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日蓮大聖人・池田大作

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第二十八回SGI総会、第三十回本部幹部… 朗らかに勝利せよ! 創価の完勝を君に託す

2003.9.10 スピーチ(2003.7〜)(池田大作全集第95巻)

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1  創価の前進は「文化」と「教育」の勝利
 海外の皆さん、ようこそ!
 若々しく活躍される功労の友、ご苦労さま!
 すばらしい演奏、ありがとう!(拍手)
 (席上、創価グロリア吹奏楽団が学会歌「世紀の英雄」とSGIの歌「二十一世紀のマーチ」を勇壮に奏でた)
 ただ今、演奏してくださった音楽隊の「創価グロリア吹奏楽団」は、今月七日に開催された「東京都吹奏楽コンクール」(一般の部)で、見事、「金賞」に輝いた(拍手)。これで、二年連続四回目の全国大会出場を勝ち取った。「連続勝利」の快挙である。私は本当にうれしい。
 また、「創価大学パイオニア吹奏楽団」も、同じコンクールの大学の部で「金賞」を獲得。三回目の全国大会出場を果たした。おめでとう!(拍手)
 ちなみに、創価グロリア吹奏楽団とパイオニア吹奏楽団の「過去の全国大会の成績」は、すべて「金賞」。すごいことである。創価の前進は「文化」と「教育」の勝利である。
 さらに、関西創価小学校の「アンジェリック・ブラスバンド」の活躍もめざましい。先月二十八日の全日本小学校バンドフェスティバルの関西大会で、最優秀の「グッド・サウンド賞」。八回目の全国大会出場が決まった。本当にすばらしい!(拍手)
2  世界のSGIも着実に発展している。
 イタリアは、新理事長のもと、新しい前進を開始した。「おめでとう! 頑張れ!」と心からエールを送りたい。
 私が二十二年前(一九八一年)に訪問してから、イタリアのメンバーは、じつに約百倍の大発展である。当時から彼は、地道に同志を支えてきた。「自分は学会ひとすじで行く」「師弟の道を行く」と毅然と進んでこられた。その真剣な息吹を、私は今もって忘れない。
 そして今、イタリアSGIの理事長となった。「世界の模範のイタリア」を築いてくれると私は信じる。皆さんも将来、ぜひイタリアに行っていただきたい。
 新たに、いくつもの国で、SGIが法人として認可され、いちだんと社会に根を張って前進している。
 まずギリシャ共和国。本年(二〇〇三年)七月十七日に認可された。
 アフリカのカメルーン共和国は七月二十五日である。
 さらに南太平洋に浮かぶパラオ共和国は本年八月四日に認可となった。
 本当におめでとう!(拍手)
3  勝つ人生は愉快!
 「人生は、永遠に挑戦であり、永遠に闘争である。ゆえに、永遠に勝利せよ! 永遠に勝利しゆくことが仏法である」
 これが、戸田先生の叫びであった。
 先生は、さらに、こう言われた。
 「圧倒的な創価の完勝をもつて、末法万年尽未来際への鑑としていくべきだ」
 明年は「創価完勝」の年でいきましょう!(拍手)
 勝つことは朗らかである。何事も、負けた人間はバカにされる。わびしいものである。
 朗らかな一年にしていきたい。「勝利は決まっている!」と愉快に進むのだ。
 朗らかに生きることが勝利である。
 「創価の完勝」――これは、戸田先生のまぎれもない遺言である。
 戸田先生は、広宣流布の戦いに臨むとき、「大聖人は生涯、戦われたではないか。御書に『仏法と申すは勝負をさきとし』と書いてあるではないか。だから戦う以外にないではないか。大作、頼むぞ」と言われるのが常であった。
 その戸田先生の心を、わが心として、私は戦った。戦いぬいた。私は何ものも恐れない。
4  ともあれ、今年、そして来年を完全に勝利すれば、「次の五十年」の広宣流布の流れを決定づけることができる。二十一世紀の命運を定め、ひいては末法万年尽未来際の完璧なる土台となり、本格的な出発点となることは、間違いない。
 朗らかに、断じて勝とう!
 勝ちぬくことを決意し、祈り、創価の完勝へ走ってまいりたい。(拍手)
5  全世界に地涌の菩薩
 きょうは、海外五十力国・地域から、三百四十人の、わが偉大なるSGIの同志の方々が、お越しくださった。世界一の尊き仏法の求道者の旅、まことに、ご苦労さま!
