Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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蒙古使御書  (2/2) 日月・衆星も己心にあり
1473

の敵の相貌を説きて候に・二百五十戒を堅く持ち迦葉舎利弗の如くなる人を・国主これを尊みて法華経の行者を失なはむとするなりと説れて候ぞ。

夫れ大事の法門と申すは別に候はず、時に当て我が為め国の為め大事なる事を少しも勘へたがへざるが智者にては候なり、仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし、設い仏にあらねども竜樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人・賢人等は仏程こそ・なかりしかども・三世の事を粗知しめされて候しかば名をも未来まで流されて候き、所詮・万法は己心に収まりて一塵もかけず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり、然りといへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず・嬰児の水火を怖れざるが如し、外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず、然れば経経に勝劣あり人人にも聖賢分れて候ぞ、法門多多なれば止め候い畢んぬ。

鎌倉より御下りそうそうの御隙に使者申す計りなし、其の上種種の物送り給候事悦び入つて候、日本は皆人の歎き候に日蓮が一類こそ歎きの中に悦び候へ、国に候へば蒙古の責はよも脱れ候はじなれども・国のために責られ候いし事は天も知しめして候へば後生は必ずたすかりなんと悦び候に・御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給いて候へ、此の事起らずば最明寺殿の十三年に当らせ給いては御かりは所領にては申す計りなし、北条六郎殿のやうに筑紫にや御坐なん、是は各各の御心のさからせ給うて候なり、人の科をあてるにはあらず、又一には法華経の御故にたすからせ給いて候いぬるか・ゆゆしき御僻事なり、是程の御悦びまいりても悦びまいらせ度く候へども人聞つつましく候いてとどめ候い畢んぬ。

  乃時                        日蓮花押

    西山殿御返事


西山殿御返事

                    建治二年 五十五歳御作

青鳧五貫文給い候い畢んぬ、夫れ雪至つて白ければそむるにそめられず・漆至つてくろければしろくなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候、真言・禅・念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる、経に云く「諸法実相」云云、又云く「若人不信乃至入阿鼻獄」云云、いかにも御信心をば雪漆のごとくに御もち有るべく候、恐恐。

  建治二年丙子                    日蓮花押

   西山殿御返事

宝軽法重事

                    弘安二年五月 五十八歳御作

                    与 西山入道

笋百本又二十本追給い畢んぬ、妙法蓮華経第七に云く「若し復人有つて七宝を以て三千大千世界に満てて仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢に供養せん、是の人の所得の功徳も此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きには如かじ」云云、文句の十に「七宝を四聖に奉るは一偈を持つに如かずと云うは法は是れ聖の師なり能生能養能成能栄法に過ぎたるは莫し故に人は軽く法は重きなり」云云、記の十に云く「父母必ず四の護を以て子を護るが如し、今発心は法に由るを生と為し始終随逐するを養と為し極果を満ぜしむるを成と為し能く法界に応ずるを栄と為す、四つ同じからずと雖も法を以て本と為す」云云、経並に天台妙楽の心は一切衆生を供養せんと


阿羅漢を供養せんと乃至一切の仏を尽して七宝の財を三千大千世界にもりみてて供養せんよりは・法華経を一偈或は受持し或は護持せんはすぐれたりと云云経に云く「此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きには如かず」天台云く「人は軽く法は重きなり」妙楽云く「四つ同じからずと雖も法を以て本と為す」云云、九界の一切衆生を仏に相対して此れをはかるに一切衆生のふくは一毛のかろく仏の御ふくは大山のをもきがごとし、一切の仏の御ふくは梵天三銖の衣のかろきがごとし、法華経の一字の御ふくの重き事は大地のをもきがごとし、人軽しと申すは仏を人と申す法重しと申すは法華経なり夫れ法華已前の諸経並に諸論は仏の功徳をほめて候・仏のごとし、此の法華経は経の功徳をほめたり仏の父母のごとし、華厳経・大日経等の法華経に劣る事は一毛と大山と三銖と大地とのごとし、乃至法華経の最下の行者と華厳・真言の最上の僧とくらぶれば帝釈と猨猴と師子と兎との勝劣なり、而るをたみが王とののしればかならず命となる、諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば必ず国もほろび地獄へ入り候なり。

但かたきのなき時はいつわりをろかにて候、譬へば将門・貞任も貞盛・頼義がなかりし時は・国をしり妻子・安穏なり云云、敵なき時はつゆも空へのぼり雨も地に下り逆風の時は雨も空へあがり日出の時はつゆも地にをちぬ、されば華厳等の六宗は伝教なかりし時は・つゆのごとし・真言も又かくのごとし、強敵出現して法華経をもつて・つよくせむるならば叡山の座主・東寺の小室等も日輪に露のあへるがごとしと・をぼしめすべし、法華経は仏滅後二千二百余年にいまだ経のごとく説ききわめてひろむる人なし、天台・伝教もしろしめさざるにはあらず・時も来らず・機もなかりしかば・かききわめずして・をわらせ給へり、日蓮が弟子とならむ人人は・やすくしりぬべし。

一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像を・かきつくれる堂塔いまだ候はず、いかでか・あらわれさせ給わざるべき、しげければとどめ候。