Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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不屈の人間・壮年部 「信心即社会」の闘将に栄光あれ

2002.12.24 随筆 新・人間革命5 (池田大作全集第133巻)

前後
1  私に偉大なる哲学と思想がある限り、いかなる苦痛があっても、乗り越えることができる。
 その苦痛を大きな喜びに変えていくことが、人生の究極の魂の劇であるからだ。
 そこに、仏法の必要性が存在する。
 私の精神の富み栄えゆく、この松明を、私は、わが盟友に、そして、わが子孫に贈りたいのだ。
 いかなる騒々しい人生の葛藤があっても、見栄と嫉妬に狂った迫害があっても、血みどろになっても、私は誇り高く、絶対に勝利してみせる。
 同志よ、わが同志よ!
 いかなる卑劣な艱難に陥れられでも、満身にいかなる矢を受けても、断じて負けるな!
 いかに鞭で生気を打ち破る、卑劣にして卑怯な迫害があっても、断じて誇り高く、栄光の人生を朗らかに歩むのだ。
2  「一行も書かざる日なし」とは、古代ローマの文人プリニウスの箴言である。
 お陰さまで、この随筆も、五年間で三百回の連載を数えることとなった。
 三百回目の随筆は、わが親愛なる「広布の黄金柱」である壮年部の同志に棒げたいと思い、綴った。
 人生はまことに多事多難である。何が起こるかわからない。
 仕事にあっては、試練また試練。リストラ、転職、失業、倒産の苦難もある。家庭や地域にあっても、病気、子どもの問題、人間関係……次から次に課題は押し寄せる。
 なかんずく、深刻な不況の波が、依然として日本経済を覆うなか、個人も、企業も、あらゆる団体も、生き残りをかけて必死である。
 私も壮年部の一員である。男同士、普段は口には出さずとも、わが戦友である皆様のご苦労は、よくわかっているつもりだ。
 思えば、戦後、私が戸田先生の下で働き始めた時代も、占領下の経済政策の激動期にあたり、容赦のない弱肉強食の嵐が吹き荒れた。先生の卓越した手腕をもってしても、事業の破綻という危難にさらされた。
 いつもは悠然たる師が、朝、目覚めると、布団に等身大の寝汗の跡が残るほど、苦悩し抜かれていた。若い私は、師に仕え、お守りしようと一心不乱に走り回った。
 戸田先生が、最悪の窮地を乗り越えて、烈日のごとく第二代会長に就任されたのは、五十一歳の時であった。
 壮年の「壮」は「盛ん」という意味である。”いよいよこれからだ”──これこそ壮年の心意気だ。
3  「失望に身を任せれば、自分こそが最悪の敵になる」(『ドクター・ハマー』広瀬隆訳、ダイヤモンド社)
 これは、私が何度も、お会いした、アメリカの実業家アーマンド・ハマー博士の座右の銘である。
 ”それはできない”と言う人がいると、常に博士はこう応じられたという。”できないなんて言わないでほしい。どうしたら、それができるようになるか知りたいんだ”
 博士は、絶対に諦めぬ挑戦心の火の玉であった。
 十年余り前、博士は、わが創価大学での講演でも、九十二年の波澗万丈の生涯を振り返って言われた。
 「初志を貫き通すならば、一人の人間が状況を変えることができる」
4  壮年部の先達ともいうべき四条金吾が、主君から”法華経を捨てよ”と責められ、所領を没収される危機にあった時、日蓮大聖人は、烈々たる気迫で指導された。
 ──もし、あなたが倒れたならば、敵はそれに乗じて、鎌倉の同志を皆、退転させてしまうだろう、と。
 負けるな! 柱は、絶対に倒れてはならないのだ!
 「一生はゆめの上・明日をせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず
 彼は勇敢に戦い抜いた。信心の究極は「人の振舞」なりと誠実を貫き、あらん限りの知恵を働かせた。身を慎み、周囲に細かい注意と配慮を怠らなかった。
 そして、苦難を耐え抜き、蓮祖の指南通りに「法華宗の四条金吾・四条金吾」と、人びとに讃えられる勝利者となっていったのだ。
 「仏法は勝負」である。
 壮年部は、一家の柱、社会の柱、そして広宣流布の偉大なる黄金柱だ。皆様が厳然としているからこそ、婦人部も男女青年部も、安心して戦える。
 古代ギリシャの詩人ソフォクレスは誇らしく歌った。
 「男のもっとも尊い仕事は、もっているすべてを、力のすべてをつくして、人を助けるにあるのだ」(『オイディプス玉』高津春繁訳、『ギリシア悲劇』2所収、筑摩書房)