 皆さまにお会いできて、私は、本当に、うれしい!(拍手)
 これほどに大勢の方々が、仏法研鎖のため、遠く海外から、はるばると来日してくださった。これほどに偉大なる使命の姿が、ほかのどこにあるだろうか。断じて創価学会にしかない。
 この一点だけをみても「創価学会は勝った!」と私は宣言したいのである。(拍手)
 広布のための行動は、すべて、わが生命に功徳となって積まれる。御聖訓に照らせば、皆さま方の功徳が無量無辺であることは、間違いない。
 有名な「諸法実相抄」には、「地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」と仰せである。
 末法の「闘諍言訟」という争いの絶えない時代において、一閻浮提に妙法を弘めることは、真実の地涌の菩薩でなければ絶対にできない。これが御書に示された法理である。
 皆さま方は、大聖人の仰せどおりに、世界の平和のため、人類の幸福のため、妙法を唱え、妙法を弘め、現実の上で、広宣流布を遂行している。皆さまこそ、地涌の菩薩なのである。(拍手)
6  広布に進む皆さま方を、必ずや、諸天善神が守る。日蓮大聖人が守ってくださる。
 梵天・帝釈はもちろんのこと、太陽も、月も、そして、宇宙のあらゆる星々までもが、皆さんを最高に尊い存在として讃え、厳然と守護するのである。
 大聖人は、太陽も、月も、星々も、すべてが、わが心に収まっていると仰せである。(「日月・衆星も己心にあり」)
 大宇宙の法則にのっとって、自在に人生を生きていける。そういう力が、妙法を持った私たちにはある。それが「一念三千」を説き、「生命即宇宙」を説いた仏法の法則なのである。
 さらに、海外の皆さま方! 皆さんを快く送り出してくださった、ご家族の方々、同志の方々に、くれぐれも、よろしくお伝えいただきたい。
 大聖人は、夫の四条金吾を、はるか佐渡まで送り出した夫人の日眼女を讃えて、「あなたの真心は大地よりも厚い。地神(大地の神)は必ず知っていることであろう。また、その真心は大空よりも高い。きっと梵天・帝釈も知っておられることであろう」(御書1115㌻、通解)と述べておられ
 日眼女は、今でいえば、神奈川の婦人部員にあたるとも言えよう。
 大聖人は、けなげな門下の心をすべてお見通しであった。そして、誠実には誠実で、真心には真心で応えていかれた。それが御本仏の美しい心の世界であった。
7  仏とは「激流を乗り越えた人」
 さて、仏には、さまざまな呼び名がある。
 たとえば、「戦いに勝てる人」と讃えられた。「最上の人」とも呼ばれた。
 また「激流を乗り越えた人」とも賞讃される。
 さらに、「(魔軍の攻撃に打ち勝った)勝者」「勇者」「偉大なる英雄」――これらもまた、仏の別名であった。
 御聖訓には、「法華経を信ずる人人こそ仏には成るべし」とお示しである。
 ほかのだれでもない、妙法を信じ、唱え、弘めゆく、皆さま方こそ、仏である。菩薩である。
 ゆえに、皆さま方が負けるわけがない。いかなる困難も、障魔の嵐も、絶対に乗り越えていける。断じて勝っていける。それを確信していただきたい。
 釈尊は、嫉妬に狂った反逆の提婆達多からどれほど悪辣な攻撃を受けようとも、微動だにしなかった。
 また、あの「竜の口の法難」の日には、傲れる権力者の平左衛門尉が、数百人もの武装した兵士を引き連れて、日蓮大聖人に襲いかかった。しかし、御本仏の赫々たる大生命は、大音声を放って、権力者を叱りとばされた。そして、悠然と、一切を打ち破っていかれたのである。
 大聖人は、この竜の日の頸の座において、発述顕本された。ご存じのように文永八年(一二七一年)、九月十二日のことであった。ちょうど、あさってが、その歴史を刻む日である。
8  なお、この意義深き九月十二日は、わが愛する「埼玉の日」である。埼玉の人は、参加しておられるだろうか。(「ハイ!」と会場から元気な返事が)
 大埼玉の発展は、本当にすばらしい。
 関東、なかんずく埼玉には、朗らかで明るく、確信に満ちあふれたリーダーが数多くおられる。
 学会のリーダーには、見栄や気取りは必要ない。社会的地位や学歴がどうかも関係ない。
 こうと決めたら、脇目もふらず、一心不乱になって戦う。友が喜んでくれるならと、恥も外聞も投げ捨てて、何でもやってくれる。そういう一人がいれば、全体の雰囲気はガラッと変わるものだ。
