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日蓮大聖人・池田大作

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2 師弟――限りなき向上の軌道  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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13  「友といる、それが社会である」
 ヴィティエール そのとおりです。もちろん歴史の常として、それは試練の連続でした。マルティは、たえずスペインのスパイ行為に悩まされました。そればかりか、キューバの人々すら、彼のいだく理想に対して、ますます敵対的になっていったのです。
 その逆風のなかで、彼の政治的役割は、「植民地のくびきから解放され、独立した主権をもつ共和国を築こう」と決意しているあらゆる階層、人種、信条のキューバ人たちを、一つに結びつけることでした。
 融合と結合をめざす交渉です。そのためには、イデオロギーと同様に「人格的要素」が重要な役割を果たしていたのです。これは万人の認めるところです。
 それは、彼の業績の魅惑的な側面となっているのですが、じつに友情に関する深い思慮にもとづいているのです。
 友情について、若き日のマルティは「女性の気まぐれを除いた愛という行為である」と言っています。のちには「人生におけるもっとも強力な財産」であるとし、「友といる、それが社会である」とも述べています。
 池田 いかにも、人間愛の人、マルティらしい言葉です。とくに「友といる、それが社会である」など、まことに簡勁で要を得ています。
 私もお会いしたことのある、ある日本の識者(小林秀雄氏)は、「道徳は全て社会的なものだ。(中略)親友を捉めない人は道徳を捉めない」(『常識について』角川文庫)と言っていますが、マルティの言葉と瓜二つといってよいでしょう。
 友情こそ、社会秩序を成り立たしめる根幹なのです。
 ヴィティエール マルティの友情礼讃については、さらに多くのことを付け加えることができるでしょう。同時に私は、彼がこの上なく、心優しく打ち解けやすい人柄の持ち主だったことを強調したいと思います。
 それは彼の生まれついての気性ですが、また“孤独な人間の愛への渇望”とも呼ぶことのできるものなのでしょう。
 彼のほとばしる思いをこめた手紙の多くに、それを感じとることができます。それらは、やむをえなかった亡命生活の非情な空間を埋めるために書かれた手紙でした。しかし、まるで彼にとっては未知の名宛人――後世の人々に対して書かれたものではないか、と思うこともしばしばなのです。
 池田 私どもの宗祖も、宗教的信念においては巌のごとく揺るがぬ大確信の方でしたが、その一方で、無名の婦人や老人に対しては、
 それはそれは情愛あふれる手紙の数々を遺しておられます。
 強さに裏打ちされた優しさ――それは、優れた人格に特有のことなのかもしれません。

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