5  君の胸には、永遠なる無上最極の勲章が光っている。
 君は勝ったのだ。
 君は負けなかったので。
 崇高なる人生は美しい。
 その美の真実に生きる人は勝者である。美の真実とは、「一念三千」の生命の「一念」である。魂である。心である。
 人生には多くの迷路がある。しかし、わが友よ、高貴なあの誓いの目的を渇望しながら、決して横道に迷うな!
 失望の人生の多き現実社会。悲惨な破滅を招きながら、苦しむ社会。
 閉じた心を、さらに閉ざし、苦しく、もがきゆく人生。自分の愚かさに悔いの涙を流しながら、墳墓に行く侘しき人生。あの卑劣な虚栄家たちは、死を前にして懺悔の瞼を閉じようとしている。
 長い命だ。
 いや、短い生命だ。
 君よ、太陽の光を浴びて、勝利の盃をあげよ!
 あの流星の光を見つめながら、栄光の盃をあげよ!
 そして高く高く、静かに力強く、月光を仰ぎながら、人生の燃える喜びを持ちながら、あの誓いの歌を歌うのだ。
 我らには悲しみもない。敗北もない。涙などは御免だ。
 戦いには、断じて勝つのだ。愚か者や卑劣な者、反逆者は、寄せ付けるな!
 慈愛に輝く眼差しを持って、わが家族に、わが同志に、明るい笑顔で、声も快く、励まし、生き抜いていくのだ。
 君と会うと、私は愉快だ。君と歩むと、栄誉ある道を歩める。
 あの嫉妬に狂う騒動など、確かな使命に生き抜く我らには問題外だ。
 あの人は、今は熱狂的な喝采を浴びている。
 あの人は、多くのマスコミに飾り立てられ、そしてあの人は、巧みに宝石を喰らうが如きエゴの虜になっている浅ましき姿よ。
 そして、また、哀れにも、あの彼は、絶壁の彼方に突進している。
 あの名声と虚栄の華やかな旗が、ボロボロになっていくのが見える。名声は幸福でない。真の勝利でもない。
 噂話をつくって、人を陥れようとしても、自らが嘲られる人間となって、愚劣な人生を終わるだけだ。
 我らは、生命の不滅の大道を正々堂々と歩む。そして、自身の夢と自身の魂を壮大なる楽園とさせながら、来る日も来る日も、若々しく、意義深く、悠然と歩みゆくのだ。
6  その道には、花が咲き、花が香る。月桂樹の微風に、生きる喜びを噛みしめながら、光華な人生の一日を送るのだ。
 君よ、大胆に大きな翼で正義の剣を抜いて、戦い勝ちたまえ!
 人生は戦いだ。正義は勝たねばならないのだ。
 君よ、平坦な道を平凡に歩き終わらせるな!
 両拳を握りしめ、また君の両腕を高らかに上げながら、汝自身の自由と栄光のために戦うのだ。
 偽善や仮面の人間になるな! 灰色の老いたる悔恨の人生を送るな!
 勇敢に正義のために、奮い戦い生き抜くのだ。
 いかなる嵐にも、怒涛にも、生涯にわたって、断じて挑み勝ち抜くのだ。
 人間の皇帝としての誇りと喜びと正義の光が眩い、崩れざる決意の魂を持つ君よ!
 いかなる勝負にも、勝利を決めゆく汝自身の天の仕事として、歴史を残せ!
 君よ、敗北と悲劇の道をつくるな! 幸福と勝利の大道を築きゆくのだ。
7  おお君よ! 君は観る。
 永遠にして確実な太陽が昇りゆくが如く、広宣の法が世界に広がりゆくことを。
 永遠を確実に勝利させゆくこの大道の法則は、君の命に巨大に築かれているのだ。
 我らの前途には、不安もない。敗北もない。後退もない。終点もない。
 あるのは、正義と自由と、黄金の民衆の歓声である。
 晦いもなく、怒りもない、永遠の喜びの曲が、聞こえてくるのだ。
 我らは勝ったのだ。いな我らは勝たねばならないのだ。永遠に勝ち進むのだ。
 冷たい笑いを浴びて、大声で悲しみ泣いたあの悪夢の時代とは、永遠に別れたのだ
 春の微風が君を包む。あの不滅の勲章である星が、君をみつめる。
 君の戦い、勝ち抜いた真面目な精神は、強烈な感動の生命となって、永遠に光り輝き生き続けていくのだ。
 君の勝利は、血の栄誉ではない。人間の卑しい葛藤の断末魔の栄誉でもない。傲慢な権力による、虚飾の栄誉でもない。
 正義のために勝ち取った、一切の努力の結晶の上の勝利なのだ。生命の城壁は、永遠に崩れない。
 いかなる褒賞よりも、いかなる勲章よりも、多宝という無量無辺の宝を持ちたる生命ほど、幸福王者はいないのだ
 わが友よ、ロシアの哲学者ベルジャーェフが「人間革命」を志向した、あの一節を忘れないでくれたまえ!
 「精神の真の革命こそ私の本来の関心事である」
 「私の精神は年をとらない。私の精神はいつまでも若い」(『ベルジャーエフ著作集』8、志波一富・重原淳郎訳、白水社)

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