Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第一回アメリカSGI最高会議 「大聖人直結のSGI」に真実の血脈

1993.9.16 スピーチ(1993.6〜)(池田大作全集第83巻)

前後
2  日寛上人は、「中興の祖」と仰がれたように、信・行・学にわたって、最も優れた法主であられた。
 日亨上人は、日寛上人が尊敬された理由を、「それは、寛師(日寛上人)の学問というよりも、むしろですね、寛師の行躰ぎょうたい(実践の姿)じゃないですか」「寛師は非常に謹直きんちょくであった。そんなわけで寛師の信仰が一般の人にしみ渡っているのじゃないですか」と話されている。
 また、「六巻抄を中心にして大聖人の御正義を完ぺきに打ち立てられた」と。
 信心といっても、それが表れるのは、信仰者の生活と振る舞いのうえである。また、優れた人間性や人格、人柄となって表れる。
 日寛上人の日常のお振る舞いや、お人柄が、だれびとも尊敬できる立派なものであったからこそ、日寛上人の打ち立てられた教学も、人々に素直に信じられた。そう考えられる。
 反対に、日顕のような、醜悪な人間性や、下劣な行状は、それ自体が、大聖人の仏法に対する人々の信頼を破壊する。恐るべき、破仏法の存在である。
3  大聖人は、「魔をば奪功徳者といふ(中略)魔をたとむゆへに後生には無間獄に堕す」──魔を「功徳を奪う者」という(中略)魔を尊ぶから、後生には無間地獄に堕ちるのである──と戒められている。
 ここに仰せの通り、日顕を、信心を破り、功徳を奪い、生命力を衰えさせる「魔」とは知らずに、たぶらかされ、「法主だから」と無批判に尊び、従った者は、最後には、必ず無間地獄の苦悩を味わうのである。
4  日寛上人は、大聖人の「御本尊根本」の正義を強く主張なされた。このことは、「六巻抄」や「観心本尊抄文段」等で明らかである。
 「観心本尊抄文段」には、「十方三世の恒沙ごうしゃの諸仏の功徳、十方三世の微塵みじんの経々の功徳、皆ことごとくこの文底下種もんていげしゅの本尊に帰せざるなし。たとえば百千枝葉同じく一根におもむくが如し。故にこの本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠じんのん妙用みょうゆうあり。(中略)これすなわ蓮祖れんそ(日蓮大聖人)出世の本懐ほんがい、本門三大秘法の随末法下種の正体、行人所修の明鏡なり」(文段集四四三㌻)と述べられている。
 一切の諸仏の一切の功徳が、すべて、この御本尊に具わっているのである。
 なお、観心本尊抄文段は、淨圓寺の御本尊を図顕された翌年の一七二一年(享保六年)十一月に著されている。
5  信力・行力に「現証」は厳然
 日寛上人は、御本尊が根本であることを明かされるとともに、御本尊の無量の仏力・法力を引き出すためには、強い信力・行力が必要であることを強調されている。
 「観心本尊抄文段」の中で、日寛上人は、述べられている。
 「故に知んぬ、ただ文底下種の本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱うるときんば、仏力・法力にり即ち観行成就じょうじゅすることを。し不信の者は力の及ぶ所にあらざるなり」(文段集四五六㌻)
 ──ただ文底下種の本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱える時には、仏力・法力によって観心の修行を成し遂げて成仏できることを知りなさい。もしも、不信の者であれば、(御本尊の)力が及ぶところではない──。
 大切なのは、「信心」である。唱題の「実践」と、広布への「行動」があってこそ、正しき信心となり、無量の功徳がある。
 日寛上人は、また、「この一念三千の本尊はまった余処よしょほかること無し。ただ我等衆生の信心の中におわします」(文段集四六五㌻)と。
