Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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各部協議会 日本の夜明けをわれらの勝利で

1998.1.4 スピーチ(1997.5〜)(池田大作全集第88巻)

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2  聖人を迫害すれば国滅ぶ
 日蓮大聖人は、全人類を救うために出現された。同時に、最高の愛国者でもあられた。
 「国をたすけん」「国の恩を報ぜん」「国のため法のため人のため」――そういう御言葉は数かぎりなくある。
 事実、大聖人は流罪、死罪の大難にも耐えて、日本を救うために戦われた。
 しかし、日本は「親を打つ子」のように、大聖人に感謝するどころか、迫害をもって応えた。そして蒙古襲来という「亡国」の危機を招いてしまった。また深刻な疫病も広がった。
 大聖人は仰せである。
 「国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人はわきまへざるか
 ――国が崩壊するのは、聖人を迫害するからである。愚かな者は、これもわからないのか――。
 聖人を迫害するような国は、善と悪がさかさまになっている。一事が万事で、すべて、おかしくなるのは当然である。
 大聖人は、「聖人をあだめば総罰一国にわたる(中略)賢人をあだめば但敵人等なり」――聖人を迫害したら『総罰』と言って、一国全体が罰を受ける(中略)賢人を迫害すれば、罰を受けるのは『迫害した人間だけ』である――と教えてくださっている。
 そして、ついには、こう言われるのである。
 「我が国のほろびん事はあさましけれども、これだにもそら事になるならば・日本国の人人いよいよ法華経を謗して万人無間地獄に堕つべし、かれだにもつよるならば国はほろぶとも謗法はうすくなりなん、譬へば灸治をしてやまいをいやし針治にて人をなをすがごとし、当時はなげくとも後は悦びなり
 ――わが国が滅びることは痛ましいことだが、これさえも現実にならないと、日本国の人々は、いよいよ法華経を誹謗し、だれもが無間地獄へ堕ちてしまうだろう(それはもっとかわいそうである)。蒙古が(日本を)強く攻めれば、国は滅びようとも、(人々は過ちに気づいて)謗法は薄くなるであろう。たとえばやいと(おきゅう)で病気を治したり、針(鍼)の治療で人を治すようなものである。その時は苦しくても、あとは喜びとなる――。
 最近の日本についても、ある著名人が言われていた。
 「今まで、あまりにも、いい調子になっていた。一度、血を吐くような苦しみを味わわないと、日本人は傲慢のまま、いつまでも目覚めないだろう」
 大聖人は「厳父が、わがままな不良息子を突き放して苦しめ、改心させる」ように、日本の国を見ておられたとも言えよう。
 それでいて、陰では、ちゃんと守っておられたのである。こう言われている。
 「此の国の亡びん事疑いなかるべけれども且く禁をなして国をたすけ給へと日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども・はうに過ぐれば罰あたりぬるなり
 ――この国が滅びることは疑いないけれども、しばらくそれをとどめて国を助けたまえと(祈る)日蓮が控えていればこそ、今までは安穏であったのだ。しかし、それも、あまりにも(非道が)限度を超えたので、(日本の国は)罰を受けたのである――。
3  大悪を大善に変える一年に
 結論的に、大聖人は「こういう時こそ広宣流布の前進の時である」と仰せである。
 「国はいかにも候へ法華経のひろまらん事疑なかるべし
 ――国がどのようになるかはともかく、法華経が広まることは間違いない――。
 また「世は亡び候とも日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ(中略)毀らん人にはいよいよ申し聞かすべし」と。
 ――世の中は滅びようとも、日本国は南無妙法蓮華経と、だれもが唱えるようになるであろう(中略)悪口を言う相手には、いよいよ(正義を)語り、聞かせなさい――。
 今もまた世の中は乱れに乱れているが、だからこそ人々を目覚めさせるチャンスなのである。日本人の心に強い「動執生疑」が起こっているからである。(動執生疑とは、誤った考えに執着している心が動揺し、疑いが生じること。真実の法に目覚める前提となる)
 「大悪をこれば大善きたる」――大悪が起これば必ず大善がくる――のである。
 この一年を、社会の「大悪」を「大善」へと変えゆく一年としてまいりたい。
 我らの勝利以外に、「日本の夜明け」をもたらし、「希望の新世紀」をもたらすものは断じてないからである。
4  学会創立七十周年(二〇〇〇年)へ晴ればれと
 社会は暗いが、我らには燦然たる希望がある。二〇〇〇年と二〇〇一年の指標を確認しておきたい。
