Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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平和の翼 「世界不戦」は、わが魂の叫び

1998.12.2 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  あれは、私が尋常小学校の四年になる時であったから、一九三七年(昭和十二年)の四月一日であったと思う。
 英国国王の戴冠式の慶祝と、東京――ロンドン間の連絡飛行記録の樹立のために、ある新聞社が、飛行機を飛ばすことになり、私は、羽田の飛行場に見学に出かけた。多数の人たちが、見学に来ていた。
 飛行機は、その出発の式典で「神風」と名づけられた。
 晴れ渡る空に、色鮮やかな風船と鳩が舞うなか、飛び立った「神風(かみかぜ)」号に、盛んに声援を送ったことが忘れられない。
 「神風」号は、純国産機で、東京――ロンドン間を、九十四時間十七分五十六秒(実飛行時間五十一時間十九分二十三秒)で飛び、世界新記録を打ち立てる。また、ベルギーのブリュッセル、ドイツのベルリン、フランスのパリ、イタリアのローマを親善訪問し、各地で大歓迎を受けている。
2  「神風」号が偉業を達成した二年後の八月、今度は、別の新聞社の「ニッポン」号が、やはり羽田の飛行場から、北米、南米、アフリカ、欧州、中東、東南アジアなどの諸国を親善訪問に出発した。
 この時も、数えきれないほどの人びとが、見学に来ていた。
 私は、日の丸の小旗を持って、級友たちと空港に行ったことを覚えている。
 「ニッポン」号は、太平洋、大西洋を横断し、五大陸を経由して、五十六日間で、五万二千キロメートル余りの距離を飛び、世界一周の壮挙を成し遂げたのである。
 親善の橋を架けるために、大空を飛んで行った、「神風」号と「ニッポン」号の雄姿は、私の心には、「平和な翼」として、刻まれていた。
3  しかし、「ニッポン」号の壮挙から二年余の、四一年(同十六年)十二月八日、日本軍の飛行機による真珠湾の爆撃で、太平洋戦争の幕が開いた。
 「臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部午前六時発表。帝国陸海軍は……」
 あの朝、ラジオから流れる、日米開戦のニュースを聞き、家族は、緊張した暗い顔に変わっていった。
 ニュースが終わると、父は言った。溜め息まじりに……。
 「とうとう、アメリカとも戦争を始めたか……」
 そして、除隊して中国から帰ってきていた、長兄の顔に視線を注いだ。再び、兄が戦争に取られることを、心配していたにちがいない。
 この日、学校は、真珠湾の勝利にわき返った。
 だが、それから、灯火管制で街は暗くなり、家の電灯も黒い布で覆い、息をひそめるような、灰色の生活が始まったのである。
4  開戦の一年後には、長兄は、再び出征していったが、長兄が語っていた言葉が、心に焼きついて離れない。
 「大作、戦争は、決して美談なんかじゃないぞ」
 ほかの三人の兄たちも、次々と徴兵されていった。
 緒戦の勝利も束の間、戦局は次第に悪化の一途をたどった。しかし、戦地の報道は美辞麗句に飾られ、実態は国民に明かされなかった。
 「退却」は「転進」と発表され、戦場での無残な死も、玉が美しく砕け散る、「玉砕」の言葉が使われた。
5  やがて、海軍航空隊では、特攻隊を組織する。あの「神風」号と同じ、神風(しんぷう)(通称「かみかぜ」)特別攻撃隊である。
 片道の燃料しか積まず、敵艦に体当たりする、尊い生命を犠牲にしての攻撃であった。 四四年(同十九年)の十一月ごろから、東京も頻繁に米軍の空襲を受けるようになる。
 私は、四五年(同二十年)四月の夜の大空襲の時には、防空壕から出て、一人、東京湾の方をめざして逃げた。
 翌日の明け方になっても、誰も帰って来ない。
 母も父も、みんな死んでしまったのかもしれないと思った。
 私は、″どうして側にいてやらなかったのだ″と、自分を責めた。
 昼近くになって母が現れ、やがて、父もやって来た。家族は皆、無事であり、手を取り合って喜び合った。
 また、糀谷の家は、強制疎開で取り壊され、新たに建てた馬込の家も焼かれた。
 戦火のなかを逃げ惑うたびに、私は、″戦争は美談ではない″と語った、長兄の言葉を思い出していた。その長兄も、遂に生きて帰ることはなかった。
6  私は、戦争を憎んだ。民衆を戦争へと駆り立てた、指導者を憎んだ。こんな歴史を二度と繰り返さぬために、自分は何をすべきかを問い続けた。
 そして、出獄して人びとの幸福と平和のために立たれた、戸田先生との出会いによって、私の人生は決まった。
 今から三十四年前の、六四年(同三十九年)の今日十二月二日、私は、最も戦火に苦しんだ沖縄の地で、小説『人間革命』の筆を起こした。
 「戦争ほど、残酷なものはない。
 戦争ほど、悲惨なものはない……」
 「世界不戦」は、わが魂の叫びである。
 その思想を、人びとの胸中深く打ち込み、友情の橋を架けるために、私は、書き続ける。「平和の翼」となって、世界を駆ける。命の限り、力の限り。

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