 大聖人の「此の御本尊全く余所に求る事なかれ」「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」との御言葉に基づいて述べられていることは言うまでもない。
6  たとえ、御本尊を受持していても、「信心」がなく、広布への「行動」がなければ真の功徳はない。
 牧口先生は罰論を説いて弘教された。このことを、何と「正宗の教義に背く」と攻撃した僧侶がいた。これに対し、戸田先生は、こう嘆かれている。
 「御本尊のむかって右の御かたわらに、『悩乱のうらんせん者は頭七分しちぶんに破れん』としたためられている。これが罰論でなくてなんであろう。
 むかって左の御かたわらを拝せば、『供養せん者は福十号に過ぎん』と、これはご利益をくださるとの御おおせではないか。
 利益と罰は、われわれ日常の真実の生活であり、価値生活の全体である。この尊いことを忘れておって、牧口先生がこれを説くや、おどろきあわてた連中のすがたは、いま思い出しても、こっけいのきわみである。そして、いまごろになって、昔から知っていたような顔をしている悪侶もあるのには、おどろくのである。
 今日にいたって、なお、これを思い出さない愚侶もいるのには、おどろくというより無知を悲しむものである」(「創価学会の歴史と確信」)
 僧侶は、それほど、仏法に無知で、御本尊を信じていなかったのである。そして、御書の通りに、御本尊の御力を実証しながら、弘教に励んだ学会を批判し、攻撃したのである。
 現宗門も、御本尊など、まったく信じていない。御本尊を、信徒を支配し、供養を貪るための道具にしているにすぎない。大聖人のお叱りを受けるのは必然である。
7  大聖人は、「道理証文よりも現証にはすぎず」と明確に仰せである。
 現実の証拠ほど強いものはない。功徳と勝利の実証ほど、人々を納得させるものはない。功徳の現証を示してこそ、信心なのである。
 それはSGI(創価学会インタナショナル)しかない。SGIこそ「功徳の現証」に満つ教団であり、「信心の血脈」流れる宗団である。
8  広宣流布を熱願された日寛上人
 日寛上人は、広宣流布の実現を、強く願われていた。
 「六巻抄」や「文段」の著述も、すべて広布のためであられた。当時、世間に流布していた一切の邪義を鋭く破折され、大聖人の正義を宣揚されたのも、広宣流布を願われたからである。
 たとえば「依義判文抄」の序文には「謹んで三大秘法の明文を考えて而して文底秘沈の誠証じょうしょうし、以て後世の弟子に贈る。此れは是れ偏に広宣流布の為なり」(六巻抄115㌻)と記されている。
9  また、身は御本尊に向かい、心には折伏を願い、口で弘教を行じない者は「謗法である」と戒められている。
 「如説修行抄筆記」に、「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わざれば、心が謗法に同ずるなり。口に折伏を言わざれば、口が謗法に同ずるなり。手に珠数を持ちて本尊に向わざれば、身が謗法に同ずるなり」(文段集七六七㌻)と。
 SGIのメンバーほど、御書の通りに、如説修行に励み、御本尊に向かって勤行・唱題し、広布を祈り、折伏を実践してきた者はいない。祈りに祈り、動きに動き、折伏に折伏を重ね、大難を乗り越えて、御本尊を流布してきた。その結果、日本と世界で、未曽有の広布伸展をみたのである。
 勤行もまともにやらず、折伏もせずに、如説修行している学会を破門して、広布を妨害している宗門は、この日寛上人の戒めに真っ向から背いている。
 日顕らは、身口意の三業で「大謗法」を犯し続けているのである。ゆえに、その謗法を厳しく呵責し、責め抜くことが、日寛上人の教えを正しく実践することになる。
 創価学会が、御本尊根本の信行のあり方を教え残され、広宣流布を強く願われた日寛上人の御本尊を授与し、拝しながら、新たな広布の前進を開始することは、大聖人、日興上人、そして日寛上人の御心に適い、お喜びいただけることは間違いない。
10  一切衆生を仏に──御本尊弘通の目的
 大聖人が、御本尊を御図顕なされた目的は、一切衆生に「仏に成る血脈」を継がしめること、すなわち成仏させることであられた。