 <二〇〇〇年>
 元日 二十一世紀へ開幕の新年勤行会
 一月二十六日 SGI発足二十五周年
 二月十一日 戸田先生生誕百周年
 五月三日 第三代会長就任四十周年 全方面で祝賀総会 春に「創価世界女性会館」が完成(=九月八日、開館式)
 六月十日を中心に 婦人部祝賀総会
 七月三日を中心に 青年部祝賀総会
 八月二十四日を中心に 壮年部祝賀総会
 十月二日 初の海外指導から四十周年
 十一月十八日 学会創立七十周年
5  <二〇〇一年>
 四月二十日 聖教新聞創刊五十周年
 五月三日 戸田先生第二代会長就任五十周年 第二の「七つの鐘」スタート アメリカ創価大学開学
 また、この年は、創価大学開学三十周年である。
 絢爛たるこの「二十一世紀の山」を、堂々と登りきってまいりたい。そして、勝利の山頂から、晴れ晴れと、緑したたる我らの世紀を展望してまいりたい。
6  二十一世紀の勝者は「精神闘争の勝者」
 ある大会社の首脳が、昨年、創価大学で講演してくださった。約九百人の学生を前に、「トップが語る現代経営」の講師をしてくださったのである。
 講演では、リーダーの条件として四つを挙げられた。
 第一に「使命感」。
 第二に「将来計画」「展望」「ロマン」。
 第三に「現実処理の能力(実務能力)」。
 第四に「無私」の心と。
 じつに含蓄に富むリーダー学であると思う。
 そして「二十一世紀に生き残るためには、自分の頭で考え、自分で行動することが、大事な時代である」「勝海舟は″政治の基本は正心誠意。外交もまた正心誠意″と言った。私のモットーもまた″正心誠意″である」と、創大生に語ってくださった。
 私も「二十一世紀の勝者」は、「精神闘争の勝者」であると確信している。
7  牧口先生は、優れた新聞記事を引いて、「民衆の精神革命」の必要を論じておられる。(『創価教育学大系』上、『牧口常三郎全集』第五巻所収。引用は一部、現代表記に改めた)
 たとえば井上準之助氏(日本銀行総裁、大蔵大臣を歴任)の言葉――「悲しいことに、わが国には何等誇るべき何ものの持ち合せもないということは、欧洲大戦以来、内外多くの人たちによって唱えられたことで、今に初めぬことである」を受けた、次のような記事である。
 「(何の誇るべきものがない国が栄えるには)どうしたらよいか。要は政治の形式、教育の方法を根本的に改むる外にない。国民的大改造は先ずこの二つのものから初められなくてはならない。大教育家は出ぬか。われ等はこれを翹望ぎょうぼう(=首を長くして待ち望む)してやまぬものである」(「東京日日新聞」大正十三年〈一九二四年〉八月二十七日付)
 牧口先生は、この記事を受けて「この(=国民的大改造の)機運に対して傍観していることはできない」と決意を述べておられる。
 また、次の社説を引用されている。(『創価教育学大系』下、同全集第六巻所収)
 「肝心なのは何をどう教えることが教育を国民生活に適せしめることになり、また精神教育を徹底することになるかを知るにある……」(「東京日日新聞」、昭和八年〈一九三三年〉四月十六日付)
 この論調に対して、牧口先生は「何という痛烈な筆鋒であろう」「(=この社説を書いた人は)よほど教育に関心を多く有する玄人のようである」と感想を書いておられる。
 このように、牧口先生は「国民の精神の改造」に焦点を定めておられた。
8  歴史に学べ――傲慢は亡国の因
 ところで、日本の歴史が明治以降、四十年周期で「上り坂」と「下り坂」を繰り返している――という説がある。
 明治維新(一八六八年)から約四十年間、日本は建設期。国家としては「上り坂」の時代である。その頂点は、日露戦争の勝利(一九〇五年)であったと言われている。明治維新から約四十年後のことである。
 しかし、これで日本は、傲慢になってしまった。軍人がいばり、国家主義が、無反省に強まっていった。
 内村鑑三は言った。
 「日露戦争は我が国民の中に残留せし僅かばかりの誠実の念を根こそぎ取りさらいました」(明治三十八年〈一九〇五年〉「日露戦争より余が受けし利益」、『内村鑑三著作集』2所収、岩波書店。引用は一部、現代表記に改め、漢字をひらがなにした)
 そして「下り坂」となり、その結果、(日露戦勝利から)ちょうど四十年後に敗戦を迎えた(一九四五年)。亡国である。日本は再び、一から出直さなければならなかった。軍事国家を経済国家に変え、少しずつ「上り坂」を歩んだ。
 四十年後(八五年)ころから、バブル経済という絶頂期へ入っていった。そして、世界に冠たる「経済大国」だと胸を張った。しかし、再び傲慢になり、他の国を見くだし始めた。そしてまた「下り坂」になり、今も坂を落ちている。
 ――こういう見方がある。もちろん「未来」が、あらかじめ決まっているわけではない。しかし、歴史の教訓を学ばなければ、「歴史は繰り返す」であろう。
9  その「教訓」とは何か。内村鑑三は言った。
 「国が亡るとは、その山が崩れるとか、その河が乾上るとか、その土地が落込むとかいうことではない」
