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日蓮大聖人・池田大作

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日女御前御返事  (4/6) 賢人をあだめば但敵人等なり
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れん」云云、今日本国の者去年今年の疫病と去正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり、聖人の国にあるを・あだむゆへと見えたり、師子を吼る犬は腸切れ日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり、日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ又半分は死しぬ今一分は身はやまざれども心はやみぬ、又頭も顕にも冥にも破ぬらん、罰に四あり総罰・別罰・冥罰・顕罰なり、聖人をあだめば総罰一国にわたる又四天下・又六欲・四禅にわたる、賢人をあだめば但敵人等なり、今日本国の疫病は総罰なり定めて聖人の国にあるをあだむか、山は玉をいだけば草木かれず国に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。

設ひ日月の光ありとも盲目のために用ゆる事なし、設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき、日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし、此の一切の眼と耳とをくじりて一切の眼をあけ一切の耳に物をきかせんは・いか程の功徳かあるべき、誰の人か此の功徳をば計るべき、設ひ父母・子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか、日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方・一切の仏の中には阿弥陀仏・一切の行の中には弥陀の名号・此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり・一向なる人もありしに、某去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間・遠くは一代聖教の勝劣・先後・浅深を立て・近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に・上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず、或は師師に問い・或は主主に訴へ・或は傍輩にかたり・或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国・郡郡・郷郷・村村・寺寺・社社に沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り法華経を念仏に対して念仏のいみじき様・法華経叶ひがたき事・諸人のいみじき様・日蓮わろき様を申す程に・上もあだみ下も悪む日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ、かう申せば日本国の人人・並に日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり、此は仏法の道理を信じたる男女


に知らせんれうに申す、各各の心にまかせ給うべし。

妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり、妻が夫をすすめたる品なり、末代に及びても女房の男をすすめんは名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし、いはうや此は女房も男も共に御信用あり・鳥の二の羽そなはり車の二つの輪かかれり・何事か成ぜざるべき、天あり地あり日あり月あり日てり雨ふる功徳の草木花さき菓なるべし。

次に勧発品と申すは釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども迦葉阿難左右におはしき王の左右の臣の如し、此は小乗経の仏なり、又普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども教主釈尊の左右の臣なり、而るに一代超過の法華経八箇年が間・十方の諸仏・菩薩等・大地微塵よりも多く集まり候しに・左右の臣たる普賢菩薩のおはせざりしは不思議なりし事なり、而れども妙荘厳王品を・とかれて・さておはりぬべかりしに・東方・宝威徳浄王仏の国より万億の伎楽を奏し無数の八部衆を引率して・おくればせして・参らせ給いしかば、仏の御きそくや・あしからんずらんと思ひし故にや・色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうを・ねんごろに申し上られしかば、仏も法華経を閻浮に流布せんこと・ことにねんごろなるべきと申すにや・めでさせ給いけん、返つて上の上位よりも・ことに・ねんごろに仏ほめさせ給へり。

かかる法華経を末代の女人・二十八品を品品ごとに供養せばやと・おぼしめす但事にはあらず、宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか・只今ましますらんと・かんがへ候へば、日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候、例せば蓮のみに蓮華の有るがごとく后の御腹に太子を懐妊せるがごとし、十善を持てる人太子と生んとして后の御腹にましませば諸天此を守護す故に太子をば天子と号す、法華経・二十八品の文字・六万九千三百八十四字・一一の文


字は字ごとに太子のごとし字毎に仏の御種子なり、闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず、而りといへども天眼は此をみる。

日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮又此をすいす・あらたうとし・たうとし、周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑは・ひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ、阿闍世王は大悪人たりしかども父びんばさら王の仏を数年やしなひまいらせし故に九十年の間・位を持ち給いき、当世も又かくの如く法華経の御かたきに成りて候代なれば須臾も持つべしとは・みえねども・故権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと・いみじくて暫く安穏なるか、其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。

此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいんなり日蓮は念仏の敵なり、我等は何れをも信じたりと云云、日蓮つめて云く代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに、召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしは・いかに・不便・不便、而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人・一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。

  六月二十五日                    日蓮花押

   日女御前御返事