 生死一大事血脈抄には、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに・還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す」──日蓮は日本国の一切衆生に、法華経(御本尊)を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日を種々の難に遭わせ、あげくの果てには、この佐渡の島にまで流罪にした──と仰せである。
 日寛上人も、″我等衆生が御本尊を受持する時、凡夫の身が、そのまま久遠元初の自受用身となる。それが「師弟不二」である″と仰せになっている。すなわち、次のようにある。
 「この本尊を受持する衆生は皆久遠元初の仏道に入る(中略)即に久遠元初の仏道に入る我等衆生の凡身の当体、全くこれ久遠元初の自受用身なり。自受用身の当体、全くこれ我等衆生なり(中略)あに師弟不二にあらずや」(文段集四八八㌻)
11  御本尊を護持し、弘通して、一切衆生に御本尊を信受させ、成仏させることが、大聖人門下の使命なのである。
 日興上人は、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」と戒められている。
 これは第一義には、僧侶への御遺誡である。しかし、この仰せの通り、不惜の実践によって、全世界に御本尊を流布してきたのは、創価学会以外にない。
 宗門のどこに、「不惜身命」の弘教があっただろうか。日顕に至っては、ついに学会の破壊を謀り、広宣流布を断絶させようとした。
 宗門の先師日達上人は、僧侶に対して、「信者は大聖人の信者なのであり、我々はただ信者のお取持ち(世話)をしてあげる、信者が大聖人様にお参りしやすくしてあげることが勤めだと心得て、今後とも注意していただきたいと思います」(一九七二年<昭和四十七年>一月十五日、教師寺族指導会)と指導されている。
 日顕は、この「大聖人様の信者」を「自分の信者」にしようとしたのである。大聖人への反逆である。
12  また日有上人は、「大聖人以来の信心を違えた場合には、即身成仏の血脈ではなくなってしまう」(趣意)と指南されている。
 (化儀抄に、「高祖(大聖人)已来いらいの信心を違へざる時は我等が色心妙法華経の色心しきしんなり、此の信心が違ふ時は我等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず」と)
 このことについて、日亨上人は、「仏法の大師匠である大聖人、日興上人以来の信心を少しでも踏み違えて、邪信となって仏意と違った時には、即身成仏の血脈を承けるべき資格が消滅してしまう」(趣意)と示されている。
 (「有師化儀抄註解」に、「仏法の大師匠たる高祖日蓮大聖開山日興上人已来の信心を少しも踏み違へぬ時、末徒たる我等の俗悪不浄の心も・真善清浄の妙法蓮華経の色心となるなり(中略)若し此の要訣を遵奉せずして・不善不浄の邪信迷信となりて仏意に違ふ時は・法水の通路いたずらに壅塞ようそくせられて・我等元の侭のあら凡夫の色心なれば・即身成仏の血脈を承くべき資格消滅せり」と述べられている)
 日顕は、広布を進める仏意仏勅の学会を破門し、仏意に背いた邪信の徒である。ゆえに、この仰せ通り、「即身成仏の血脈」を受ける資格を失っているのである。当然、御本尊を書写し、下付する資格も消滅してしまっている。
 このことを、改めて、はっきり申し上げておきたい。
13  一九五一年(昭和二十六年)五月、戸田先生は、第二代会長に就任されるや、「大折伏の時機到来せり」として、広布の大願成就の御本尊を申請された。
 学会の誓願に応じて、日昇上人は、「創価学会常住」の御本尊を顕してくださり、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とおしたためになった。
 創価学会が、広宣流布を成就するために「仏意仏勅」を受けて出現した重大な意義と使命を、この御本尊は明確に示しておられる。
