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日蓮大聖人・池田大作

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山形の凱旋の行進 共に創ろう! 正義の黄金時代

2000.6.22 随筆 新・人間革命3 (池田大作全集第131巻)

前後
1  「私はまだ未来に大いなる希望を失ってはいない。
 賢者の心の声を聴き、その内なる光を見んことを思うからである。内なる光は暗黒を破り、心の声は虚偽を断つ」(「破悪声論」、『魯迅全集』10〈訳者代表・伊藤虎丸〉所収、学習研究社)
 日本に留学し東北で学んだ、中国の大文豪・魯迅先生の言葉である。
2  世間は、ひどい。世間は、不合理である。世間には、暗い風雲が漂っている。
 しかし、僕は歌う!
 醜い世間に漂流せず、偉大な使命をもった同志たちと生き抜き、僕は勇敢に前に進む!
 私には、大切な親愛なる友が多くいる。
 島国根性の悪意の輩がいても、泣きじゃくるような侘しさは、我々には一度もない。
 煌めき光る、永遠不滅の信仰という力をもっているからだ。
 私は、常に人間と語る。
 尊大ぶった屁理屈の徒輩とも、悠々と堂々と論じ合い、破折する。
 そして、悠然と、今日も、わが愛する町を行き来する。
 気になるのは、自分のことではなくして、友の成長であり、幸福である。
 今日も、私は、邪悪に狂いし心をもった連中と戦う!
 嫌悪と威圧と欺瞞の連中と、今日も私は戦う!
 仏法は勝負である。
 人生も勝負である。
 すべてが勝負であるゆえに、勝ち誇って、あらゆる汚点を踏み越えながら、緑の菩提樹の並木道を、胸張り進む。
 微笑を浮かべ、勝利の貴重な歴史を重厚に刻み、燃える正義の黄金時代を創りながら、私は進む! 私は歩む!
3  北風が吹いている。
 空が吹雪き始めた。
 多くの歳月が過ぎ去っても、私が築き上げた、小さくとも威厳のある城は、永遠の誇りである。
 この小さな城には、尊き信心の物語がいっぱいある。
 私たちの人生には、暗礁もなければ、砂漠もない。
 そこには、常に、美しき豊かな果実が、たわわに実る。
 風砂が、私たちの魂を打ち叩いているような日もある。
 しかし、あなたも私も、笑っている。
 話す物語は尽きない。人生を正しくつくり上げてきた、対話の歴史の物語であるからだ。
 暗黒の闇の日があっても、必ず朝日は再び昇り、新しい一日が来ることを、私たちは知っている。
 暗い影や卑しいデマが満ちあふれている都会と違い、虚構の存在と違って、私たちの世界は、黄昏の美しさも永遠であり、陽光もまた新鮮である。
 わが生命は、より深く真実に生き、虚言を吐く臭気などはない。
 私は、信念の光る人間正義に生き抜いているから、虚栄に揺れ動く不気味な影など、一つも必要としない。
4  私たちは、鋭く、抗議の声をあげる。
 それは、真理を裏切り、真実を裏切り、真相をねじ曲げていく、裏切り者が実在するから、凶悪犯の偽善者たちが、あまりにも多いから、戦うのだ!
 私は戦い勝って、人生に目覚めたのだ!
 もはや後悔しながらの後退は、一生涯ない。
 私たちの瞳の中には、舞い散りゆく枯れ葉の世界はない。
 憂鬱な、ため息をする人生もない。
 私たちには、安らぎがある。戦う力のいっぱいある、清らかな胸と美しい眼をもっている。
 私たちの雄叫びは、いかなる嵐に落ち葉が舞い散っても、断固たる希望の血潮を脈打たせゆく、断固たる「善の戦い」なのである。
 私たちは、私たちの権利を知っている。
 自由な呼吸を知っている。
 悪に対する反撃を知っている。恐喝も謀略も、恐れない。
