくことである。ここにこそ、健全な民主主義社会の確立があり、新たな文明を創造しゆく「応戦」があるからだ。
 今、東北の天地に、「トインビー史観」に呼応しゆく、若き強き行動のエネルギーが沸騰していることに、誰人たりとも深い感銘を覚えているにちがいない。
4  私は、真冬に東北を何回となく訪問した。
 そして私は、東北の友に、最も苦労することは何かと伺ったことがある。
 即座に、「雪です!」との声が上がった。
 この雪を、なんとか活用できないものか。私たちは真剣に考え、論じ合った。
 食べられないのか。シロップをかけてシャーベットのようにしたらどうか。早速、その場で青年に試食してもらいもした。
 いささか荒唐無稽だったかもしれない。だが、そこから、雪を活かす「活雪」の価値創造の発想が広がった。豪雪と戦う友の輪に、明るい笑顔が弾けた。
 人は、よく「厳しい現実への諦め」を語る時に、「だから駄目なんだ」「だから発展は難しい」などと口にする。しかし、仏法は、根本的に違うのだ。
 たとえ、現実は困難に満ちていようとも、「だから現状を変えるのだ!」「だから戦うのだ!」と、雄々しく立ち向かい、勝利し、満足しゆくために、応戦していくことを、仏法は説いている。大変だから、智慧が湧くのだ。大変だから、やりがいもある。
 この一念の転換劇を創造するのが、我らの仏法である。
 戦いが厳しいほど、自分の秘められた可能性の扉は大きく開かれる。冬の鍛えがあればこそ、躍動の春の喜びは深い。困難に打ち勝った歓喜は無量無辺である。
 この「冬は必ず春となる」という希望と勝利の哲学が、どこよりも光り輝く天地は、わが東北であるにちがいない。
5  難を絶対に恐れず、戦い進む者が「地涌の菩薩」である。
 戸田先生が、常に指導されていた。
 「中傷批判などに紛動される者は、悪心を抱いた愚者である。臆病者は、広宣流布の陣列には必要ない。悪に対する反撃の根性のない者は、去っていくがよい。中傷批判は、妬みと偏見と嘘八百の策略であることは、天を見るよりも明らかではないか」
 一九七九年(昭和五十四年)の厳寒の新春、私は真っ先に東北へ馳せ参じた。
 背信忘恩の坊主に苦しめ抜かれた東北である。歯を食いしばって耐え、戦い続ける同志を、私は励まさずにはいられなかったのだ。
 私は、一つのビジョンを語った。それは、「東北こそ地域広布の模範に!」ということである。
 大聖人の御心を踏みにじった坊主や反逆者は、広宣流布の道を閉ざし、狂気の如く阻もうと、躍起になっていた。
 だからこそ、地域へ、社会へ、そして世界へ、より広々とした大道を開きに開いていくことだ。その壮大なるモデル地帯を、私は、広宣流布の総仕上げを使命としゆく大東北に構築したいと祈り願った。
 各町村に光を当てた新しい人材の布陣を提案したのも、この時である。
 わが東北の聡明な指導者は見事に応えてくれた。
 そして、持ち前の粘り強さを発揮し、地域に根を張り、誠心誠意、貢献を重ね、聡明に人間外交を展開してこられたのだ。
 今や、「町村広布会議」は、東北の全三百三十四の町村に整った。
 この会議は、女性議長が颯爽と、壮年の議長と共に指揮をとりゆく「女性の世紀」の先駆の連帯でもある。
 それぞれの町村の旗を掲げた前進に、内外を問わず友情と友好の波動が、一段と強く広く高まってきている。
 一九九三年(平成五年)から始まった「農村ルネサンス体験談大会」は、東北の各地で開かれ、この十年間で、百三十一回の歴史を堂々と刻んできた。これには、地域の名士なども多数、出席され、深い讃嘆の声が寄せられている。
 今年も、厳しい不作に負けず、地域の太陽と輝いている農村部の同志に、私は最敬礼したい。
 地域の方々が自ら撮られた写真による「自然と人間」写真展も、百回を超えた。わが地域の美しき映像を、同じ目線と心で謳い上げる、豊かな自然に恵まれた東北ならではの催しである。
 また、新しい希望の光を放って、漁光部も誕生した。
 聖教新聞を購読してくださる方々の大きな広がりも、誠にありがたい限りである。
6  東北のあの町からも、この村からも、「わが地域の環境は目覚ましく変わっています」という喜々とした声が、次々に届く時代となった。