 日顕が仏敵となった今、御本尊を求める世界の民衆のため、絶えることなく広布を進めるために、時に適った御本尊の授与を行うことは、学会の使命である。大聖人、日興上人の御心にも、適うことである。
 御本仏・日蓮大聖人に直結された日寛上人御書写の御本尊を授与することに深い意義があることは、今まで、お話しした通りである。
14  ″唱題するその場が霊山浄土″
 大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。日達上人は述べられている。
 「大聖人様はもう亡くなられております。その魂、その大聖人様の御魂が、この戒壇の大御本尊様である。(中略)あなた方の各仏壇に安置するところの御本尊様が、大聖人様の御精魂である。大聖人様即、法身ほっしん報身ほうしん応身おうじん三身相即さんじんそうそくしたところの御本尊様でございます」と。(一九六二年九月七日、小田原教会での説法)
 各家庭の仏壇に御安置した御本尊は、「大聖人の御魂であり、御本仏の当体である」と拝すべきなのである。そう信じて唱題するとき、そのまま、その場所で、大御本尊を拝していることになる。
 日達上人は、「御本尊安置の場所がどこであれ、いちおう義の戒壇と申しても、その御本尊に向かって一心に余念無く唱うるところのお題目は即座に本門戒壇の大御本尊に納まり、南無妙法蓮華経と唱えるその場所即霊山浄土であり、即身成仏のところであります」と述べられている。
 世界のいずこの場所であれ、御本尊を信じて、純真な「信心」の一念で唱えた題目は、即座に大御本尊に通じていく。「登山しなければ功徳がない」などというのは、先師の指南に背いた大邪義である。
15  日寛上人は、御本尊の功徳について、こう教えられている。
 「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(文段集四四三㌻)
 私どもは、いよいよ「御本尊根本」に、無量の功徳を受けながら、「世界広布の黄金の道」を悠々と進んでまいりたい。
16  受持即受戒──信心の一念と持続に受戒の本義
 さて日寛上人の御形木御本尊が授与される際に、授戒の儀式はどうするのか、と心配する方がおられるかもしれない。
 「御授戒」については、前にも話したが(一九九一年十二月、荒川・立川文化音楽祭)、大切なことなので、あらためて要約しておきたい。
 結論からいえば、末法は御本尊を受持して、生涯、退転せずに信行を貫いていくことが、戒を持つことになるのである。それを「受持即持戒」という。したがって、末法における「受戒」とは、御本尊を「受持」すること自体に本義があるのである。
 (日興上人も、相伝書である「三大秘法口訣」の裏書きに、「受持即受戒也」と記されている)
 大聖人は、天台宗の学僧だった最蓮房に対して「授戒」されたほかには、弟子や信徒に授戒されたという記録はない。
 最蓮房は、天台宗の僧として、比叡山で法華経迹門の戒を受けていたので、自分から望んで、大聖人から独一本門の戒を受け直したものと考えられる。それ以外には、「出家」の弟子に対してさえ、授戒されたという記録は残っていない。まして、「在家」の信徒が授戒を受けたという記録は、まったくない。
 日亨上人も、「日興上人の時代にも、授戒の儀式は定まっていなかったので、仏教の伝統に準じた授戒は、まったく行われたことがなかったとみるべきである。そのため、のちに他宗から、富士(大石寺門流)では授戒の儀式が定まっていない、と批判されたほどである」(趣意)と述べられている。
17  今まで寺院で行われていた、新入信者に対する「御授戒」の儀式は、学会の発足後、牧口先生が宗門に依頼して始めてもらったものである。
 牧口先生は、学会員の弘教によって増えてきた新入信者に対し、入信の決意を固めさせ、不退の信心を確立するために、御授戒を要請されたのである。
 主眼は「信心」の一念にあった。決して、授戒の「儀式」や「形式」を、絶対に必要とされたのではなかった。