 すべては、一人から始まる。その一人から、大きな波動が広がるのである。
 ともあれ、見事なる大埼玉となった。埼玉が盤石であれば、関東は盤石である。埼玉が強ければ、東京も強くなっていく。そういう重要な使命をもった埼玉である。
 私は「大埼玉、万歳!」と申し上げ、皆さまのご健闘を心より讃えたい。(拍手)
9  広布破壊の陰謀は明快に断罪
 大聖人のご生涯は、大波の寄せるがごとく、大難に次ぐ大難の連続であられた。
 竜の口の法難の二カ月前ごろ、僣聖増上慢の正体を現した良観一派が、卑劣極まる捏造の訴えを起こした。このとき、大聖人は、鋭く痛烈に、こう切り返された。
 「確かな証人を出せ! 証拠を出せ!」と。
 大聖人が、公の場で正々堂々と決着をつけようとされたのに対し、良観一派は、これを避けた。結局、何の反論もできなかったのである。
 現代においても、広布破壊の日顕一派が、悪辣な反逆者らと結託し、正義の学会をおとしいれようと、数々の陰謀をめぐらせてきた。しかし、今、その悪だくみのすべてが、明快に裁判によって断罪されていることは、皆さんが、よくご存じのとおりである。
 (大聖人が、良観一派の不当な訴えに対する回答として認められたのが「行敏訴状御会通」である。この中で、大聖人は良観一派の大妄語を、一つ一つ、完璧に破折しておられる。たとえば、次のように仰せである。
 「(良観一派の訴状には)『各寺にこれまで安置されてきた本尊である、弥陀、観音等の仏像を〈日蓮が〉火に入れて焼却したり、水に流したりした』とあるが、これについては、確かな証人を出すべきである。もし証拠がなければ、これらのことは、良観上人らが、みずから本尊を取り出して、火に入れ、水に流し、その罪を日蓮に負わせようとしているのである。くわしいことは、これを糾明すれば、明らかになることであろう」〈御書181㌻、通解〉)
10  竜の口の法難から約八カ月後、大聖人は流罪の地・佐渡で、こう仰せである。
 「太陽と月は、全世界と映す明鏡である。ゆえに、諸天も諸仏も必ず日蓮のことを知っておられることであろう。少しも、このことを疑ってはならない」(御書141㌻、趣意)
 最大の迫害の渦中にあっても、大聖人のご確信は、いささかも揺らぐことはなかった。むしろ、最も困難を極める時にこそ、諸天、諸仏を揺り動かしながら、何ものにも負けない″究極の正義の力″を、堂々と示しきっていかれたのである。
 いかなる権力をも、恐れない。
 いかなる暴力にも、臆さない。
 いかなる陰謀にも、屈しない。
 これが、御本仏の魂である。
11  大聖人直結のわが創価学会もまた、提婆達多のごとき、また良観のごとき大悪人と、勇敢に戦いぬいてきた。
 迫害を受ければ受けるほど、さらに地涌の菩薩の底力を出して、一心不乱に勝利の道を開いた。
 獄中に殉じた牧口先生の正義を宣揚し、戸田先生の願業を、ことごとく実現してきた。
 そして、百八十六カ国・地域へ、前代未聞の世界広宣流布の拡大を成し遂げた。世界平和の大道を開いた。
 厳然と、学会は勝った。三代にわたる師弟は、晴れやかに、勝ちに勝った。
 これまで、世界五大州の大学・学術機関から、また、世界中の国々・諸都市から、深い理解と共鳴の顕彰を拝受してきたことは、ご存じのとおりである。
 すべて、皆さま方の信念の勝利であり、栄誉であると申し上げておきたい。
12  妙法を唱え、広宣流布のために戦いぬく生命は即、「常勝」「完勝」の仏の生命として、顕れる。ゆえに、強盛な信心を貫く人は、断じて負けるわけがない。また、負けてはならない。
 金剛不壊にして、常勝不敗の仏の生命を、この一生で完璧に鍛え上げるための仏道修行であり、学会活動である。妙法のために戦い、学会とともに勝っていくならば、必ず自分の生命も仏となり、一家眷属も、永遠に栄えていく軌道に乗る。
 「広宣流布の勝利」とは、すなわち「自分自身の勝利」なのである。
13  大宇宙の宝を集めた大境涯
 きょうは、多宝会の代表の方も出席されている。全国の多宝会、宝寿会(東京)、錦宝会(関西)の皆さま方に、心から尊敬と感謝を申し上げたい。