 共鳴と理解が広がるその陰に、どれほど誠実な、どれほど真剣な、どれほど勇敢な、そして、どれほど辛抱強い、東北の友の努力があり、奮闘があったことか。私たちの胸には、熱い感動の鼓動が高鳴る思いがする。
 御書には、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」と仰せである。
 まさしく、東北の賢者の「人の振舞」こそが、増上慢の坊主どもの勢力をも圧倒し、今日の晴れ晴れとした勝利の上げ潮をもたらしたと、わが同志たちを、私たちは心から讃えたいのだ。
 かつて東北地方を訪れた、あのアメリカの社会福祉家ヘレン・ケラーは言った。
 「さらけ出そうと努力しても、さらけ出すことの出来ないほど美しい感情、雄々しい力、立派な人格、それらのものを私達は真実(ほんとう)に自分の内部に持っている」(『私の宗教』岩橋武夫・島史也訳、『ヘレン・ケラー全集』所収、三省堂)
 この人間の真髄の光彩を放っているのが、東北の同志だ。
 さらに法華経には、「三変土田」という、この現実の娑婆世界を浄化していく原理が説かれている。その変革の根源の力は、いずこにあるか。
 天台大師は、それは揺るぎない不動の一念にあると示されている。
 いかに迫害されようとも、微動だにしない。
 いな圧迫されればされるほど、いよいよ強くなる。
 この日蓮仏法の金剛不壊の大信念に生き抜いているのが、わが学会なのだ。
 その柱こそ、東北である。
 大聖人は記されている。
 「日蓮は、幕府の実権者の弾圧を二度も蒙り、すでに頸の座にすえられたけれども、少しも恐れなく法華経を弘め続けたので、今は日本国の人びとの中にも、『日蓮の言うことが道理かもしれない』と言う人もあろう」(御書一一三八ページ、通解)と。
 蓮祖に直結の学会も、この御聖訓通り、難があるほど猛然と、立正安国に邁進した。だからこそ、これだけの世界広布の大発展となったのだ。なかでも、東北は、極悪の邪宗門から離脱した正法正義の寺院も七カ寺あり、全国で随一である。
7  一九五七年(昭和三十二年)の冬から春にかけて、聖教新聞に、私が東北と北海道の青年部への期待を語った記事が連載された。"北日本の青年に贈る"という企画であった。
 そこで、私は、北国の青年たちに「電光石火で行動せよ!」「自信を持て!」「愉快に行け!」「東天から昇る旭日のごとき心で進め!」等と語ったことを覚えている。
 戸田先生は、若き弟子たちと共に青葉城址に立たれ、「学会は人材をもって城となすのだ」と言われた。
 私は、その意味を深く噛み締めながら、北日本の青年に、「一にも人材、二にも人材、三にも人材を輩出することに全力を!」と強く申し上げたのである。
 青葉城の誓いから、明年で五十年。わが東北の人材城は盤石となった。
 恩師は、草創の仙台支部が、なぜ、偉大な成果をあげたか、三点にわたって賞讃された。
 第一に、「師弟の精神」を根幹として行動している。
 第二に、指導者に絶対の確信の学会精神が漲っている。
 第三に、個人指導が徹底され、機関紙が活用されている。
 この東北の誉れの伝統は、不滅だ。
 思えば、十四年前の五月、東北は七百七支部の陣容であった。それが今、九百七十七支部に躍進し、さらに千支部へ向かって、輝く「東北革命」が、静かに、力強く進行している。
 平成六年(一九九四年)の三月二十一日、素晴らしい晴天のもと、新築なった東京牧口記念会館に、東北全県から千七百五十人の同志が集ってこられた。
 この日、私たちは、仏法の真実を、ありのままに叫び切っていく「随自意」の勇気を、深く確認しあった。
 永遠に、学会は、誇り高き、学会らしく、多くの邪義に対して大破折の精神を燃え上がらせながら、異体同心で広宣流布に戦い進んでいくことを、深く強く誓い合ったのである。
 ともあれ東北は、この学会精神の真髄で、すべてを勝ってきた。そして、これからも、永遠に勝ち抜いていくのだ。
 愛する東北の友に、私は、再び、魯迅先生の言葉を贈りたい。
 「苦しみに耐えて進撃する者は前へ進み、すでに革命した広大な土地をあとに残していく」(「滬寧奪回祝賀のかなた」須藤洋一訳、『魯迅全集』10所収、学習研究社)と。

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