 (学会の草創当時を知る和泉最高指導会議議長は、「当時の新入信者は、いくつもの邪宗を遍歴したうえで入信するケースが多かったので、正しい信心へのけじめをつけさせ、信心のくさびを打って退転させないために、授戒の儀式を受けさせたのである」と証言している)
 宗門による、信徒への「御授戒」も、学会の大折伏によって確立されたのである。
 大聖人の仏法の「受持即持戒」の本義からは、御本尊を受持した時、または、最初に御本尊への信をおこした「発心」の時が、末法の戒を「受けた」時に当たると考えられる。すなわち「授戒」とは、信仰する人が、自ら戒を持つこと、すなわち、御本尊を生涯、持ち抜くことを決意し、誓うところに眼目がある。学会の会館での入会記念勤行会も、ここに目的がある。
18  大乗の菩薩戒を受ける場合に、「自誓受戒じせいじゅかい」すなわち″自ら誓って戒を受ける″といって、仏前で自ら誓って戒を受けた例がある。
 大聖人は「ちかいし願やぶるべからず」と仰せである。自ら誓った願いは、決して破ってはならないのである。
 大聖人は、信心の要諦を、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」──(御本尊を)受けることはやさしく、持(たも)ち続けることは難しい。そして、成仏は持ちつづけることにある──と教えられている。
 大切なのは「不退の信心」である。「信心の持続」こそ真の「持戒」といえよう。その意味で「信心即持戒」であり、私たちこそ、大聖人の仏法の本義に適った「受戒」と「持戒」を実践しているのである。
19  日亨上人″「信」が根本、「行」「学」は「信」を助ける従卒″
 「信心」とは、開いていえば信行学となる。日亨上人は、信・行・学の関係について、こう教えられている。その要点は、″信心が大将であって、修行は大将を助ける第一の兵卒、教学は第二の兵卒″というところにある。
 「結局、信心を助くるの修行で、修行を助くるの学問(教学)と云ふことになる。又信心に率いらるゝ修行で、修行に伴なふ学問と云ふことにもなる。其処で信心に背く修行はしてならぬ。修行の邪魔になる様な、学問はしてならぬと云ふことになる。何れも信心本位で、第一の従卒が修行、第二の従卒が学問と云ふ工合である。
 この工合に隙が出来て、緊密にゆかぬ時には、信行学に破綻を生ずる、信行学が死んだり、萎縮しおれたりして、有効に活用せぬ。
 又本位にある信が完全なものでない時、真実なものでない時は、それ以上に弊害が生ずる、行学もメチャメチャになる。
 それ程でなくとも、精神なき形式のみの信心に引きづらるゝ行学の破綻は、随所に見らるゝ様に思ふ。
 例せば内的信仰も有せぬ者が、他に向って法を説く時、信仰を強ふる時、その云ふ所は空疎なる概念を振り廻すに過ぎぬ、仮令たとい御書をみきかせ、御筆記の有り難き文を並べても、其の場限りで、深く聞き手の心底に残らぬ」と。
 この文章は、一九二三年(大正十二年)に、当時の宗門の風潮を嘆かれたものである。その内容は現在の宗門にそのまま当てはまる。現宗門は、完全に信心を失い、行学も破綻し、信行学がともに滅んでしまった。
 (信心のない者が法を説き、信仰を強いると「空疎なる概念を振り廻す」だけで、聞く者の心にはなにも残らないとの厳しい指摘は、日顕の説法にそのまま当てはまる。
 日顕は、最近、「以前、私の説法はドイツ語みたいで分からないと言われたが、仏法の本体は『唯仏与仏ゆいぶつよぶつ』<ただ仏と仏とがわかること>だから、仏法の話が難しくない方がおかしいんです」と弁解しているが、その本質は日亨上人が指摘されているように、信心が死滅していることの表れにすぎない)
20  「行学たへなば仏法はあるべからず」──宗門に仏法なし
 大聖人は、「行学たへなば仏法はあるべからず」──行学が絶えたならば、仏法はない──と仰せである。
 信・行・学の三つが、大聖人の仏法実践の永遠の規範なのである。