 必ず、我らは、それらを撃退し、必ず悪巧みを失敗させてみせる。
 また、今までも、そうであった。
 権力の怪物など恐れるな!
 悪の権力に騙されるな!
 魔性を打ち破る力は、仏法にしかない!
 ゆえに、広布の英雄を、諸天が護るのだ。仏天が護るのだ。必ず護るのだ。
 私たちは、力を込めた勇敢な最後の努力の宝をもっている。
 それは、正義の信仰だ!
 そこには、いかに闇が深くとも、青い暁の希望が、大いなる翼を広げて、待っている。
 我らの夜明けは、勝利である!
 我らの夜明けは、不滅の希望である!
 そして、我らの夜明けは、足並みをそろえながらの「広宣流布」である!
5  山形の友よ!
 東北の同志よ!
 やがて、永遠の勝利の、高尚な人生の記念碑を、必ず置こう! 悔いのない、勝ち誇った庶民の大英雄の歴史を、刻み置こう!
 その碑には、金メッキなど必要ない。
 幸福の帝王たちは、満ち足りた生死の地平線を見つめながら、卑劣な者どもには通ることのできない、無数の花輪に囲まれた歩道を進む。
 ある時は、月の光に包まれ、涼しげに揺れる花の微笑に祝福され、ある時は、金色の暖かい旭光に神々しく照らされる。
 この戦勝碑は、私の人生の歴史の終わりに、偉大なる未来を見つめ、そして、人びとに転機を促す尊厳なる道標となる。
6  山形の友よ!
 東北の同志よ!
 黎明に輝く少年がいる。
 喜びの行列をつくりゆく青年がいる。
 清純な美しさを蓄えた乙女らが、「一緒に行ってみよう!」と手を携え、若々しい不屈の魂をもって、活発に、楽しく語りながら歩んでいく道がある。
 いつの日か、友と迎える朗らかな栄冠の朝のために、何があっても、「さようなら」は言わない。
 母は、「さあ今日も、家族のため、広宣流布のために、行くべえ!」と、自分自身の鐘を鳴らしながら、それはそれは潔白な、娘以上の振る舞いをしながら、名優のごとく歩み始めた。
 玄関も、にぎやか!
 行く道々も、陽気!
 口の乾くことも知らぬ語り部の姿は、ギリシャの哲人を彷彿させる。
 どこまで悲しいのか。
 どこまで嬉しいのか。
 どこまで優秀なのか。
 どこまでゆったりしているのか。
 誰も、わからない。
 不思議な偉大な救世主は、立ち上がった!
 その母の喜びと快活な姿に、多くの丈夫は、希望を抱いて立ち上がる。
 壮年も立った!
 青年も立った!
 山形の母も、また東北の母も、人間の世界の「太陽」であった。
 多くの人びとから語りかけられると、「私には、わかっている。わかっている」と、いつも、天来の陽気な明るい太陽は、鮮やかで、身震いするような、名誉ある指導を繰り返し、人生を飾り抜いている。
7  私の前回の山形訪問は、一九八七年(昭和六十二年)であった。十三年前の、七月五日から七日であったと記憶する。
 長い間、ご無沙汰をしていることを、お詫びしながら、そして、皆様を思い描きながら、私は今、「随筆」を書かせていただいている。
 山形の方々は寡黙の人が多いようであるが、その真実の光る生命は、あまりにも実直であり、皆、正しき人生の軌道を歩み抜いておられる。
 正直な庶民の幸福者の代表が、山形の方々であると、私は思う。
 そうであれば、山形の方々は「庶民の皇帝」と「庶民の英雄」と「庶民の博士」の集まりといってよいだろう。
 ともあれ、正しく生き抜く人材の「勝利の宝庫」が、山形であり、東北である。
 山形の敬愛する皆様方、どうか、よろしく!
 おお、山形の耐え忍ぶ、勝ち抜く友に、栄光あれ!
 すべての法戦の大勝利の土台になりゆくことを誇りとする、山形の皆様に、幸福あれ! と祈りつつ。
 合掌

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