 多宝会――いい名前である。「多宝会」の名には、法華経に説かれる「多宝如来」の意義がこめられている。一人一人が「宝」の存在である。多宝会の皆さまが、仏法の正義を大確信で語られる姿は、まさに「多宝の証明」を思い起こさせる。
 (法華経の見宝塔品では、多宝如来が、種々の宝で飾られた宝塔の中で法華経を讃嘆し、真実であることを証明した)
 戸田先生も、円熟の人生の友を「多宝の証明の方」「多宝の尊き同志」と讃えておられたのである。
 大聖人は、広宣流布に励む功労の門下に対して「あなたが宝塔なのですよ」「あなたの内に宝塔品があるのですよ」と教えておられる。(御書1304、1250㌻)
 妙法を信じ、唱える自分自身が多宝の宝塔なのである。信心を貫けば、大宇宙の宝を集めたような偉大な境涯になる。
14  信心に定年はない使命に引退はない
 信心に定年はない。使命に引退はない。これが仏法者の生き方である。
 私の大切な友人であるロートブラット博士は、ノーベル平和賞を受賞した科学者として世界的に知られている。現在、九十四歳。(=二〇〇五年八月逝去)
 わが関西にも、わが沖縄にも来てくださり、ともに語りあった。ありがたいことに、私に「また会いたい」とおっしゃってくださっている。アメリカ創価大学にもお見えになった。
 博士は、今年の五月、SGIの友に語られた。
 「自叙伝を書くように勧められるのですが、自分にとって過去を振り返るのは時間の無駄に思えてならないのです。まだまだ、やりたいことが山ほどあります」
 「未来のために、つねに前へ進みたいのです」(「聖教新聞」二〇〇三年五月二十三日付)
 九十四歳で、この心意気である。
 私が現在、対談を連載している、アメリカの大経済学者ガルブレイス博士も、まもなく九十五歳になる。ご招待を受け、博士のご自宅にうかがったこともある。(千九百九十三年九月二十五日)
 博士は、見上げるような長身である。お茶をごちそうになりながら、語りあった。別れぎわ、私たち夫婦を自宅の表まで見送ってくださった。思い出深い光景である。
 博士は、私に、こう語っておられた。
 「私は、毎回の誕生日を、私にとって″最初の誕生日″と思っております」
 すべては、これから!――なんと、みずみずしい心か。
 二人の博士にくらべれば、ほとんどの方は、はるかに若い。これからだ。まだまだ力が出る。
 いわんや、妙法を持つわれわれは「不老不死」の大生命力がわく。年齢は関係ない。永遠に変わらない生命の輝きを放っていける。
 妙法に生きぬく人には、無量の力がある。その力を発揮して進みたい。
 大聖人は、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」とお約束である。
 広布のために戦えば戦うほど、年が若くなる。福運は、幾重にも増していく。絶対の勝利者、幸福者になる。そう大聖人が断言されているのである。何も心配することはない。
15  ロシアからもSGIの友が参加
 私がロシア(旧ソ連)を初訪問(一九七四年九月)してから、明年で三十年となる。
 当時のソ連は共産主義国家で、学会員はいなかった。「危ないから、行かないほうがいい」と反対する人もいた。しかし私は、「そこに人間がいるから」と、一歩を踏みだした。
 いちばん大変なところへ行く。それこそ、いちばん偉大な信念の道である、と私は信じている。
 心の壁を破り、対話し、人間を結ぶ。平和の広野を開く。だれが見ていなくとも、これこそ誉れの人生である。
 ロシアとの友好は、今、教育、文化などあらゆる次元で、深く広がっている。きょうは、そのロシアからSGIの代表が出席してくださった。本当にうれしい。ようこそ!(拍手)
 今、ロシアをはじめ、旧共産圏の国々でも、多くのSGIメンバーが活躍している。世界広宣流布を現実に進めているのは、だれか。私たち創価学会なのである。
16  ロシアにレールモントフという有名な詩人がいる。十九世紀に活躍した青年詩人で、文豪プーシキンを師と仰いだ。レールモントフは、帝政ロシアで権力を批判し、カフカス地方に追放された。
 多くの詩や小説を著している。
 (一人三七年、プーシキンが決闘で命を落としたさい、権力者を弾劾する詩「詩人の死」を発表。逮捕、投獄の後、カフカスに追放されて軍務についた。一八四一年、二十六歳で死去)