 「国は土地でもなければ、また官職でもない、国はその国民の精神である」
 「国民の精神の失せた時に、その国はすでに亡びたのである。民に相愛の心なく、人々互に相猜疑(=妬んだり疑い)し、同胞の成功を見て怒り、その失敗と堕落とを聞て喜び、我一人の幸福をのみ意うて他人の安否を顧みず、富者は貧者を救わんとせず、官吏と商人とは相結托して、つみなき援助たすけなき農夫職工らのあぶらを絞るに至ては(中略)かくの如き国民は、すでに亡国の民であって、ただ僅に国家の形骸(=外形)を存しているまでである」「すでに精神的に亡びた国が終には、その形骸までも失うに至るのは自然の勢いである」(明治三十四年「既に亡国の民たり」、同著作集4所収)
 ゆえに内村は、精神革命しかないと叫んだ。宗教革命しか日本を救う道はない――と。(内村鑑三は昭和五年〈一九三〇年〉、創価学会創立の年に逝去)
 社会を蘇生させるには、国民の精神を蘇生させるしかない。社会を興隆させるには、国民の精神性を興隆させることが根本である。今、創価学会の「精神革命運動」こそが日本の亡国を救う道であると、私どもは強く確信する。
10  御本尊は「信心の本尊」
 私どもは日寛上人御書写の御本尊を拝している。その日寛上人が″わが形見とせよ″と言われたものがある。すなわち、上人の「遺言」であり、「これだけは忘れるな」と叫ばれた一点である。
 それは「観心の本尊抄」の「の」という一字であった。
 「のの一点は最大事の中の大事なり、是則ち一点多生たしょう(=今世も来世もずっと先の世まで)を助くる……返す返す日寛が形見かたみとして汝等信心に之を伝へよ」(「日詳聞書」)
 また「日本国の学匠未だのの一点に達せず」(「宥弁略記」)――日本の学者は、まだこの″の″の一字の重要性がわかっていない――と。
 (すなわち「観心本尊抄」の題号を、古来の学者が「心を観る本尊抄」「心の本尊を観る抄」などと読んできたが、これでは大聖人の本尊の本義を誤ってしまうの意)
 どうして、「の」の一字が、それほど大切なのか。
 結論して言えば、日蓮仏法の御本尊は、「教相の本尊」ではなく「観心の本尊」なのである。それは、すなわち「信心の本尊」にほかならない。これを遺言されたのである。
 (大聖人の仏法においては、「受持即観心」で、御本尊を受持する「信心」が即「観心」となる。ゆえに「観心の本尊」とは「信心の本尊」と言える)――
 すなわち、「信心」がなければ、偉大なる「御本尊」の力は、まったく出ない。また「信心」が狂えば、「御本尊」を持っていても、功徳どころか罰を受ける。
11  日蓮大聖人は、厳として仰せである。
 「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」――この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである――と。
 また「信心の血脈無くんば法華経を持つとも無益なり」――正しき信心の血脈がなければ、法華経(御本尊)を受持しても功徳はない――と。
 かつて、「私は、だれだれから直接に御本尊をいただいた」とか「うちの御本尊は特別だ」とか自慢する人がいた。戸田先生は、そう言う人に対し、厳しく言われていた。
 「信心がなければ、宝のもちぐされだ」また「御本尊に信心を直結させなければ、かえって危険である」と。
 「信心」とは、「行動」である。「行躰即信心」と言われる通りである。
 大聖人、日興上人の仰せの通り、広宣流布へ行動しているのは、断じて創価学会だけである。日寛上人の遺言を忘れて「信心」をなくした宗門には、「御本尊」の力用はまったくない。
 なぜなら、大聖人が「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」――この御本尊は全く他所に求めてはならない――、「只信心の二字にをさまれり」と仰せだからである。
 御聖訓に照らせば、広宣流布に前進する創価学会にのみ、真の「観心の本尊」は、ましますのである。
12  人生を振り返ってみて、いちばん幸福な時はいつか。それは「戦っている時」である。その時は苦しいようであっても、後から「あの時がいちばん輝いていた、幸せだった」とわかる。
 ある世界的大富豪も、「貧しくても、夢中になって奮闘していたころが、いちばん幸せだった」と語っていた。
 完成した後よりも、建設の時のほうが楽しいし、幸せであり、価値がある。
 日蓮仏法も「本因妙」の仏法である。結果を目指して奮闘している、その″本因″の姿にこそ、「幸福」は躍動しているのである。
 牧口先生は「羊千匹よりも獅子一匹」と言われた。
 本当にそう思う。真理である。すばらしい言葉である。
 本年、自分自身が猛然たる「広宣流布の獅子」となって、楽しく前進また前進していただきたい。
 (東京牧口記念会館)

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