 大聖人に直結した「一信・二行・三学」の、正しい信心を貫いてきたのは、創価学会しかない。ゆえに、学会の中にのみ、大聖人の仏法は生きている。脈動している。
 信行学について日淳上人は、「教学というものに頭が入りまするというと、行法(修行)ということがゆるがせになりがちでございますがただ宗教、信仰といたしまして何が根本であるかといえば行体(修行の姿)というものが根本でありまする。行体というものを支えていくのが教学であります。教学のために行法があるのではなしに、行法のために教学があるということを逸しては(忘れては)ならぬと思います」
 「若し行法というものを忘れて教学にはしるならば、これは仏法をもてあそぶものに外(ほか)ならないという所に一つ心をおかれて、行法の支えとして教学を培(つちか)っていくのだということによって大いにやっていただきたいと念願する次第であります」(一九五六年五月三日、創価学会第十四回総会)と教えられている。
 日淳上人が指摘されたように、広宣流布への実践を忘れて、御書を論じ、仏法を語る宗門は、「仏法をもてあそぶ」ものにほかならない。
 戸田先生は常に、「訓詁注釈の教学」(字句の解釈に重きをおく教学)になってはならないとされ、「信心根本の教学」「広宣流布のための教学」を教えられた。
21  日淳上人は、また、こう述べられている。
 「地涌といふのは大地から湧き出すといふことでありますが、大地は一切の生命の止住しじゅうする場所であります。
 此の地を法性の淵底えんでい、玄宗の極地ごくち等と天台大師は解釈遊ばれてをりますが、一切法界ほっかいの根源地であります。寿量品に説かれる如来の秘密神通の力の境地であります。
 この根源の大地より正法を弘通する者は段々と湧出して来るのでありまして、それをここに大聖人が『二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや』と仰せ遊ばされたのであります。
 此れ等地涌の方々が末法に大聖人の大正法を守り奉って、濁悪の世に弘通し逆縁謗法の者を教化し広宣流布せしむるのであります。
 如何なることがありませうとも天地間に正法は断絶することはなく、必らず皆正法に帰することは疑ひないところでありまして、此れまた三世十方の諸仏の護念し給ふところであります」(一九五五年一月、大日蓮)と。
 末法に出現して、大聖人の正法を広宣流布するのは、「地涌の方々」であると。これが学会の同志を指しての仰せであることは明白である。
 また、ここに仰せのように、いかなることがあろうとも、広宣流布が断絶することは絶対にない。
 その仏勅を行じるSGIを、三世の諸仏が護られないわけがないのである。御本仏の偉大な加護があることは絶対に間違いない。
22  アメリカは「世界広布のリーダー」であり、「世界広布の模範」である。どうか、地涌の勇者の誇りも高く、今こそ、「大前進」即「大功徳」の時と定めて、次の五点を軸にしながら希望の二十一世紀へ仲良く朗らかに進んでいただきたい。
23  希望の二十一世紀へ仲良く前進
 (1)「人に接するときは春風の如く、自分を律するときは秋霜の如く」
 人にはあたたかく、自分には厳しく、ということである。
 (2)「いつでも楽しめる境涯を」
 幸福を決めるのは環境よりも境涯である。いつも文句、いつも批判、いつも怒ってばかりでは敗北者である。
 (3)「苦難のときは、はがねのごとき心で」
 決してくじけてはいけない。負けてはならない。負けることは不幸を意味する。
 (4)「対話の名人、生活の名人に」
 子どもに対しても、家族に対しても、友人に対しても、楽しい語らいのできる人は、人生の達人である。また、社会的にも、経済的にも、さまざまな変化を懸命に乗り越え、安定し信頼される自分自身と家庭を築いていただきたい。
 (5)「わが道を、つねに惑わず、断固として進みゆく人は、幸福の人なり」
 この信念で生き抜いていただきたい。
 リーダーは、一人一人を大切に、一人一人の幸福を祈りながら、あせらず、着実な向上の坂を上っていただきたい。きょうは本当におめでとう!

1
2