Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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富士仰ぐ 勇者の静岡 大仏法「宗教革命」の天地

1999.3.11 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  ある小説家によると、天下人・徳川家康は、富士の姿が見えるところに、必ず自身の居城を築いたという。
 きっと彼は、厳粛な気持ちで、己自身の戦いの完全な報いとなるべき天下統一のために、その正確な実現のために、揺るがぬ富士の如くあらんことを、人生観の一つとしたにちがいない。
 また、吉川英治の『宮本武蔵』に、「あれになろう、これに成ろうと焦心あせるより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」という、大変有名な一節がある。
 日本中の人びとが満々と憧れ、古くして新しき富士を、こよなく愛することは、必然の流れかもしれない。
 富士は、日本の中心の柱であるといってよい。
 その富士は、我が静岡の天地に実在する。
 多くの仲間たちが、行き来しながら、富士が見えたか、見えなかったかと、必ず語り合い、思い出とするのである。
2  不思議な宿縁と使命がある、静岡という国土。
 遠く、日蓮大聖人が伊豆の伊東に流された、最初の流罪の地である。
 無名の農民信徒が、信仰ゆえに迫害され、その尊き生命を永遠のものとした、熱原での法難も、ここ静岡である。
 戦時中、軍部政府の魔手によりて、牧口先生が逮捕されたのも、静岡の下田であった。
 さらに、立宗七百年祭の折、青年部が、牧口先生を獄死に至らしめた悪侶を責めた時には、あろうことか、宗門は、戸田先生に断罪の刃を向けたのだ。
 護法の赤誠を尽くした先生に対する、まったく理不尽な処分であった。
 しかも恩師は、当の悪侶の告訴で、静岡の吉原署に一晩、留置さえされたのである。
3  宿縁深き静岡は、「魔競はずは正法と知るべからず」との仰せの通り、「正義の人」が迫害される法難の舞台でもあった。
 しかし、「日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか」とは、御本仏の御確信であられる。
 されば、旭日昇りゆく、わが静岡には、大難の荒波を乗り越え、断固として正義を証明し、勝利と幸福の宝土と輝かせゆく使命があるのだ。
4  私が出席した、あまりにも懐かしき、沼津の座談会は、ちょうど四十五年前(一九五四年=昭和二十九年)の弥生三月であった。
 未来を展望し、「ここは広布の大事な地域」と、若き友と語り合った、浜松の集いも、よく覚えている。妙法流布の原動力であり、要である静岡市にも、私は、幾度も、足を運んだ。
 そしてまた、私が「静岡こそ広布の模範的国土たれ!」と、万感の指針を贈ったのは、あの清水市の体育館での記念撮影であった。
 今や極悪との法戦場となりし富士宮の同志も、十二年前に始まった毎月の幹部会が、本年末(九九年)には、通算百五十回という勝利の歴史を重ねる。
5  忘れもしない、一九九〇年(平成二年)の九月、青年部を中心として、静岡の皆様は、大石寺開創七百年を祝う文化祭を行ってくださった。
 炎暑の盛り、皆様がどれほど労苦の銀の汗を流されたことか! 大成功のために、どれほど神経を配られたか!
 ところが、坊主たちは、冷酷無残な顔で、労いの言葉一つ、感謝の声一つ、かけようともしなかった。
 宗規の変更を理由として、信徒の代表である私を、突如、総講頭から解任したのは、この年の年末のことであった。
 学会壊滅を狙う、魔性の法主らの謀略である。
6  大聖人は仰せである。
 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と。
 「極悪」と戦えば、「極善」となる。
 「極善」をいじめれば、「極悪」となる。
 これ、仏法の法理の一つである。この厳しき法則を知る、わが静岡の同志は、恐れなく、毅然として立ち上がった。
 われらの「鉄の団結」は、下劣な仏法破壊の策謀を、一つ、また一つ打ち砕き、宗教革命の炎を赤々と燃やし続けた。
 そして、われらは断固として勝った!
 静岡の偉大な同志は、厳然と勝った!
 静岡の尊き創価の同志は、富士の如く、広々と世界を友とし、小さな山寺を見下ろしながら、師子王の勝利の行進を、三世にわたって続けていくにちがいない。
 創価の勝利の象徴、広布の象徴、そして同志の団結の象徴である三色旗を、富士が見つめる大空高く、来る日も来る日も、なびかせていくことであろう!

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