 ゴルバチョフ元ソ連大統領も、このレールモントフの詩を愛読してきたという。
 レールモントフは小説でつづっている。
 「悪は悪を生むものだ」(『現代の英雄』中村融訳、岩波文庫)
 また、叙事詩の中で、登場人物に、こう語らせている。
 「最後まで正義のためにたたかおう!」(「後期叙事詩」村井隆之訳、『レールモントフ選集』2所収、光和堂)
 悪は、新たな悪を生み、増長していく。だからこそ、邪悪とは徹して戦いぬくことだ。
17  スイスの哲学者アミエルの言葉を紹介したい。アミエルはジュネーブ大学の教授を務め、哲学などを教えた。幼くして孤児となり、終生、病弱であったという。青年時代から三十年以上にわたってつづった膨大な日記は、死後に出版され、外国語にも翻訳された。
 ロシアの文豪トルストイも、このアミエルの日記を読み、その一節を書き残している。
 アミエルはつづった。
 「悪書は悪友に劣らず害毒を流す」(『アミエルの日記』河野与一訳、岩波文庫)
 悪書は人の心をむしばみ、社会を腐らせる害毒である。悪書を許してはならない。放置してはならない――そう訴える識者は多い。
18  聡明な人間は「墓へ入るまで学生なのである」(原久一郎訳、岩波文庫)――これはトルストイの『人生の道』の一節である。
 聡明な人間とは、生涯、学び続ける人である。旺盛な向上心、求道心をもった人である。
 いわんや、日々、妙法を学び、実践する私たちは、最高に聡明な人生を生きていける。宇宙と生命を貫く法則を知っているからだ。「聡明」でいきましょう!
 ロシアのモスクワ大学といえば、世界的に有名である。このモスクワ大学から、外国人として初めて「名誉称号」を授与されたのは、ドイツの大文豪ゲーテとシラーであった。
 私も、皆さまを代表して、モスクフ大学から名誉博士と名誉教授の二つの栄誉を受けている。
 今日まで、私たちは、創価大学などを通し、モスクワ大学と深い教育交流を重ねてきた。日本とロシアの交流の道を、大きく開いた。これからもいちだんと友好を深めてまいりたい。
19  エマーソン――「改革」なき宗教は「廃物」
 さらに、アメリカの思想家エマーソンの言葉を紹介したい。
 「大人物と共に居れば大人物たるのは極めて易々たる事である」
 「陋劣な(=いやしく劣っている)人と共に行けば、人生は陋劣であると考えられる」(『社交 及 孤独』、『エマアソン全集』4,戸川秋骨訳、国民文庫刊行会)
 私たちは、日蓮大聖人の仰せのままに進んでいる。多くの広宣流布の勇者とともに前進している。全員が、偉大な境涯の「大人物」と輝くことは、間違いない。
 世の中には、金儲けのみを考え、他人の悪口を書くだけの卑劣な人間もいる。それは浅はかな、さびしい人生である。
 エマーソンは、日記に書き残している。
 「一つ確実なことは、宗教から何等の改革も出てこないようになれば、その宗教はもう廃物だということである」(ブリス・ペリー編『エマソンの日記』富田彬訳、有信堂)
 宗教は、人間を救うためにある。その精神を失い、改革を忘れれば、腐敗し、堕落していく。まさに日顕宗である。
 私たちは広宣流布を断行し、悩める人を救っている。文化の活動を進めている。世界平和の運動を広げている。人のため、社会のために何もしなければ、もはや「廃物」の宗教である。
20  『三国志』で有名な諸葛孔明は、部下に対して、こう語っている。
 「そもそも役所に集まって相談するということは、多数の人々の意見を集めて、忠義な利益をふやすことである。もし僅かな疑問を遠ざけてしまい、互いに事柄の疑問点を審らかにたずねて、明らかにすることを拒めば、〔それはただ〕むなしく〔職務に〕損害を与えることになる」(中村史朗『諸葛孔明語録』明徳出版社)
 徹して話しあい、疑問を解決せよ――これが、孔明の指針であった。
 まして今は、民主主義の時代である。組織や広布の活動において、何か疑問や問題点があれば、よく話しあって解決していくことである。団結が勝利の力となる。
 この言葉をリーダーの皆さまにお贈りして、スピーチを終わりたい。
 長時間、ありがとう! ご苦労さま!
 (東京牧口記念会館)

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